第一章 第二話

十二月。街は華やかなイルミネーションに彩られ、どこへ行っても浮き足立ったような空気で満ちていた。けれど、わたしの心はそれとは正反対に、冷たい冬の底に沈んだままだった。

九月のあの惨敗から、わたしは何十回と面接を繰り返してきた。リクルートスーツの袖口はすり減り、パンプスのかかとは何度も修理に出した。そのたびに「残念ながら」という言葉を突きつけられ、わたしの存在価値は削り取られてゆく。日めくりカレンダーの数字が小さくなるたびに、呼吸が浅くなる。もうすぐ、年が明けてしまう。そうなれば、卒業までのカウントダウンは加速し、わたしは「無職」という断崖絶壁に立たされることになる。

そんな絶望の中で、一通のメールが届いた。

「内定」

その二文字を見たとき、最初に来たのは喜びではなく、深い溜息だった。

内定をくれたのは、歴史だけは無駄に長い、古びた商社だった。業界では「体育会系」で通り、ネットの掲示板を覗けば、パワハラに近い指導や理不尽な上下関係の噂がいくつも転がっているような会社だ。正直、自分に合うとは到底思えなかった。ダメ元で、滑り止めのさらに奥にある「最悪の選択肢」として受けた場所だった。

「受かっちゃったんだ……」

スマートフォンの画面を眺めながら、わたしは複雑な感情に支配されていた。贅沢を言える立場ではない。内定が一つもないまま卒業することに比べれば、この通知は救いの蜘蛛の糸のようなものだ。けれど、その糸が自分をどこへ連れて行くのかを考えると、手放しで喜ぶことなどできなかった。

その会社は、規模だけは大きかった。全国に支店を構え、手広く商売をしている。それが、今のわたしにとっては大きな不安の種だった。

わたしは、ずっとこの県で育ってきた。卒業してからも実家から通い、慣れ親しんだ場所で生活を積み上げてゆく未来をおもい描いていた。家族と夕食を囲み、自分の部屋で眠る。そんな当たり前の日常が、今のわたしを辛うじて支えている唯一の土台だったから。

けれど、この会社に決まった以上、その土台は脆くも崩れ去る可能性がある。わたしは運が悪いから、かなり高いかもしれない。

配属先がどこになるかは、すぐには分からない。北は北海道から南は九州まで、会社の一存でわたしの居場所が決まってしまう。もし、縁もゆかりもない遠い土地へ飛ばされたら、わたしは一人で、噂通りの厳しい環境に耐えられるのだろうか。

内定通知書と一緒に送られてきた書類には、四月の入社後の予定が記されていた。

最初の一ヶ月間は、この県にある本社で全員合同の研修を受けることになっている。その期間だけは、今の生活が保障されている。けれど、本当の恐怖はその後に待っている「配属発表」だ。

一ヶ月の研修が終わった瞬間、わたしはどこか知らない街へ放り出されるかもしれない。

リビングで母が夕飯の支度をしている音が聞こえる。あと数ヶ月でひとりぼっちになるかもしれない。そう思うと、喉の奥がぎゅっと締め付けられた。

実家から通いたい。その希望を面接でも伝えたけれど、面接官の反応は鈍かった。彼らにとって、新入社員の希望なんて、チェスの駒の配置を考える程度の些細な問題でしかないのだろう。

「入る前から、こんなに不安でどうするんだろう」

わたしはベッドに横たわり、天井を見つめた。

入りたいと心から願った会社ではない。けれど、選んでくれたのはこの会社だけだった。行きたくない。だが、行かなければならない。この矛盾した気持ちが、胸の中でどろどろと渦巻いている。

これから三月の卒業式までの間、わたしは「どこに飛ばされるか分からない」という恐怖と隣り合わせで過ごすことになる。県内の支店になれば、1人になるという問題だけは解決する。実家から、出勤できる。


けれど、もしそうでなかったら。

窓の外では、冷たい風が音を立てて吹き抜けていた。

十二月の夜は長く、暗い。

内定が決まったというのに、わたしの心は九月のあの時よりも、もっと深く、正体の見えない不安に支配されていた。

やっと手に入れたはずの「未来」は、霧に包まれていて、一歩先すらも見通せなかった。

配属が決まるまでの数ヶ月間。

わたしは、自分の運命が誰かの手によって書き換えられるのを、ただ震えて待つことしかできない。

リクルートスーツを脱ぎ捨てて、新しい制服に身を包むとき、わたしは一体どこの空の下に立っているのだろう。

思考を止めようとしても、最悪のパターンばかりが頭をよぎる。

パワハラが蔓延する職場、見知らぬ土地の狭いアパート、頼れる人のいない孤独な夜。

そんな想像が、現実味を帯びて迫ってくる。

それでも、時計の針は止まらない。

わたしは、祈るような気持ちで、カレンダーの四月のページをそっと捲った。

そこにはまだ、何も書き込まれていない空白が広がっているだけだった。

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