第一章 入社【雨宮 愛】

第一章 第一話

九月の太陽は、まだ容赦なく地面を焼き続けていた。リクルートスーツという名の、通気性の悪い黒い檻に閉じ込められたわたしの体は、駅までの僅かな距離でじっとりと汗をかいている。

ようやく届いた、一通の通過連絡。何十社と送った履歴書の中で、唯一わたしに「会ってもいい」と言ってくれた会社だった。電車に揺られる三十分間、わたしは膝の上に置いた鞄を強く握りしめ、頭の中で何度も自己PRを繰り返す。窓の外を流れる景色は、内定という切符を手に入れて晴れやかな顔をした同年代の若者たちで溢れているように見えて、胸の奥がちりりと焼けるような感覚に陥った。

駅から歩いて数分の場所にあるそのビルは、見上げるほどに高く、無機質なガラス張りの壁が青空を鋭く切り取っていた。自動ドアが開くたびに漏れ出す冷気は、歓迎の証ではなく、よそ者を排除する冷徹な意思のように感じられる。受付を済ませ、通された待合室の空気は、わたしの吸い込む酸素を少しずつ奪っていくような感覚がする。



やがて名前を呼ばれ、わたしは重厚な扉の向こう側へと足を踏み入れた。

そこに待っていたのは、三人の面接官だった。彼らの視線は、わたしの目を見るのではなく、手元の書類を値踏みするように這い回っている。部屋の真ん中に置かれたパイプ椅子は、まるで取り調べを受ける被告人の席のように心細い。

面接が始まると同時に、室内の温度がさらに数度下がったような錯覚に陥った。

彼らの表情には、一片の温もりもなかった。差し出された質問は、対話のためのものではなく、わたしの欠陥を暴き出すための鋭いナイフだった。「なぜ、この時期まで決まっていないのか」「君の強みは、うちの会社で具体的にどう利益を生むのか」「その程度の覚悟で、厳しい業界でやっていけると思っているのか」。

一つの答えをひねり出すたびに、それを見透かしたような鼻で笑うような仕草や、深く刻まれる眉間の皺がわたしを追い詰めてゆく。机を指で叩く規則的な音が、わたしの思考を乱し、焦燥感を煽った。視界の端で、面接官の一人がわたしの履歴書を無造作に放り出すのが見えた。まるで、価値のない紙切れを整理するような、事務的で冷酷な動作だ。

心臓の鼓動が耳の奥で激しく打ち鳴らされ、指先は氷のように冷たくなっていた。何を話しても否定され、存在そのものを透明にされてゆくような感覚がする。それでも、ここで折れるわけにはいかない。わたしは震える膝を必死に抑えつけ、乾いた喉を鳴らしながら、精一杯の言葉を紡ぎ続けた。笑顔を作ろうとしても、頬の筋肉が強張って、歪な表情になっているのが自分でもわかった。

ようやく解放されたとき、外の空気は夕暮れの気配を帯びていた。ビルを出た瞬間、肺に溜まっていた泥のような空気を吐き出す。足元がふわふわとして、自分の影だけが地面に張り付いているような心持ちだった。三十分の帰り道、電車の窓に映る自分の顔は、ひどく疲れ果て、生気を失っていた。

翌日。

スマートフォンの通知が、机の上で短く震えた。画面を点灯させると、そこには見慣れた、そして最も恐れていた文字列が並んでいた。

「厳正なる選考の結果、誠に残念ながら……」

指先が止まる。最後まで読み進める必要はなかった。後半にはいつも通り、わたしの今後の活躍を祈るという、空虚な「お祈り」が添えられているはずだ。

わたしはスマートフォンをベッドに放り投げ、天井を見上げた。視界がじわりと滲んでいく。

九月という月は、残酷だ。周りの友人たちは、もう卒業旅行の計画を立てたり、残り少ない学生生活を謳歌したりしている。就職浪人という道も頭をよぎるけれど、今のわたしにはそんな経済的な余裕も、精神的なタフさもない。

今から大学受験をやり直そうとしても、もう遅すぎる。予備校の門を叩く時期も、主要な試験の申し込みも、すべては遠い過去に過ぎ去ってしまった。今のわたしには、戻れる場所も、逃げ込める避難所もないのだ。

カレンダーに目をやる。三月の卒業式まで、あと半年。

もしこのまま、どこにも居場所を見つけることができなかったら。わたしはこの春、何者でもない「無職」として、冷たい社会に放り出されることになる。学生という守られた肩書きを剥ぎ取られ、誰からも必要とされないまま、ただ息をしているだけの存在になってしまう。

想像するだけで、足元から深い闇がせり上がってくるような恐怖に襲われる。部屋の隅にある、山積みになった不採用通知の束が、わたしの価値を残酷に告げる証拠品のように見えた。

半年。たったの六ヶ月。

そのカウントダウンは、わたしの意図とは無関係に、刻一刻と、残酷な速さで進んでゆく。窓の外では、秋の訪れを告げる虫の音が響いていた。それは、夏が終わったことを知らせると同時に、わたしに残された時間の少なさを嘲笑っているようだった。

わたしは震える手で、再びスマートフォンを手に取った。まだ、諦めるわけにはいかない。けれど、何をどうすればいいのか、正解はどこにも書いていない。暗い画面に反射したわたしの目は、怯えたように揺れていた。

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