第4話

 翔の誘いから二日後の八月九日。


 相変わらずの晴天で集合場所まで移動する僕の体力を、徐々に蝕んでいく。流石の僕も耐え切れず、腕をまくる。


 藤原さんにはトークで時間と場所は伝えていた。一緒に行くかと誘われたが、有りもしない用事を繕って断った。気恥ずかしかった。


 オフィスビルが建ち並ぶサラリーマン街を彷徨い、そこにひっそりと佇む自然公園に到着した。翔と約束した待合せ場所である。


 辺りを見渡すと人影はなく、木陰のベンチ周辺で鳩の群れが休んでいた。僕は鳩たちを重んじ、入口付近で待機することにした。


「――なるほどね。用事があると言った割には、私より到着が早いではないか、棺悠真くん?」


 背後から落ち着きがある、澄んだ声に耳覚えしかないが振り向けない。とても振り向けない。振り向いてはいけない気がする。


「あはは……。物事は意外と早期に解決すること、ありますよね?」


 嘘っぽく髪を搔き、視線を横へ向けると、眉をひそめた藤原さんが軽く睨んでいた。


「……自分で言うのも憚れるが、私は比較的優しい人間だぞ。寂しいなぁ」


 棒読みチックに話しながら腕を優しくツンツンと刺す彼女に、ぎこちない作り笑いを浮かべ、謝る。


 これが年相応の振る舞いである事を意味する、貴重な瞬間だと僕は思う。


「藤原さん。僕、前々から貴女にお伺いしたかった事があるのですが……」


「なんだ?」


「……その格好、暑くないんですか?」


 先日の喫茶店の時と同じく、今日は灰色のパーカーを着ている。生地は薄手にはみえて冬用ではないと思うが、定かではない。


「ふっ、愚問だな。今一度、その解を自分の胸に聞いてみたらどうかな?」


 腕を組み、彼女はドヤ顔をする。


 類は友を呼ぶ、なのだろうか。僕も長袖を身に着けている身だが、彼女とは状況がまるで違う。日焼けより体温調節を優先する。


「そんな難しい顔をするな。大方、君の想像通りだろうが私には秘密がある」


「秘密ですか?」


「あぁ、そうとも。実はな……冷え性なんだ」


 冷え性にも程度があるのではないか、と言葉にしたくなる暑さのはずだが、堪える。人の事を言えた立場ではないのは重々承知しているが、彼女もズレていると言わせて欲しい気持ちは、深海へ放り投げた。


「それより悠真くん。こちらに向かって見える三人組がそうではないのか?」


 彼女の視線の先をみると、たしかにほぼ翔であろう人間が近づいてくる。派手な色合いのアロハシャツ。服装で判断が出来るのは彼のアイデンティティといえるだろう。


「そうですね。ただ、あと二人は女性に見えますね……」


 白いノースリーブにショートパンツ、淡いブルーの半袖ブラウスにスカート。女性らしき人物が翔を挟み、仲よさげに近づいてくる。


 今の時代、断言は出来ないが男ではないだろう。


 ふむ、と藤原は探偵の様なポーズをとる。


「真ん中の男……。そうだな、一見顔立ちは良いが私服のセンスからしてまるで売れない、熟れきった淑女達にモテそうなホスト……。いや、ナンパが成功したはいいが飯だけ奢らされてホテルにも行けず、途中で捨てられ女子会で嘲笑われてそうな……」


「あなたは鬼ですか、藤原さん」


 翔であろう人間の尊厳を守るため、藤原さんの大変失敬な発言を遮った。


 僕は翔であるか確かめるべく、トークで『入口にいるよ』と翔へ送る。するとアロハシャツを着た男がポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。


 ハッとしてこちらを見たホストは、僕らというフィニッシュテープを目指し、ラストスパートをかける。

 売れないホスト、確実に翔だ。


「悠真せんぱ〜い!ふぃ〜、あじぃ〜!早かったですね!そちらの方が招待したいって言ってた人っすよね?」


 勢い良くゴールし終え、少し肩で息をする翔に対し藤原さんは軽くお辞儀をする。


「今回はこの様な恵まれた機会に招待して頂き、ありがとうございます。私は藤原遥ふじわらはるかといいます。棺くんとはゲーム友だちです。今日はよろしくお願いしますね」


 藤原さんは畏まりつつ、不敵な笑みを見せた。


「あっ、いえいえ、こちらこそ!自分は中村翔なかむらしょうっす。俺ゲーム大好きなんで、一緒に楽しみましょう!」


 呼吸が整った翔がキレ味のある動きで、綺麗な垂直でお辞儀をする。


 あれだけ酷い物言いをしていた藤原さんの口が、何事も無かったかのようなシフトチェンジの早さに、僕は身震いした。


「あー翔くん、ちょっといいかな?」


 僕は翔に内緒話が聞こえる距離まで近づき、口元を隠すように、ほそぼそと喋る。


 藤原さんの悪口を告発するのではなく、想定外のメンバーであることに関して確かめるためだ。


「翔くん。残りのメンバーは男だと思っていたのだけれど、僕の勘違いかな……?」


 翔が耳元で囁く。


「それを言うなら先輩もでしょ……?手当たり次第誘いましたよ……。だけど皆、帰省してたり旅行に行ってて……。薄情なやつらめ……!」


 残念ながら雑草のように張り巡らせた人脈は、根が細く千切れてしまっていた様子だった。


「――ちょっと中村くん、私たちを置いてけぼりにしないでよ。私たちの挨拶だってあるんだからさぁ」


 僕らがヒソヒソと話していた頃、暑さに顔を歪めたノースリーブの女性が、手うちわをしながらやってきた。栗色のショートボブを掻き上げる姿は、姉御と呼ぶにふさわしいビジュアルだった。


「す、すいません!彩花あやかさん!何でもしますから!」


 翔はしまったとしくじり顔をするが、後の祭り。


 姉御はほぅ、としたり顔をして、腕を組む。


「ん?今何でもするって言ったわね?なら……」


 その刹那である。


「彩花さん。あまり虐めちゃ駄目だよ?翔くんが可愛そうだよ……」


 姉御の阿修羅像を連想させる佇まいの背後から、救いの後光が差し込む。翔へ美しい手を伸ばす、慈愛に満ちた、神の使いが舞い降りた。


 金色に輝くブロンドのロングヘア。サファイアの瞳。麗しい桃の唇。彫刻のような微笑する彼女の存在が、全てを赦してくれるかの様に思えた。


「天使……」


 そう、天使。これは運命だ、間違いない。


 僕は彼女とのロードマップが即座に演算された。小学生に進学したばかりの娘と三人で、仲睦まじく水族館を見学するシーンが脳内で上映会が開催する。涙無しにはみられない。


「……おい、悠真くん。見すぎだ」


 成長した愛娘が嫁入りするところで、僕は現実に引き戻された。


 藤原さんの声に我を戻すと、天使が困り笑いをしている。姉御は口をへの字に曲げ、糸のような目つきで僕を睨む。


 翔ですらこの状況にどうしたらいいか分からない様子で唖然としている。


「あ、あはは……。すいません、僕は棺悠真といいます。苗字は珍しい名前なんで覚えやすいですよね、あはは……」


 取り返しのつかない雰囲気に僕は弱々しく、だが力を振り絞り、取り繕った。


 僅かな静寂の後、それを察した天使が口を開く。


「あの、私、高橋澪たかはしみおです。……VRゲーム、楽しみですね!あまり詳しくないんですけど、アトラクションとかが好きで……」


「そ、そうそう!澪先輩は遊園地が大好きなんすよ!で、今回のVRテストは脱出ゲームらしいんで、興味あるかなーと思って誘ってみたんすよ〜!」


 翔のフォローが血液の様に、ジワジワ身に染みる。


 彼に心から感謝したのは、実は今日が初めてかもしれない。すまない翔、頼り甲斐の無い先輩で。


 暗雲立ち込める空に、もう一筋の光が僕を救う。


「なるほど。私たちは中村さんの男の願いが叶わなかった、せめてもの人選というわけですね」


「え?」


 翔は拍子抜けした顔で、藤原さんへ振り向く。


 彼女の笑みに隠れた悪戯心に見覚えしかなく、感謝後の思わぬ伏兵に、完全に遅れを取ってしまった。


「翔、お前なぁ?」


 その意図を的確かつ予知に等しい察知能力で汲んだ彩花は、再びターゲットは翔に向かう。


「ご、誤解っす!森下もりした姉さん、一体何を想像して……」


「どうせ如何わしい下心があったんだろっ!男って生き物はこれだから……!」


 矛先は完全に彼へ集中している。迷える子羊を今僕が助けなければ、人間性を疑われ、先輩としての威厳、はては天使に見放されてしまうかもしれない。それは回避しなければ……!


「あの、……森下さん?申し訳ない。元来、男は罪な存在なんです……よ……」


 ――これは自分でもわかる。完全に言葉選びを間違えてしまった。


 もどかしい。だから会話は苦手なんだ。一度口にした発言は、バックスペースする事が不可能だから。


謀人である藤原さんは肩を小刻みに揺らし、顔を逸らしていた。


「あら、奇遇ね。あたしも同意見ですよ、棺さん?」


 彼女の表情は今にも噴火しそうな活火山となり、拳を高く掲げられている。


 完全に終わりを告げられた姿に、僕は諦める。


 この世に天使はいるのに、なぜ救いの神は存在しないのだろうか……。

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