学校崩壊 ― 渦が見える学校 ―

朝陽 透

第1話 最初の“欠け”

それは、いつもの授業の途中だった。


「どん。」


音というより、

空気そのものが一度だけ沈んだような、

不思議な衝撃だった。


「さっきの音何?」

「地震か?」


ざわつきは、ごく短かった。


僕だけは、

その響き方が地震とは違うとすぐにわかった。


地面でも、

壁でもなく、

何か――

建物の“中身”がずれたような音だった。


「席についてー。先生が調べてきますねー。」


先生は明るく言って、廊下へ出ていった。


しばらくして、校内放送が流れた。


『先ほどの音は原因不明です。

 校舎に異常はありません。』


その言い方が、いつもより早かった。


「なんだそれ?」

「人騒がせだな。」


みんなはすぐに忘れた。


僕だけの胸に、

音の残響がずっと残っていた。


     *


次の時間、

僕たち5年2組は音楽だった。


階段を上がって、音楽室の前に着いたとき、

先生がドアの前で立ち止まった。


「あれ……?」


先生の声が、少しだけ震えた。


ドアを開けると、

音楽室の壁が“欠けて”いた。


崩れたわけでも、

剥がれたわけでもなく、

その部分だけきれいに切り取られたように

すっぽりと“無かった”。


白い空間が、壁の向こうに広がっていた。


「……なに、これ……」


誰も動けなかった。


先生が深呼吸して言った。


「念のため、他の先生に報告してきますね。

 皆さんはここで待っててください。」


そう言って、足早に廊下へ消えた。


しばらくして、

教頭先生と見回りの先生が入ってきた。


「あ〜、これか……。」


教頭は、ため息とも安堵ともつかない声を漏らした。


「この音だったのかもしれないですね。

 経年劣化……でしょう。」


「ですね……。」


まるで、

“そういうことにしよう”

と決めているみたいだった。


「なあ、どう考えてもおかしくないか。」


僕は雄哉に小声で言った。


「ああ。颯真もそう思う?」


「あいつら、わかってねえよ……。」


「うん……適当だよな。」


僕たちは、

壁の欠けた部分から

冷たい空気が流れているのを感じながら、

ただ黙った。


     *


クラスの女子たちも話していた。


「先生たち馬鹿じゃないの?」

「私も思った……。」

「誰が見てもおかしいよね。責任逃れじゃないの?」

「だよねー。」


女子たちの声はひそひそなのに、妙にはっきり聞こえた。


「まあ、いいけどさ。いつものことだし。」


その“いつものこと”という言葉が、一番こわかった。


一方で、わかってないやつもいた。


「経年劣化なんだろ?古いってやだよなー。」

「だよなー。新しく校舎変えてー。」


何も考えない声と、

気づき始めてる声が、

教室で交差した。


その温度差が、どこか不自然だった。


まるで、

壁の欠けた部分だけじゃなく、

クラス全体から“何か”が少しずつ

欠け始めているみたいだった。


僕は黙ってその会話を聞いていた。

何も言わないほうが、たぶん安全だと思ったから。


     *


帰ってきてすぐ、

母さんがスマホを見ながら言った。


「ねえ、学校で何かあったの?

 アプリに音楽室が壊れたって書いてあるんだけど。

 経年劣化って本当?」


「ありえないんだよ。」と僕はすぐ答えた。


「どんって、すごい音がして……。

 でも“異常なし”。

 そのあと経年劣化って言われても意味わからなくない?」


「壁、壊れてたよ……。」


僕の声に、母さんは眉をひそめた。


「……それってさ、

 どうせいつもの“あれ”じゃないの?責任逃れかよ〜。」


「だよなー。」


母さんはため息をついた。


テレビで地域ニュースが流れはじめた。


『○○小学校で異音が発生しましたが、

 校舎に異常はありませんでした。

 施設の経年劣化による可能性が高いと発表されています。』


僕と母さんは同時にテレビを見た。


「何だか……開いた口が塞がらないね……。」


母さんの声が、

いつもより静かだった。


「警察とかも調べたのかな。」


「どうだろ……。

 学校が“異常なし”って言ったら、

 それで終わりなんじゃない?」


家の空気が、少しだけ重くなった。


そこに父さんが帰ってきた。


「ただいま。」


「おかえり。今日ね、学校で異音発生して、

 音楽室崩れたらしいよ。意味わからなくない?」


父さんもスマホを見て固まった。


「え、ヤバくない?」


「おかしいんだよ。」と僕が言うと、

父さんは低い声でつぶやいた。


「……なんか、隠してるな。」


母さんがゆっくりうなずいた。


家族全員が、同じ考えに辿り着いていた。

この学校、何かがおかしい。


そして、

その“何か”は、

まだ始まったばかりだった。


     *


母さんはすぐスマホを開いて言った。


「雄くんママに聞こう。」


すぐにメッセージが返ってきたらしい。

母さんの眉が少し寄る。


「……やっぱり怪しいって思ってるみたい。」


僕は言った。


「だよねー。」


母さんは深くうなずいた。


「とりあえず様子見する、だって。

 “学校が誤魔化してる気配があるから”って。」


母さんの声は普段より低かった。


「うちも様子見よね。」


「だなー。何もわかんないしな。」


ため息をつきながら椅子に座る母さんが、

いつもより小さく見えた。


母さんが“様子を見る”なんて普段ならありえない。

いつもはすぐ動く人だ。


それでも今回は“様子を見るしかない”と判断した。


それが、この異常がどれだけ“異常”かを

よく表していた。


家族の間に、静かな沈黙が落ちた。


そのときは、

まだ、これから起きる出来事を

予測できなかった。


音楽室の欠けが、

たった一つ目の“印”だなんて。


本当に、誰も知らなかった。

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