◆第6章 Latency(潜伏)◆

ミレイがその話を持ち込んだのは、

いつもより少しだけ遅い時間だった。


「ねえ、ミス研向けの“噂話”って、扱ってくださる?」


椅子に腰を下ろしながら、

前置きのように言う。


「内容によるわね」

玲子は即答せず、視線だけを向けた。


「公表はされていませんわ」

ミレイは、淡々と続ける。

「ですが、内部ではそれなりに信憑性がありますの」


「学園の話?」

零が顔を上げる。


「ええ。

 天河学園が――

 ウルトラコンピュータの開発に成功しているという噂ですわ」


一瞬、部室の空気が変わった。


「“噂”なのよね」

玲子が確認する。


「公式発表はありませんわ。

 ここ一年間の研究棟再編、予算の流れ、電力使用量……

 どれも状況証拠にすぎませんけど・・・」


「でも」

零が続ける。

「ただの都市伝説じゃない?」


ミレイは、かすかに肩をすくめた。

「問題はですわね」


少しだけ声を落とす。

「時期が、あまりにも合いすぎていることですの」


僅かに目を細めた玲子の瞳孔は少し広がったように見える。

部室に差し込む陽光のせいか、ざっくり三つ編みにした黒髪の輪郭が赤みを帯びる。


(なんだかサソリの尻尾みたい・・・)

零は何かを俯瞰した時の玲子だと感じ、肌が泡立つ。


ひよりのアバターが、

そのやり取りを静かに見ていた。


「噂、ね」

玲子は一度、机に指を置いたまま目を閉じた。

「今日のところはここまでにして、何かわかったら共有しましょう」


ミス研VRは閉じたが、3人はまだ部室にいた


「まず整理しましょう」

視線を上げる。

「ミス研で扱う噂には、三段階あるわ」


零とミレイが黙って聞く。


「一つ目は、完全な憶測。

 根拠も出どころも曖昧なもの」


「二つ目は、内部情報を装った誤情報」

玲子は続ける。

「誰かの意図で流されている可能性がある」


「で、三つ目」

一瞬だけ間を置く。


「事実があるけれど、公開されていないもの」


ミレイが静かに頷く。


「今回のは?」

零が尋ねる。


「今のところ」

玲子は即答する。

「三つ目に限りなく近い“二と三の境界”」


「断定はできないけど」

ミレイが補足する。

「否定する材料も、ありませんわ」


「だからこそ」

玲子は言った。

「扱い方を間違えると危険なの」


「煽れば、陰謀論になる。

 無視すれば、見逃しになる」


零は腕を組んだ。

「ミス研向き、ってことか」


「ええ」

玲子は小さく笑う。

「断定せずに、整理する。

 それが私たちの仕事」


一瞬、話が落ち着いた――ように見えた。


零が、ふと視線を上げる。

「……でもさ」


三人の視線が、零に集まる。


「そのウルトラコンピュータができているとして、」

言葉を選びながら続ける。

「何に使う前提の話なんだろう」


玲子は目を伏せる。


「開発に成功した、って噂だけなら」

零は続ける。

「用途の話が、まったく出てこない」


ミレイが考え込む。


「確かに」

「普通なら、シミュレーションとか、

 気象解析とか……

 名目だけでも出てきそうですわ」


「でも、出てこない」

零は静かに言った。


「計算できるって話だけが、先にある」


玲子の表情が、わずかに引き締まる。


「また、“理論が先に走ってる”感じがするの」

「計算能力があるから、使い道を考える」

零は続ける。

「それ、順番が逆だよね」


「本来は」

玲子が言葉を継ぐ。

「必要があって、装置を作る」


三人の間に、短い沈黙が落ちた。


噂は、まだ噂のままだった。


けれど――

その噂が、何かを待っているような気がしていた。


数日後。

昼下がりの大学カフェテラスは、学生のざわめきで満ちていた。


木陰のテーブルに、三人は並んで座っている。

玲子はクインマリー。

零はカップのホットココア。

ミレイはホットのブラックコーヒー(浅煎り)


ミレイだけが、最初から話す気でいた。

「少し、裏が取れましたわ」


その一言で、玲子と零の視線が上がる。


「情報工学部の内部ですの」

声は抑えめ。けれど、迷いはない。

「噂のウルトラコンピュータ――

 あれ、量子コンピュータですわ」


零が、短く息を吐いた。

「やっぱり、そっちか」


ミレイは小さく頷く。

「呼称名は GINGA。

 量子系ですけれど、古典計算に換算すると

 エクサ級相当とされていますの」

「しかもその古典コンピュータも進化してますの・・・

富岳に迫るほど・・・」


玲子は、指先でカップの縁をなぞりながら聞いている。

「……搭載AIは?」


「AIはSIRIUS と呼称されていますが、

搭載されているのは量子コンピュータではなく、

古典コンピュータのほうですわ」


一瞬だけ、視線を落とす。

「こちらは完全な補助ではなく、

 演算管理と最適化を一任されているそうですの」


零が、眉をひそめた。

「それ、ほぼ運用AIだわ」


「ええ」

ミレイは、語尾だけやわらかく笑う。

「ですから、まだ――」


「公開されていない?」

玲子が先を読む。


「ご明察ですわ」

ミレイは頷いた。

「完成はしている。

 けれど名目上は、まだ開発中」


テーブルの上を、沈黙が滑った。


量子コンピュータ:GINGA。

 完成済み、未公開。


学園用古典コンピュータ:更新


学園用AI:SIRIUS。

 搭載は学園内の古典コンピュータ


情報は揃っているのに、

目的だけが、どこにもない。


零が、ぽつりと言う。

「……ますます変だな」


「ええ」

玲子も同意する。

「“何ができるか”は語られているのに、

 “何をするためか”が、どこにもない」


ミレイは、カフェテラスの向こうを一瞬だけ見た。


「まるで――

 使い道が、まだ来ていないみたいですわね」


その言葉に、

三人とも、それ以上続けなかった。


けれど同時に思っていた。


――待っているのは、装置じゃない。

――装置が、何かを待っている。


ひよりの姿は、ここにはいなかった。

それが、今はまだ正解なのかどうか――

誰にも、わからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る