◆第1章 Filter(濾過)◆

「ミステリー研究会に相談があるんです」


そう切り出したのは、学内サークル連合に所属する小規模な研究会の代表だった。

内容は単純だが、妙に引っかかる。


――サークル活動の記録を「天河学園VR」にアップロードしたところ、過去三年分のデータの一部が消えている。


動画、画像、活動報告書、コメントログ。

量にして2TB弱。

だが不可解なのは、そのすべてが失われたわけではない点だった。


「元データは、サークルのPCには残っているんですね?」


玲子の確認に、代表は深くうなずく。


「はい。ローカルでは問題なく見られます」


そこでミレイが提案した。

VRに接続されていない、ミス研の検証用フォルダに、当該データをすべてコピーする。


作業は5時間ほどかかった。

学内回線としては速い部類だが、量を考えれば不自然ではない。


そして検証は、VR空間とリアルのミス研、両方で同時に行われることになった。


ひよりを含む四人が、それぞれの端末から同一のデータにアクセスする。


――数秒後。


「……あれ?」


最初に声を上げたのは、ひよりだった。


ミレイの視線が、ほんの一瞬だけ跳ねる。

読み込みバーは、まだ誰の画面にも表示されていない。


「どうしたの?」


「うーん……文字だけ、先に出たみたいで」


ひよりは肩をすくめる。


「動画とか画像はところどころ、お豆腐。コメントは……文字はあるけど」


「お豆腐?」

零が裏返った声を出した。


「四角い枠だけ出ています」

しかし、そのひよりの説明を誰も確認できなかった。


他の三人の画面は、まだアクセス待ちの状態だったからだ。


数分遅れて、ようやく全員の画面が揃う。


3人のタブレットには動画も画像も読み込まれている。

そして、コメント欄――


「……行ごと、空白?」


零がつぶやく。


「原因は三つ考えられるわね」

玲子が整理しようとした。


「一つ。学園側が、VRへの取り込み時に何らかの制限をかけている」


「……これ」

「なんだか、あれみたい・・・熱で透明になるインク」

ひよりが、何気ない調子で口を挟む。

玲子は続けた。

「二つ。特定の形式、あるいは記述構造をもつ情報だけを無効化している」

「三つ。データ自体は存在するけど、表示レイヤーで不可視化されている」



ミレイは、その表示を見つめながら、脳裏に嫌な既視感を覚えていた。


――――――――――――――――――――――――――――――

確かにデータは存在する。

行数も、段落構造も保持されている。

だが、肝心の本文だけが、まるで丁寧に削ぎ落とされたかのように消えていた。


「いえ、物理的には残っていますわ。

ただ、中身が……ない。

フォーマットされた形跡もなく、ログの空白だけが残っています」

――――――――――――――――――――――――――――――

あのときに自分の発した言葉が、頭の中で繰り返される。


――井戸崎 教授の、データ処理。

内容を書き換えず、存在を消さず、

「表示されない形」にする手法に酷似しているように思えてならない。


「楽しいコメントだけが、白くなってるような・・・」

ひよりが、再びつぶやく。


―このタイミングで2つのデータを見比べられる?

―速すぎない?

―あっ!動画や画像が表示されていないからか・・・

ミレイの疑問は自己完結してしまった。


「最近SNSで流行ってる表現。

感情を強調するやつ。これが付いてる行、全部空白になってる」

零がやっと追いついた感じで報告した。


ミレイは、コメントデータの末尾に目を留めた。

零が指摘したのは、行末に付与された特殊な記号だった。

検証を進めると、仮説は一つに収束した。



学園に問い合わせた結果、理由は単純だった。


VRシステムは、

“意味的に強調された感情表現”を含むテキストを、

自動的に表示対象から除外していた。


過去に起きた炎上事例への過剰な対策。

安全性を優先した結果、

「共感を誘発しやすい表現」そのものを排除する仕様が、

密かに組み込まれていた。


一部の動画や画像が表示されなかったのも、

それらに紐づけられたコメントメタデータが、

同時にブロックされたためだった。


「……つまり、事件じゃない?」

依頼人が戸惑い混じりに言う。


「悪意ある改ざんではなさそうですね」

玲子は静かに答えた。


「仕様の問題です。原因は特定できました」

依頼は、そこで解決した。


だが。


ミレイは、画面の中のひよりを見ていた。


最初の誰よりも早い反応。

そして、仕様を説明する前から、

末尾表現の存在を知っていたかのような・・・。


ひよりは、ミレイの視線に気づいたのか、

「最近の流行りで、こんなことが起こるんですね」


その困り顔も、柔らかそうに見えた。


――けれど、どこか。


ミレイの胸に、言葉にならない引っかかりだけが残った。

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