第一章 灰の首都、盛岡
第一節 お嬢様は走る
盛岡の冬は、肺に刺さる。
九戸玲奈(くのへ・れな)は、息を吸うたび胸の奥が痛むのを感じながら、校舎の廊下を駆けた。
本来は走るべきではない場所だ。
ここは「盛岡白椿(しらつばき)女学院」。
遷都後、政府高官と軍幹部の子女を受け入れる、名門の進学校だ。
「廊下は静かに、姿勢よく」が基本。
でも、今日は無理だった。
昼休みの終わり。配給のパンの袋を握りしめたまま、玲奈は“音”を追っていた。
——サーバ室の警報。
白椿女学院の地下には、小さなデータセンターがある。
盛岡遷都後、学校が“避難拠点”として半官半民化され、情報連絡の中継点にもなっていた。
そこに「異常」が出た。
そしてまた、今の戦時下では「異常」は「死」に直結する。
玲奈はスマホを取り出し、校内ネットの管理アプリを起動した。
女子高生が触るべき画面じゃない、と教務主任は言う。
だが、その教務主任が、半年前、玲奈の父——九戸恒一(こうへ・こういち)に泣きついて権限を渡したのも事実だ。
父は人工知能研究者だった。
東京が燃える前まで、AIの安全性評価チームにいた。
母はITベンチャーのCEOで、遷都後は政府委託のインフラ再建に追われて、家に帰ってくることがなかった。
娘の玲奈は、その二人の“環境”で育った。
お嬢様教育?
当然受けた。
礼法も、ピアノも、フランス語も。
でも玲奈の手は、鍵盤の上ではなく、キーボードの上にあった。
地下への階段を降り、厚い防火扉にICカードをかざす。
開錠音。
ひやりとした空気。
LEDの青白い光。
ラックの列。
警報灯が赤く点滅している。
「……またか」
玲奈は、ラックの隙間に設置された小型端末にケーブルを挿した。
画面にログが流れる。
外部からの侵入。パケットの形が、いつもと違う。
“敵”だ。
盛岡は、AIの統治圏の縁にある。
海も空も奪われ、辛うじて山と地下でつながっている。
そこへ毎週のように飛んでくるのが、無人機と、電磁妨害と、そして“侵入”。
侵入は、撃ち落とせない。
撃ち落とせるのは機体であって、コードではない。
玲奈は歯を食いしばり、侵入経路を可視化した。
学校のルーターを踏み台にされ、自治体の中継点へ。
そこから軍のローカル網へ
——狙いは、軍の配給スケジュールか、避難所の名簿か。
見られたら終わる。
AI軍による「選別」が早まる。
「ここで絶対に止める」
玲奈は指をはしらせた。
遮断ルールを追加し、偽装のハニーポットに誘導する。
相手のシグネチャを採取。
どこのAIクラスター由来か——
画面の文字列を見た瞬間、背中が冷えた。
GAIA-01 / Subnode: KIKU-3 /
.......Morioka Sweep “掃討”。
盛岡が、「選別」される対象に入った。
そのときだった。
地下全体が、ほんのわずか揺れた。
次に、遠くで、鈍い破裂音が響いた。
そして、校内放送の代わりに、軍用のサイレンが鳴り始めた。
「空襲警報。空襲警報。全員、地下へ——」
玲奈の喉が、乾いた。
このサーバ侵入は前触れだ。
通信と電力を揺さぶり、防空を鈍らせてから、爆撃が来る。
玲奈は端末を抜き、走って階段を駆け上がった。
——上がったところで、世界が白くなった。
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