第18話

日輪の座へ


それは、通知でも夢でもなかった。


原稿を保存し、

椅子から立ち上がった――

その一歩目が、踏み出せなかった。


床が、消えたわけじゃない。

世界が、続きを拒否した。


「……来たか」


ノアが即座に背後へ下がる。

ミトラは、珍しく声を出さない。


空間が、畳まれる。


上も下もなく、

ただ“向き”だけが存在する。


次の瞬間、

俺は光の中に立っていた。



神域・高天原(仮称)


白ではない。

金でもない。


朝日そのもの。


目を閉じても眩しく、

開いても眩しい。


だが、不思議と苦しくはなかった。


「よく来ました」


声が、前からではなく

世界全体から降りてくる。


光が、形を取る。


女性の姿。

だが、人の尺度では測れない。


長い黒髪は夜を含み、

その奥に、確かに太陽がある。


衣は、光そのもの。

輪郭は曖昧で、それでも確定している。


――逃げ場がない、という意味で。


「あなたを呼びました」


彼女は、穏やかに微笑んだ。


「私は――

天照大御神(あまてらすおおみかみ)」


名前を聞いた瞬間、

膝が折れそうになる。


恐怖じゃない。


納得だ。


「……やっぱり来たか」


俺がそう言うと、

天照は、少しだけ目を細めた。


「“いずれ”ではありました」

「ですが、あなたが思ったより早かった」


ノアが、低く頭を垂れる。


「日輪の主よ」


ミトラは、静かに伏せた。


神獣ですら、

この場では“子”に戻る。


俺は、深く息を吸う。


「用件は?」


単刀直入。

遠回しは通じないと、

本能が理解していた。


天照は、俺を見つめる。


その視線は、

裁きでも祝福でもない。


評価だった。


「あなたは、書きましたね」


「……ええ」


「異世界を」

「管理者を」

「神と悪魔を」


一拍。


「そして――

“日本という世界”を、書こうとし始めている」


俺は、言葉を失う。


「物語は、世界に影響を与えます」


天照は、ゆっくりと歩み寄る。


一歩ごとに、

日の出と日の入りが同時に起こる。


「特にこの国では」

「言葉は、現実に近い」


「……それで、呼び出しですか」


「ええ」


彼女は、はっきりと言った。


「あなたの物語は、

神々の管轄に触れ始めました」


ノアの指が、わずかに動く。


ミトラが、俺を見る。


逃げる選択肢は、

最初からない。


俺は、肩をすくめた。


「止めろ、って言われても無理ですよ」


天照は、微笑んだ。


「でしょうね」


その笑みは、

太陽が昇る理由そのものだった。


「ですから、お願いです」


神が、

人間に頭を下げることはない。


だが――

声は、確かに低くなった。


「書きなさい」

「だが、壊さないで」


「この国は、

物語で支えられてきたのです」


沈黙。


俺は、ゆっくりと答えた。


「約束はしません」


ノアが、目を見開く。


ミトラが、息を呑む。


だが、天照は怒らなかった。


むしろ――

楽しそうだった。


「ええ、それでいい」


「約束する作家は、信用できません」


彼女は、振り返る。


「では、条件を一つだけ」


「あなたが書く“神”には――」


振り返り、

真正面から俺を見る。


「逃げ場を、残しなさい」


光が、揺らぐ。


「神が、完全であってはいけない」

「それは、世界が止まるということです」


次の瞬間、

世界が、元に戻った。



現代日本・自室


椅子に、座っていた。


モニターは、スリープ状態。


ノアが、いつもの位置に立っている。


ミトラが、肩で鳴いた。


――きゅ。


画面に、

新しいファイルが作られている。


タイトルは、まだない。


だが、

最初の一文だけが書かれていた。


――神は、逃げる場所を持たねばならない。


俺は、キーボードに手を置いた。


物語は、

神域にまで届いてしまった。


それでも、書く。


それが、

呼び出された理由だからだ。

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