第11話

原初の執事


――終わったはずだった。


ミトラが名を得て、

召喚室の空気がようやく落ち着きを取り戻した、その瞬間。


ぎ、と。


床の魔法陣が、再び音を立てた。


「……え?」


嫌な予感が、背骨を這い上がる。


さっきとは違う。

柔らかさも、慎重さもない。


これは――

世界が、強制的に何かを通そうとしている。


「ミトラ?」


肩の上の神獣が、珍しく身を固くした。


きゅ、と短く鳴く。

それは警戒でも恐怖でもなく、

**“ああ、来たか”**という諦観に近い反応だった。


「待て待て待て」


俺は一歩下がる。


「今日はもう十分イベント起きただろ……?」


返事はない。


魔法陣が、完全に反転した。


召喚式ではない。

顕現式。


学園長ヴァルが、初めて明確に動揺した。


「……馬鹿な」


黄金の瞳が、見開かれる。


「これは、原初階梯の……

いや、原初そのものの陣じゃと?」


空気が、沈む。


魔力ではない。

概念が、圧縮されていく感覚。


そして――


す、と。


音もなく、

一人の男が、そこに立っていた。


黒の燕尾服。

完璧に整えられた白手袋。

銀縁の片眼鏡。


年齢不詳。

だが、老成しきった気配。


頭には角もない。

翼も、尾もない。


それでも。


「……悪魔、じゃと……?」


ヴァルの声が、かすれた。


男は、周囲を一瞥し、

軽く肩をすくめた。


「いやはや。

少々手狭になりましたな」


そして――

俺を見た。


その瞬間。


ぞわり、と。


背後に、

数え切れない“地獄”が重なった気がした。


だが、男は微笑んだ。


それも、

恐怖を与えるための笑みではない。


長年仕えてきた主を見る、忠実な使用人の笑み。


男は、俺の前で片膝をついた。


「お目覚め、おめでとうございます」


流れるような所作。


「我が主」


「……はい?」


思考が、完全に停止する。


「い、いや、ちょっと待ってくれ」


俺は両手を振った。


「俺、今ここで初めてあんた見たんだけど!?」


男は、少しだけ目を細めた。


「そうでございますな。

“今生”では」


「今生!?」


俺が声を裏返す横で、

ミトラが静かに目を閉じた。


――あ、これ知ってる反応だ。


「紹介が遅れました」


男は立ち上がり、

優雅に一礼する。


「原初悪魔が一柱」


ヴァルが、喉を鳴らした。


「……名は?」


男は、学園長を一瞥した。


その一瞬で、

龍神族の威圧が、完全に無効化された。


「名乗る必要はありませんが……」


一拍。


「強いて言うなら」


男は、俺を見て、微笑む。


「セバス」


「執事です」


沈黙。


召喚室の空気が、完全に凍りつく。


「……は?」


俺の口から、間抜けな声が出た。


「いやいやいやいや、

原初悪魔が執事!?」


「はい」


即答。


「最初から居た、と申しますか」


そう言って、

俺の背後に回り、

いつの間にか用意されていた椅子を引く。


「お疲れでしょう。

お掛けください」


「なんで椅子あるの!?」


「必要になると判断しましたので」


判断基準が怖い。


俺が座ると、

セバスは自然に後ろに立つ。


その姿は、

何十年も仕えてきた執事そのものだった。


ヴァルは、完全に言葉を失っていた。


龍神族の学園長。

世界随一の魔法学園の長。


その男が、

原初悪魔の前で硬直している。


「……主よ」


セバスが、穏やかに言う。


「覚醒が進んでおります」

「神獣ミトラ様も、完全に戻られたご様子」


「戻ったって何が!?」


俺は半ば叫ぶ。


「俺、ただの作家なんだけど!?」


セバスは、にこやかに答えた。


「ええ。存じております」


「では、なぜ――」


「物語の語り部は、

往々にして――」


一瞬、

彼の瞳が地獄の底の色に染まる。


「物語そのものだからです」


ヴァルが、震える声で呟いた。


「……これは、学園の問題ではない」


黄金の瞳が、俺を見る。


「世界の根幹に関わる事態じゃ……」


俺は、頭を抱えた。


「……ちょっと待ってくれ」


ミトラが、俺の肩で小さく鳴く。


――きゅ。


まるで、


「今さら?」


と言っているようだった。

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