第10話

名を持つもの


召喚室は、異様な静けさに包まれていた。


結界は展開されたまま。

魔法陣は低く唸り、まるで呼吸しているようだ。


学園長ヴァル=グランディオは、腕を組み、

床に立つ小さな存在を見下ろしていた。


「……お主」


声は、龍神族としてではなく、

一人の魔法探究者としてのものだった。


「その神獣、名を問われておる」


俺は息を呑んだ。


「名を……?」


ヴァルは頷く。


「神獣は、名を持たぬ限り“世界に定着せぬ”

逆に言えば――

名を得た瞬間、その在り方は確定する」


俺は、足元の相棒を見た。


イタチのような小さな身体。

丸い耳。

柔らかな毛並み。


だが、その奥にある静けさは、

今まで出会ったどんな存在とも違う。


「……無理に名付けるつもりはない」


俺は、ゆっくりと言った。


「名は、呼ぶ側の都合で与えるものじゃない。

もし、名乗るなら――

自分で、だ」


その言葉に、

ヴァルの黄金の瞳が、わずかに見開かれた。


「ほう……」


次の瞬間。


相棒が、こちらを見上げた。


その瞳に、

これまでなかった深さが宿る。


――世界が、静止した。


音が消え、

魔法陣の光が、すべて相棒へと収束する。


俺の胸の奥で、

召喚契約が――書き換えられていく感覚。


主従ではない。

支配でもない。


対等な“名の共有”。


そして――


相棒は、口を開いた。


声は小さかった。

だが、確かに言葉だった。


「――我が名は」


その瞬間、

召喚室の天井に刻まれた古代文字が、

一斉に反転する。


ヴァルが、低く息を吸った。


「……まさか」


小さな神獣は、続ける。


「ミトラ」


名が、世界に落ちた。


雷鳴も、爆発もない。

ただ――

世界が“納得した”感覚だけがあった。


俺の内側に、

新しい回路が完全に接続される。


魔力ではない。

もっと深い、概念の層。


「ミトラ……」


俺が名を呼ぶと、

ミトラは、安心したように目を細めた。


――きゅ。


その鳴き声は、もう動物のものではない。


ヴァルが、ゆっくりと片膝をついた。


龍神族が、

一介の召喚獣に対して行う姿勢ではない。


「……神獣ミトラ


その声は、厳粛だった。


「古き名じゃ。

太陽、契約、循環を司る概念の名」


俺は、息を忘れていた。


「それって……」


「神話級じゃ」


ヴァルは、はっきりと言った。


「しかも、失われたはずの原初名」


召喚室の結界が、静かに解除される。


だが、

その場にいた全員が理解していた。


これは終わりではない。


むしろ――

始まってしまったのだと。


ミトラは、俺の肩に跳び乗り、

小さく頭を擦りつけてくる。


その仕草は、今までと何も変わらない。


だが――


「よろしくな、ミトラ」


俺がそう言うと、

世界のどこか遠くで、

古い神々が一斉に目を覚ました。


それを、俺はまだ知らない。

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