やえと悠真
何も頭に入ってこない。そもそも俺の頭に数字を入れようとすることが間違っているのだ。日本語だってまともに入ってこないんだから、数字や英語を理解しようとするなんて無理なことだった。
「悠真ァ、生きてる?」
「死んでる」
「やばいなお前、今まで一応赤点は回避してたじゃん」
「今回はまじでやばい、わかんねえ、理解ができない、問題文を読む気すら起きねえ」
「うわ……」
クラスメイトがドン引きしているのがわかる。もう頼む俺を放っておいてくれ……。
教室残ってるやつは他にもたくさんいる。テスト1週間前は部活禁止だっていうから、みんな本格的に勉強しだしたんだ。やめろ、これ以上俺を置いてかないでくれ……。
教科書に顔を埋めていると「つかさー」とクラスメイトが何気なく言った。
「あの子お前の幼なじみなんだろ?ほらあの、なんだっけ、波瀬さん?波瀬さんに教えてもらえば?めちゃくちゃ頭いいんだろ?」
ぴく、と身体が反応したのがわかる。思い浮かぶのはもう何年も何年も恋焦がれている幼なじみの……俺を見る冷たい瞳。
「んなことしたら今度こそゼッテー嫌われる……」
「え、今は嫌われてねえんだ」
「今も怪しい……」
「ええ……」
幼なじみとはクラスは違うが、前回の中間テストでクラス1位だったと風のうわさで聞いた。直接本人に聞いたら「なんでもいいでしょ」で片づけられたので本当かどうかはわかんねえけど、あいつの頭の良さから考えるとおかしな話じゃない。
高校受験のときにも頼って頼って頼りまくって、最終的には丸めた教科書でぶん殴られるくらい苛つかせてしまったので、もう寄りかかるわけにはいかねえ。つーか毎回好きな子に助けてもらうとかダサすぎる。
今度こそ自力で何とか!と意気込み、教科書を見て撃沈の繰り返しだ。このループから抜け出せない。留年待ったなし。
「ま、頑張れよ……」
「うおおおおおお……」
頭を抱えて塞ぎこむ。頑張れ俺。自力で赤点を回避して、俺もできるんだってことをやえに見せたい。できれば褒めてほしい。そんな淡い願いを込めて、俺はもう一度頑張って教科書を開いてみた。5秒で撃沈した。
「まだ残ってるの?」
「いやまあ残ってるだけだけど、全然頭に入ってこねえし…………やえ!?」
ガタン、大きな音を立てて俺はひっくり返った。やえはそんな俺を見ても真顔だ。リュックを背負っているところから見ると、今帰るところなんだろう。
やえこと波瀬八重花、俺の幼なじみだ。物心ついたときにはもう一緒にいたから、10年以上の付き合いになる。
なんかこのクラスに用でもあんのかな、と思ったけれど、もう教室には俺しか残っていなかった。誰に用事だ、なんて思っていたら、なぜかやえは俺の前の席に静かに座った。俺がぽかんとしている間に、やえは鞄の中からノートと筆箱を取り出した。
「とりあえず絶対出るところ付箋貼っとくから。暗記科目と現代文の漢字と、あと英単語のところは死ぬ気で覚えて。数学は最初の計算問題さえ解ければ赤点は絶対取らないから、文章題は捨ててひたすら計算」
「……え」
「コミュ英はリスニング必須だけど……ネットで教科書の読み上げ動画とか載ってるから、寝る前とかにさらっと聞いておくといいかも。あと本文も、意味全部理解しようとしなくていいから発音はできるようにして」
「……」
「……あと私のノートのコピー、あげる。満点は取れなくても赤点は回避できると思うから」
一気にそうまくし立てるやえに俺は絶句した。何も言葉が出てこない。
「下校時刻まであと30分か……。数学、範囲の最初からわかんないの?」
「わ……かんねえ」
「じゃ、公式の見直しからやろう。とにかく計算ね、数こなすしかないから数学は」
そう言って、やえは俺のノートに公式を書き始めた。相変わらず教科書の手本みたいな字だな、と思っていると、やえが不意に俺を見上げる。
「あのさ、私別に嫌じゃないから」
「……え?」
「そりゃ毎日は無理だけど、時々なら見れるよ、悠真の勉強くらい。私の復習にもなるし。っていうか悠真に付き合って成績落とすほど馬鹿じゃないから」
きっぱりそう言い切られて、俺はもう何も言えなかった。
やえの指が「ほらここ」と公式を指したので、「おう」と返事して意識を勉強に戻す。
下校時刻までの30分、やえはひとつも嫌な顔をせずに俺に勉強を教えてくれた。教師よりわかりやすいそれに俺は感激して、何度も何度も頷いた。下校のチャイムが鳴ったころには頭がパンパンで、だけど不思議な達成感に包まれていた。
「やえ、さんきゅー!なんとかなりそうだ、俺!」
「は?テスト舐めんな。帰ってからも復習して」
「はい。すみません」
ぎろりと睨まれたので小さくなるしかない俺。情けねえ……。
淡々と後片付けをするやえ。ぼーっとそれを見てると、
「早く支度しなよ、先生見回りに来るよ」
「え、あ……ああ」
「早く帰ろう」
やえはひょいとリュックを背負った。
そのまま無言でドアに向かって去っていくやえに、
「や、やえ!」
「何」
「送ってく!!」
「送るっていうか帰り道一緒なんだけど。同じマンションなんだから」
やえの目は相変わらずスンってしてて、声の温度はすごく低くて、だけどすげえ優しいってこと、俺はちゃんと知ってる。こんなバカな俺に何度も何度も付き合ってくれるのはやえしかいない。
「やえ!」
「何」
「好きだ!」
「うるさい。赤点取ったらぶっ飛ばすから」
「ウス!!」
余談だが、俺は見事に赤点を回避して担任に嬉し涙を流させた。やえは「あっそ」と言ってそっぽを向いてから、「よかったね」と小さく、小さく呟いた。
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