第六話:確信の季節、三つの影が描くもの
世界というものは、一度「理(ことわり)」が定まってしまえば、驚くほど滑らかに回り始める。
学園内における僕――清居 春樹の立ち位置は、わずか一週間足らずで「二大美少女に狙われる不届き者」から、「彼女たちが彼女たちらしく在るための、不可侵の核(コア)」へと昇華されていた。
もはや、僕を妬んで絡んでくる者はいない。それどころか、僕が廊下を歩けば、モーセの十戒のごとく自然に道が開く。それは敬意というよりは、「彼を不快にさせれば、あの二人の逆鱗に触れる」という生存本能に近い畏怖の現れだった。
放課後の中庭。大きな欅の木の下にあるベンチは、いつの間にか僕ら三人の指定席になっていた。
周囲の生徒たちは、遠巻きにその光景を眺めている。まるで、完成された名画に指一つ触れてはいけないと悟った観衆のように。その視線の雨の中で、僕は左右から押し寄せる、二つの異なる熱量に身を委ねていた。
「春樹、ここ。マイナスの符号、また忘れてるわよ。あんた、論理的なくせにこういう単純なミスを平気でするんだから。……私がこうして、一文字ずつ糸を繋ぎ直してあげないと、あんたの思考はすぐにバラバラになっちゃうんだからね」
右側に座る朝比奈 紬が、僕のノートを覗き込みながら、シャープペンシルの先でツンと僕の指を叩いた。
厳しい口調とは裏腹に、彼女の肩は僕の腕にぴったりと密着している。その温もりは、幼馴染という特権をこれ以上なく誇示する、静かな主張だった。
「紬様は、随分と厳しい先生どすなぁ。……春樹様、そんなに根を詰めはったら、お疲れになってしまいますわ。ほら、少しだけ力を抜いておくれやす」
左側に座る九条 志乃が、僕の肩にそっと頭を預けた。
彼女が動くたびに、春の陽だまりを煮詰めたような、甘く清冽な香りが僕の鼻腔をくすぐる。
彼女は手にした文庫本から目を離さず、けれどその細い指先は、僕の制服の裾を強く、強く握りしめていた。まるで、一瞬でも気を抜けば、僕という「光」が消えてしまうのを恐れているかのように。
「……二人とも、近すぎるよ。周囲がこっちを見てる」
「いいじゃない。見たい奴には見せておけばいいのよ。あんたが私の糸の一部だってこと、この学園の連中に刻み込んでおかないといけないんだから」
「ふふ。紬様の仰る通り。……春樹様、ここは既に私たちの『聖域』どす。不純物が入り込む余地など、一寸たりともあらへんのですよ」
紬が僕の右腕を抱き込み、志乃が左腕を自らの胸元へと引き寄せる。
かつての「火花散る敵対」は、今や高度に管理された均衡へと変貌していた。一人が僕に触れれば、もう一人も同じだけの重さで僕に触れる。それは愛情の競い合いであると同時に、僕を逃がさないための、二人の共犯者による「檻」のようでもあった。
そんな折、一人の下級生が、震える足取りでこちらに近づいてきた。
彼は志乃の美貌に目を奪われた少年だった。手には、昨日から何度も書き直したであろうラブレターが握られている。彼は紬と僕の存在に気圧されながらも、志乃の前に立ち、声を絞り出した。
「く、九条先輩! ずっと好きでした! これ、読んでください!」
周囲に、緊張が走る。
志乃は文庫本をゆっくりと閉じ、その少年へ視線を向けた。彼女の顔には、はんなりとした、どこまでも優しい微笑みが浮かんでいる。だが、その瞳の奥には、一滴の感情も混じっていない。
「おおきに。お気持ちは嬉しいどす」
志乃は少年の手から手紙を受け取ることもせず、ただ静かに、絶望的なほど穏やかに言葉を紡いだ。
「けれど……困りましたわ。私の心には、春樹様という陽だまりが既に根を張っておりますの。他の光が入る隙間など、どこにもあらへんのですわ。……貴方様のお気持ちを、私が預かってしまったら、それは春樹様への『不誠実』になってしまいます」
少年の顔から、血の気が引いていく。志乃の拒絶は、あまりに完璧な「正論」だった。
紬はその光景を黙って眺めていた。以前なら、嫉妬を露わにして割り込んでいたはずだが、今の彼女は、志乃のその「拒絶の作法」を、自分たちに共通する権利として当然のように受け入れていた。
「聞こえたでしょ。……消えなさい。あんたの入り込む余地なんて、私たちの糸の隙間には一ミリもないわよ」
紬の冷徹な一撃が、少年に引導を渡した。
少年が逃げるように去った後、二人は再び、何事もなかったかのように僕を左右から挟み込んだ。
「……春樹様。少し、空気が濁ってしまいましたね。……今夜は、もっと静かな場所で、私の呼吸を聞いていただきたいものです」
「志乃さん、抜け駆けは禁止って言ったでしょ。……春樹、明日は私と二人きりで帰りなさいよ。十年の続きを、もっと深く紡ぎ直したいんだから」
僕は、二人の温度を感じながら、胸の内で思考を巡らせていた。
構造。論理。因果。
僕がこれまでに導き出したどんな数式も、今、僕の隣で微笑む二人の少女を同時に救う解を示してはくれない。
(どちらかを選ぶことは、もう一人の存在を否定することになる)
紬が僕を「糸」と呼び、志乃が僕を「陽だまり」と呼ぶ。
糸を切れば布は解け、光を遮れば花は枯れる。
どちらかを「一般的」に選ぶという行為こそが、僕にとっては最も不誠実で、残虐な破壊に他ならないのだ。
ふと、紬と志乃が僕の頭越しに、視線を交わした。
それは、廊下で見せた、あの「秘密の協定」を象徴する、密やかな、けれど確固たる信頼の合図。
「春樹。あんた、何を難しい顔してるのよ。……どうせ、答えが出なくて悩んでるんでしょ」
「ふふ、春樹様。貴方の優しさは、時に残酷どす。……けれど、私たちは準備ができておりますのよ?」
二人の言葉が、夕暮れの風に溶ける。
僕は気づいた。
僕が彼女たちを救おうとしているのではない。
彼女たちが、僕という人間が「どちらも選べない」ことを理解した上で、その不条理な答えを僕に選ばせるための外堀を、完璧に埋めているのだということに。
「……二人とも」
僕はペンを置き、二人を見つめた。
明日には、答えを出さなければならない。
それは、既存の恋愛(ラブコメ)の構造を根底から覆す、あまりにも傲慢で、けれどこれ以上なく慈愛に満ちた、僕たち三人のための「新しい論理」。
「明日。……放課後、また教室で。答えを言うよ」
紬が不敵に笑い、志乃が深く、艶やかに頷く。
三人の歩幅が、一歩、また一歩と、一つの終着点へと近づいていく。
それが幸福への階段なのか、それとも美しい奈落への入り口なのか。
その答えを知っているのは、僕らを繋ぐ、このあまりに純粋で、あまりに歪な「愛の形」だけだった。
次の更新予定
二人の完璧なヒロインに同時告白された。――どちらか一人なんて、そんな不完全な選択、僕にはできない 淡綴(あわつづり) @muniyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。二人の完璧なヒロインに同時告白された。――どちらか一人なんて、そんな不完全な選択、僕にはできないの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。