第3話 クロエのメッセージと、サクラのこたえ

 スマホを没収されてから、クロエの世界はまるで白黒の世界に変わった。家では父の監視がより厳しくなり、食事の時間はまるで公開処刑のようだった。母は、父親を恐れてクロエの腫れた頬に保冷剤を当てることすらしなかった。

(……サクラちゃん、今日も配信してるかな)

 学校の教室でも、クロエの頭にあるのはそれだけだった。サクランボたちの賑やかなコメント欄。不器用だけど温かい、あの場所。そこから切り離された自分は、冷たい路地裏に放り出された迷子のようだった。


 放課後、クロエは吸い寄せられるように図書室へ向かった。放課後の図書室を訪れる児童は少ない。秘密のノートを広げると、笑顔の、怒り顔の、泣き顔の、照れ顔の、さまざまな表情のサクラのファンアートが描かれていた。自宅で勉強のふりをしつつ配信を見ながら描き貯めたものだ。

今のクロエにはその絵を見ながら想像の世界での配信を見る事しか出来ない。

空想にふける中、ふと横に目をやる。隅には、調べ学習用に開放されている古いデスクトップパソコンが数台並んでいる。

(そうだ…あれを使えば…)

司書の先生が席を外している隙を突き、クロエは素早く一番端の席に座った。

 朝野サクラの公式ページ。そこには配信にメッセージを送れる花びらアイコンがあったはずだ。意を決して、クロエはキーボードを叩く。

 ――どうすれば、自分を変えられますか?  ――私の家は、とても息苦しいです。大好きなものも「ゴミ」だと言われます。――サクラちゃんみたいに、いつか私も誰かを助けられるようになれますか?


 書いているうちに、視界が滲んだ。本当は「今すぐ助けに来て」と叫びたかった。けれど、画面の向こうのサクラに、みじめな自分を知られたくないプライドもあった。クロエは詳細な状況は伏せ、ハンドルネームもいつもの「クロ」ではなく、名無しとして送信ボタンを押した。

「何してるの? 常盤さん」

 突然、後ろから声をかけられ、クロエは心臓が止まるかと思った。振り返ると、同じクラスの女子生徒、佐々木さんが立っていた。調べ物をしていたのか、学校配布のタブレットを手にしている。彼女はクラスでは中心人物ではないにせよ目立つ方で、何かを見通すような知的な印象を持った子だ。

「……なんでも、ない」

 クロエは慌ててブラウザを閉じ、逃げるように図書室を飛び出した。心臓がバクバクと音を立てる。誰かに見られたかもしれない。また父にばれたら…。だが同時に、クロエはあることを思い出した。

 送信完了の画面が網膜に焼き付いていた。あのメッセージは、配信画面の前に座るサクラの元へ届くはずだ。

 その日の夜、クロエは父に隠れて、学校で配布されているタブレットを開いた。以前、どうしても学校で配信が見たくて使えるようにしたのだ。Wi-Fiは切られていない。今夜は、朝野サクラの「お悩み相談&雑談配信」の日。毛布の中に隠れ、クロエは祈るように画面を見つめた。没収されたスマホの代わりに、確かな希望がそこにあった。


 毛布の中は、湿った熱気で息苦しい。それでもクロエは、タブレットの画面を食い入るように見つめていた。音量を最小にし、耳を直接スピーカーに押し当てる。

『……さて、次のお手紙はこれかな。ちょっと重いお悩み、来ちゃったかも』

 サクラの声が、いつものおどけたトーンから、少しだけ真剣なものに変わった。クロエの心臓が、ドクンと大きく跳ねる。

『「どうすれば自分を変えられますか? 私の家はとても息苦しくて、大好きなものもゴミだと言われます。サクラちゃんみたいに、いつか私も誰かを助けられるようになれますか?」……うん、送ってくれてありがとう』

 画面の中で、3Dモデルのサクラが深く頷く。

『大好きなものをゴミだなんて……そんなの間違ってる。サクラがはっきり言ってあげるね。あなたの「好き」っていう気持ち、絶対にゴミなんかじゃないって思う。だって、その気持ちがあるから、今こうしてサクラと繋がってくれてるんでしょ?』

 サクラは少しの間をおいて、歌いかけるような、優しい声で続けた。

『急に変わるなんて無理だよ。今はまだ、戦えなくてもいい。でもね。自分の好きなものを「好き」って思う時だけは、ちょっとだけ、心の中で背筋を伸ばしてみて。それだけでいいの。いつかその「好き」が、あなたを守る盾になるし、誰かを助ける剣にもなるから。サクラも、どんくさいけど……こうして歌って、誰かの力になりたいって思ってる。あなたも、ひとりじゃないよ。ね?サクランボのみんな?』

わっと盛り上がるコメント欄。でも、クロエの心の中ではサクラの言葉が何度も何度も繰り返されていた。

 「ひとりじゃない」

 その言葉が、クロエの耳を通り越して、魂の奥深くまで染み渡っていく。父に否定され、母に見放され、学校で透明人間のように扱われてきたクロエにとって、それは最後に貰ったのがいつだったか思い出せないほどの…無条件の肯定だった。

 画面越しに、サクラがこちらを見つめているような気がした。不器用で、ゲームが下手で、それでも仲間を助けるために泣きながら盾になった彼女。彼女が言うのなら、自分のこの「好き」という気持ちにも、価値があるのかもしれない。

 クロエは暗闇の中で、そっと自分の背筋を伸ばしてみた。まだ体は震えている。頬にさわると感じる鈍い痛みも消えていない。けれど、心の奥底で、何かが音を立てて噛み合った。

(サクラちゃん……。私、もう少しだけ、頑張ってみるね)

 タブレットを閉じ、胸に抱きしめる。階下からは、また父が母を叱責する声が聞こえてくる。けれど、今夜のクロエは、耳を塞がなくても眠りにつけそうな気がした。

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