【世界はまだ歌の途中】歌が嫌いな人の街
街の入口に立ったとき、シンタローは思わず首をかしげた。
「……ここ、もう戻ってません?俺ら以外に誰かいるのかな」
崩れかけた看板は立っているし、道路も一応形を保っている。瓦礫はあるが、他の街に比べれば被害は軽い。
ヒビキは緑の傘を肩に当てて持ったまま、辺りを見渡した。
「さあね。戻ってるように見えるだけかもよ」
空は曇っていた。雨が降る気配はない。それでもヒビキは手に持った傘を揺らして一歩踏み出した。
二人は街の中心へ歩いた。商店街だったらしい通りの道は静まり返り、看板が風で揺れる。
歌声の痕跡は、見当たらない。
「……歌ってなさそうですけど」
「多分、誰も歌ってないからね」
ヒビキがあまりにもあっさりと言うので、シンタローは足を止めた。
「え?どういう……」
「ここ、まだ人がいるよ」
ヒビキが傘の先で指した先。
シャッターの半分閉じた古い喫茶店。その奥で、誰かがこちらを見ていた。
中に入れば、ホコリの匂いとコーヒーの匂いがした。
ホコリの被ったカウンターの向こうにいたのは、白髪混じりで、背筋は伸びた男性だった。
「……歌いに来たのか」
低い声で、感情の読めない声色だった。だが、たった一つだけ分かる。歓迎されてはいないことだ。
ヒビキが軽く手を挙げる。
「まあ、そんなとこです」
「帰ってくれ」
即答だった。
シンタローは言葉を失った。
今まで、人と会ったことはなかったし、ここまできっぱり言われたのは初めてだった。
「どうしてですか」
思わず口に出ていた。男はカウンターを指で叩き、傍らにあった冷め切ったコーヒーを啜る。
「歌は嫌いだ」
「……」
「この街は、最後まで歌ってた」
ヒビキが珍しく、真面目な顔をして、ホコリなんて気にせずカウンターに乗り出した。
「どういうことですか?」
「昔、流行りの歌があった。どこでも流れてた。誰もが口ずさんでた。……妻も、娘も」
男は少しだけ目を伏せ、声のトーンを落とした。
「……終わるときも、その歌を歌っていた」
店内が静まり返る。外で、風が鳴った。
「歌は、思い出を連れてくる。忘れたかったものまで、全部だ」
シンタローは、何も言えなくなった。
歌は、世界を生き返らせる。でも、それだけだ。
「だから、この街はこのままでいい」
「……」
「戻らなくていい」
ヒビキはしばらく黙っていたが、やがて軽く息を吐いた。
「……そうですか」
それだけ言って、店を出ようとする。
「ヒビキさん?」
「今日はやめとこ」
シンタローは、慌てて追いかけた。
外に出ると、曇り空の下で街は相変わらず静かだった。雨が降る様子はない。それでもヒビキは緑の傘を広げて差す。
何も変わっていない街の景色。変わらないことが望まれた場所。
「いいんですか」
「いいんじゃない?」
ヒビキは歩きながら言う。シンタローにはヒビキの顔は見えない。
「全部やらなくていいんだよ。歌は、万能じゃないんだから」
その言葉に、シンタローは立ち止まった。胸の奥がざわつく。
「……少しだけでも」
「ん?」
「全部じゃなくていいから。少しだけ、戻すのも……ダメですか」
ヒビキは振り返った。
一瞬だけ、真面目な顔をして、そして肩をすくめる。
「……歌いたいなら、止めないけど」
「……はい!」
シンタローは息を吸った。
手が小刻みに震えている。声がうまく出るかも分からなかった。
それでも、歌いたかった。
小さな声だった。特別上手くもない、拙い歌。
変わったのは、ほんの少し。
道端に、花が一輪咲いた。
割れた地面の隙間から、草が顔を出す。
でもそれ以上、街が戻ることはなかった。
歌い終えたとき、喫茶店の扉が少しだけ開いていた。男が、こちらを見ている。
何も言わない。
ただ、一瞬だけ花に目を向けて、静かに扉を閉めた。
「……怒られませんでしたね」
「まあね」
ヒビキは、いつもの軽い調子に戻って、笑顔を浮かべていた。
「シンちゃん」
「はい」
「世界を戻すってさ、許可制なのかもね」
シンタローは、曇り空を見上げた。
世界はほとんど戻らなかった。でも確かに、何かは残った気がしていた。
二人はまた、歩き出した。歌を必要としない街に背を向けて。
世界はまだ歌の途中 タイヨウ @taiyo0607
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