第二話「オルタの努力」

 すとん、と。表情の抜け落ちた師匠が、腰の鞘に手をかける。

 その所作には、迷いも、殺気さえもない。

 まるで生きるために呼吸をするかのように、喉を潤すために水を飲むかのように。

 ──あまりにも滑らかで、自然すぎる抜刀動作だった。


 その死の静寂をぶち壊したのは、ティアリとピルカだった。

 ドンッ、と。

 師匠の両腕を、二人がかりで強引に押さえつける。


「……ケルちゃん、ダメッ!!」

「ケルネラ様っ!! お気を確かに!!」

「し、師匠……」


 二人の必死な剣幕に気圧されたのか、師匠がスッと柄から手を離し──。

 それを見て、ティアリたちも恐る恐る拘束を解いた。


 解放された師匠は、バツが悪そうに視線を泳がせ、咳払いを一つ。

 乱れた衣服を整え、必死にいつものポーズを取り直す。


「す、すまないっ! ボクとしたことが、少し動転していたようだ──」


「いえ、師匠の気持ちを考えていませんでした。こちらこそすみません。ただ……この機会に、自分の可能性を試してみたいんです。剣の道を完全に捨てる訳ではありません」


 ──流石にビビった。

 まさか師匠がここまで怒るとは思わなかった。


 いやしかし、真意としては。おそらく剣気で俺を脅して、説教でもするつもりだったのだろう。

 師匠は意味もなく剣を抜くような人じゃない。

 ティアリもピルカもあんなに慌てて、大袈裟すぎる気がする。


 師匠がそんなことしないのは前提として。

 仮に多少斬られたとしても、回復すればいいんだしさ……。


 言い方をマズったな、本当に。

 別に剣士をやめるからって、剣を捨てる訳じゃない。

 そんな勿体ないことはしない。

 剣も使える魔導士になればいい。


「そ……そう、か。そういう、意味、なら……」


 ほっ。納得してくれたようだ。


「……だが、本気なのか? 剣士から魔導士への転向だなんて」


 心配そうに師匠が眉を寄せる。

 無理もない。この世界の常識では、それは本来あり得ない選択だからだ。


「ジョブチェンジ、ということですよね?」

「そう簡単な話ではないよ。……魔力運用には適性がある。ボクたち剣士や戦士──『内』に籠めるのが得意なタイプは、『外』に出すのが苦手だ。水と油のように、決して両立できない」


 師匠がティアリに言ったことは事実だ。

 剣士から魔導士に転向するにあたって必要なのは、魔導出力の向上。


 剣士や戦士が肉体の中で魔力を循環させて身体能力に変換するのと異なり、魔導士は自身の体の外側で魔力を扱わなくてはならない。

 つまり自身の外側……空気中に遍在する元素への干渉、その感覚を掴む必要がある。


 だが、内側で魔力を循環させるのが得意な体質なら、外側に干渉することは難しい。

 逆に外側に干渉するのが得意な体質なら、内側で処理するのは難しくなる。

 それぞれ、必要とされる技術のハードルが非常に高くなってしまう。


 魔導士適性のある者が長年かけて剣士になったとしても、その力はたかが知れている。よくて二流止まりだ。

 逆も然り。


 だから、多くの者は戦士や剣士、魔導士のいずれかを選びその道を極める。

 小隊を組んで、それぞれの才に見合った役割を全うする。合理的なセオリーだ。


 俺──オルタ・Bの適性は、内側で魔力を循環させる方にある。

 生まれながらの体質として、魔導士には向いていない。


「そうです、よね……。それに、オルタくんはずっと剣士として体を鍛え上げてきたんです。今から魔導士を目指すなんて……そんなの酷ですよ。やっぱり、お家でゆっくりしていましょう? 辛くて痛いことなんて……ない方がいいんですから」


 ……俺の知っているティアリは、そんなことは言わない子だった。

 俺が凹んでいるときは、ケツを叩いて「一緒に頑張りましょう!」と叱咤してくれる子だった。

 ──俺の選択が、彼女を変えてしまったのか。

 ……でも、酷……か。二人とも、『無理』とは言わないんだな。


「ピル、カは……オルタのためなら、なんでもする……っ。オルタのやること、全部正しいって、信じる……」

「……嬉しいが、間違ってると思ったときは素直に言ってくれ」

「分かった。そうする……」


 とにかく皆、それぞれの形で俺を信じ、案じてくれている。

 ──早く、安心させてやらないと。


「良い考えがある」


 魔力適性、魔力体質、というが……魔力は目には見えないし、物理的制約を受けるモノでもない。

 ようは、魔力や元素という概念に対する、無意識下の認識……接し方の問題なのだ。


 理屈で言えば、意識のコツさえつかめばこのトレードオフは破壊できる。

 そしてそれを獲得するためには──。

 今の俺に見えないものを、見るためには──。


 ……多少強引だが、あの方法が一番手っ取り早いだろう。


「ピルカ、出かけるぞ」

「──うん。わかった」


 とろん、と。

 ピルカの瞳が、蕩けるような熱を帯びて潤んだ。

 うーん……不健全だなぁ……。


「そんなっ。オルタくん、だめです……! そんな体で、どこに……っ。もう、いいじゃ、ないですか。頑張らなくたって、もう……」

「……ティアリ、俺は──」

「……大丈夫。ピルカが守るから……。ティアちゃん……安心して、待ってて」

「──っ。分かり、ました」


 ……ピルカに説得してもらえて、正直助かった。


 ……好きな人と意見を対立させ続けるのは……かなり胃が痛い。

 ティアリの言う通り、剣を置いて、安全な場所で日銭を稼いで暮らす。

 そんな選択肢も、普通のファンタジーならあり得たのかもしれない。


 だけど、ここは『AoD』だ。

 平等に残酷で、救いようのない最悪の世界だ。

 激重ダークファンタジーの刃の切っ先は、俺たちが幸せに浸っている隙を虎視眈々と狙っている。


 俺に、ストーリーに関する知識はない。

 SNSで同胞の阿鼻叫喚っぷりを、他人事のように流していただけだ。

 こうなると分かっていたなら、絶対見ていたというのに……いや、今更悔やんでも遅い。


 ないものねだりはやめだ。

 俺は、俺の手札で最強を目指す。

 皆を守る鉄壁の盾に……俺自身がなるために。


 ベッドの脇に立て掛けてあった杖を手に取る。

 無骨な木の杖だ。だが、コイツがこれからの俺の相棒──なくした脚の代わりだ。

 

 カツン。

 乾いた音が、静まり返った部屋に響く。

 俺は──ピルカと共に、眩しい日差しの中へと踏み出した。




 ■ ■ ■


 杖をつき、ピルカの小さな肩を借りて街を歩く。

 実際足がなくなってみると、なるほど、滅茶苦茶不便だ。

 それは何も……物理的な意味合いだけではない。


 すれ違う人々がギョッとした顔で足を止め、慌てて笑顔を作ってくる。


「あ、ああ……オルタさん。げ、元気そうでよかった……!! 今夜は祝杯だな……!!」

「オルタさん……っ。何か困ったことがあったら、すぐに言ってくださいね。俺たち皆、あんたたちには恩があるんだから」

「ぶ、無事でよかった……本当によかったわぁ……! ほら、リンゴ持っていきな! サービスだよ」


 俺の眠っていた一ヶ月を含めると、この街『凌雲リョウウン』に滞在した期間は一年を超えており、すれ違う人は皆温かな交流のある知り合いだ。


 足を見て、過剰に心配する者。

 逆に、足を見ようとせず、過剰に明るく振舞う者。

 いずれにせよその優しさが、俺と彼らの間に『健常者』と『障害者』という明確な線を引いていく。


 これは、善意であるが故に──なんというか、くるものがあるな。

 ティアリが俺を外に出したくない理由の一つは、これなのかもしれない。


 勿論彼らが悪いわけじゃない。彼らの善意をそのままの形で受け取ることができない、俺の弱さの問題だ。

 ……これは、なんと返せばいいんだ。

 返答に窮してしまった──その刹那。


「わーい! リンゴだー! おばちゃんありがと〜! だぁいすきっ♡」


 ピルカが元気よく割り込み、俺の手からリンゴをひったくった。


「でもでもっ、ピルカたち、今からとっても大事な用事があるんだから! 長話はおあずけなの!」

「おっと、そりゃ悪かったねぇピルカちゃん。邪魔しちゃいけないね」

「えっへへ~、わかればよろしい! ……じゃあ行くよ、オルちゃん! 皆、またね〜っ♡」

「──ああ。行ってらっしゃい」


 笑いながら、ピルカが俺の手を引く。

 その屈託のなさに、張り詰めていた肩の力が抜けていくのが分かった。

 街の人たちも、ピルカの明るさにさぞ救われたことだろう。


 いつもの。……いつもの、ピルカだ。

 俺の知っている、無邪気で可愛いピルカ。

 その変わらない姿に、俺はすっかり安心してしまった。


「ありがとうな、ピルカ。やっぱりお前が明るく笑っててくれると、俺も救われるよ」


 俺は心からの感謝として、そう言ったつもりだった。

 ……だが。

 繋いだ手がビクリと強張り、ピルカの足がピタリと止まった。


「……オル、ちゃん……。前みたいに、元気いっぱいなピルカの方が、嬉しい……?」


 その問いかけは、鋭利な刃物のように俺の心臓を抉った。

 しくじった。しまった。

 俺はたった今、彼女の無茶を、演技を……肯定してしまったのか。


「……ちが……」


 否定しようとして、言葉が詰まる。

 いや、何も違わない。俺は確かにいつもの明るいピルカを求めていた。

 ただ、それは……ピルカに無理をしてほしくないという意味だったはずなのに。


 違うと言えば、先の頑張りを否定することになる。

 だが肯定すれば、ピルカは進んで無理をしてしまうようになるだろう。

 どちらを選んでも、今の彼女を傷つける。


 ……俺は、どうすればよかった? どうすればいい?


「ピルカ……わかんない。わかんないの……なーんにも、分かんない……」


 ぎゅっと、俺の腰に回された腕に力がこもる。


「神聖魔法、覚えたんだよ……。教会に通って、いっぱい寝ずに頑張って……でも、ティアちゃんも、ケルちゃんも……治せないの……」


 ピルカが言っているのは、外傷のことではない。心の傷のことだ。

 今回の件で、最も深く傷ついているのは──皮肉にも、五体満足な彼女たちの方だ。


 身体を代償に捧げたあの瞬間、俺は確かにこれでいい、と思った。だが、それではダメだった。

 その事実に、胃が引き裂けそうになる。

 俺がもっと強ければ、別の方法を……選べたかもしれない。


「ピルカは、ティアちゃんの言ってることも、ケルちゃんの悩みも、何も分かんないの。ピルカも、皆も、変わっちゃった。どうすれば、いいのかなぁ……っ」

「……俺も分からない。今ピルカに、なんて言ったらいいかさえ分からないんだ……。でも、とにかく安心させてやりたくて。……だから俺はもっと強くなるよ、ピルカ」

「……ピルカは? ピルカは……次は、どうすればいいの?」


 縋るような上目遣い。

 今の彼女には、何かしらの『役割』が必要なのだろう。

 そうでなければ自分の存在価値を見失ってしまうほどに、彼女もまた追い詰められている。


 ああ、クソッ。俺の前世はゲーマーだ。カウンセラーでも何でもない。

 むしろ、感情を排したシンプルな合理でモノを考えてしまう悪癖さえある。


 今世の俺──オルタ・Bは、もっと不合理でパッションの強い熱血気質な人間だったような気がするが……。

 前世の記憶に引っ張られて、俺の性格も多少変わっているんだろう。

 とにかく、こういうのは致命的に向いていない。


「……そう、だな……。じゃあ、二人に話を聞いてみるのはどうだ? すぐには解決できなくても……話すだけで心が軽くなるってこともあるだろ」

「……ピルカも、今……オルちゃんに話して、楽に……なってる。でも……なんだろ。すごく、自分が……嫌いに、なりそうで」

「いいか、人に頼るのは悪い事じゃない。むしろ凄いことだ。偉いぞピルカ。俺は話してくれて嬉しい」

「そう、なの? ……ぇへ、へ……」


 ふにゃりと、ピルカの目尻が下がる。

 俺の言葉を反芻するように咀嚼して、その甘い味を噛み締めているようだ。

 そして、褒められたのがよほど嬉しかったのか、その表情は花が咲いたようにパッと明るくなった。

 さっきまでの、光のない瞳が嘘のようだ。


 ……今度は、選択を間違えずに済んだらしい。

 やっぱりピルカには、こういう年相応の笑顔が一番似合う。

 ──まぁ、百歳超えてるらしいけど。


「……でも、そうだな。師匠もティアリもその辺頑固だからな……。ピルカに、俺の代わりを頼んでもいいか?」


 不健全かもしれないが……今のピルカには任務が必要だ。

 それに実際、これはいい提案だと思う。

 目覚めてからしばらくの間、共に過ごして分かったことだが──師匠もティアリも、心の底を俺に見せてはくれない。はぐらかされる。

 師匠は何かを隠しているし、ティアリは『平穏な日常』に執着している。


 同じ目線で悩んでいるピルカだからこそ、引き出せる本音や、癒やせる傷がきっとあるはずだ。

 ピルカにとっても、二人との交流が心の癒しになってくれたらいい。


「……ん。わかった。任せて──オルちゃん」


 そうする中で、自信や元気を取り戻してくれたら、それが一番だ。

 居たい姿でいればいい、なんて言ったけれど。

 やっぱり今の、怯えるように顔色を伺うピルカは……あまりにも痛々しすぎるから。




 ■ ■ ■


 危険指定区域ダンジョン

 自然に存在する魔境、あるいは人工的に作られた施設……ひっくるめて、人類にとって脅威となる場所の総称だ。


 これらはそこに生息する魔物の強さや環境の過酷さによって、厳密にランク分けされている。

 冒険者の等級は、このランクへの適応能力を示したものに過ぎない。


 たとえば。

 二級の危険指定区域で生存し、平常時の依頼、任務を遂行できると認められた者は、二級冒険者を名乗ることを許される。


 つまり、等級は強さの証明であると同時に、潜入可能な死地の許可証でもあるわけだ。

 俺は一級冒険者だから、基本的にはどの危険指定区域ダンジョンであっても入れる。


 ……【深淵竜ジョルジュ・ネクラ】と出会った危険指定区域ダンジョンは、三級の森林地帯『清景森セイケイシン』だった。

 凶暴な魔物が少ない上に気候も安定している、どこにでもあるような普通の森だ。

 商人の往来する大きな街道の近くにあるため、掃討依頼の絶えない現場だが──。

 冒険者にとっては死から遠い、安全な場所。


 如何にイレギュラーな事態であったかが、お分かりいただけるだろう。

 俺は正直、人為的な工作の類……たとえば召喚魔法の行使を疑っている。

 俺たちはとある闇ギルドに因縁があり、恨みを買っているからだ。


 今回訪れたのは、人工危険指定区域ダンジョン養禍苑ヨウカエン』だ。

 階層のある地下空間。

 深く潜れば潜るほど強力な魔物が出現する仕様で、階層ごとにランク分けされている。


 魔物の発生を人工的にここに集中させて処理する、バリバリ現役の国家管理施設。

 俺たちが今いる国のデカイ街には、必ずこいつがある。『凌雲リョウウン』も例外ではない。

 自然の魔境で魔物を狩るよりも、ずっと効率的に魔物由来の素材を集められるからだ。

 冒険者へのサポートも手厚い。


 サポートというのは……たとえば、これだ。

 受付カウンターの女性が、事務的な笑顔で俺のギルドカードを読み取る。


「一級冒険者小隊パーティ『黄昏』二名様ですね。本日はどちらまで?」

「十層です。よろしくお願いします」


 十層──すなわち、一級の危険度を誇る最深部。


「かしこまりました。それでは十層までご案内いたします。私の手におつかまりくださいませ」


 言われるがまま手を取ると──ガイドの女性が術式の刻まれた札を指に挟み、空間を切り裂くように振るう。

 途端に景色が裏返り、俺たちは目的の階層へと立っていた。

 ……国が威信をかけてつくりあげた、世界最高峰の魔導インフラだ。

 

「お姉ちゃんありがと~♡」

「ありがとうございました」


 ガイドに礼を言い、安全地帯の結界を一歩またぐ。


「オルちゃん……それで、どうするの……?」

「俺は魔法を撃ち続ける。そこを魔物にコテンパンにされると思うから、その度に回復してくれ」

「……オル、ちゃん……?」


 ピルカの表情が凍りついた。

 ……いや、そうだよな。その反応が当然ではあるんだが……必要な過程だ。

 なんとか納得してもらわなければ。


「強くなるために必要な儀式とでも思ってくれればいい。頼んだぞ、ピルカ」


 言い含め、俺は適当な方向へ雷魔法を放つ。

 殺意を感知した魔物たちが押し寄せてくる。


 上空から、三つの首からそれぞれ火、風、雷のブレスを吐く一級魔物【トライ・ドラゴン】が急降下してくる。

 後方には、宙に浮く巨大な眼球──二級魔物【イビル・アイ】の群れが、不気味な充填音と共に熱線の照準を合わせていた。


 俺は魔力の循環による身体強化を完全に切って、生身の人間として戦場に立つ。

 当然、こんなことをすれば──。


「ぐ、ぁ゛……っ」


 空を埋め尽くす眼球から、幾重もの赤熱光線が雨のように降り注ぐ。

 それと同時に、ドラゴンの三つのあぎとが限界まで開かれた。

 吐き出される、紅蓮の炎、真空の刃、紫電の雷。


 異なる三属性の暴威が螺旋を描いて混じり合い、回避不能の嵐となって俺へと殺到した。


「……オル、ちゃん……ッ!」


 肉が焼け焦げる異臭と、骨まで響く衝撃。

 脳へ送られる痛覚を、理性の壁で強制シャットアウトする。


 炭化し、崩れ落ちそうになった皮膚を、ピルカの放つ再生の炎が無理やり縫い合わせていく。

 焼かれ、抉られ、瞬きする間に元通りになる。

 破壊と再生の速度が拮抗し、俺の肉体という器の中で火花を散らす。


「いい、ぞ。ピル、カ……その、調子、だ……ッ!!」

「ぁ……う、ん……ッ」


 俺が今やっているのは、魔力の経路、その感覚を知り尽くす試みだ。

 自分が放出する攻撃魔法。魔物から受ける攻撃魔法。ピルカから受ける回復魔法。


 三方向からの負荷を同時にかけ、その感覚が集中する一点。

 それこそが、俺の魔力が体外へ飛び出すための出口……掴み取るべきイメージだ。


 


 果たして、何十回目だろうか。

 視界が赤く染まり、耳鳴りがキーンと脳を揺らす。

 意識がとろけ、自分が生きているのか死んでいるのかさえ曖昧になってきたその刹那。


 フッ、と。

 雑音が消えた。熱も、痛みも、焦燥感も。

 全てが遠のいた静寂の中で、たった一本の、光り輝く点だけが明瞭に浮かび上がった。


 ──ああ、ここだ。


 泥沼の中でもがき続けた指先が、ついに真理の鍵穴を捉えて──。

 カチリ、と。脳の奥で重い扉が開く音がした。


「……見つけた」


 掴み取った感覚を頼りに、ありったけの魔力を叩きつける。

 解き放たれた魔力が空気中の元素と混じり合うのが、手に取るように分かる。

 今までとは違う。


 自分の神経が空気に溶け出し、周囲の空間そのものが俺の肉体の一部になったような──全能の感覚。

 体内ではなく、体外の大気そのものを鷲掴みにする。


 解き放たれたのは、紫電の竜巻。

 俺の指先から放たれたそれは、空間そのものを食い破りながら拡散し、視界を埋め尽くす魔物の群れを飲み込んだ。

 断末魔を上げる暇さえ与えない。

 触れた端から原子レベルで分解し、消滅させていく。

 嵐が過ぎ去った後、そこには俺とピルカ以外、動くものは何一つ残されていなかった。


 俺は魔力の扱い、その才能におけるトレードオフの原理を──世界の壁を、打ち破った。


 視界の端で、ピルカが口元を覆う。

 その瞳は、涙で濡れながらも──熱に浮かされたように輝いていた。


「ありがとうな、ピルカ。助かった」

「やっぱり……オルちゃんの言うことは、全部正しいんだ……」


 いやいや。俺が正しいのはゲームの話だけだから……。

 ……ダメだ、聞いてないなこれ。




 ■ ■ ■


「どうして──どうして、そんな、無茶するん、ですか……ッ」


 安全エリアの結界内で待っていたのは、亡霊のように青白い顔をしたティアリだった。

 俺の心臓が早鐘を打つ。

 ……まさか。すべて、見られていたのか。あの負傷と再生の繰り返しを。

 彼女にだけは見せてはいけない。それをうっすら感じていたからこそ、ピルカだけを連れてきたというのに。


「……ついて、きてたのか」

「──ごめん、なさい。信じて、待ってなきゃって……思った、けど……っ」


 ティアリは、顔を覆って崩れ落ちる。

 指の隙間から、止めどない涙が溢れていた。

 彼女は一歩、また一歩と俺に近づき──胸に飛び込んできた。


「でも……私、これ以上オルタくんが……壊れていくところ、なんて……見たくない……ッ! オルタくんがいない、世界なんて……いらない……っ!!」


 彼女は俺の胸板を叩く。

 弱々しい拳。けれどそこには、確かな──。


「……壊れるつもりも、死ぬつもりもないよ。俺は……強くなりたいんだ。もし次、同じことが起きたら……今度は……あの方法じゃ勝てない。皆の明日を守りたいんだよ……。それが……俺たちの意味だったはずだ」


 もっと、良い方法があったなら。誰も心配させない方法があるのなら、俺だってそうしている。

 ……だけどこの世界には、そんなものはないんだ。


 それでも……。

 明日を守るために、今日のティアリを泣かせることが。

 ──本当に俺の、最善なのだろうか。


 俺の腕の中で震える彼女の熱が──。

 冷たくなった俺の胸を、痛いほどに灼いた。

 

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全滅イベントを華麗に回避したらパーティ全員曇った。俺が頑張って最強になれば安心させられるからヨシ! いる科 @Maryc

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