7 王都の門、鋼鉄の蹄と乙女の矜持
「わわっ! あれが王都『アウレリア』ですか? お城が空に浮いてますよ!」
馬車の窓から身を乗り出し、ミアが感嘆の声を上げる。街道の先に姿を現した王都は、辺境の街とはなにもかもが違っていた。白亜の城壁は雲を突き抜けるほどに高く、その上空には魔力によって浮遊する観測塔や、王族の住まう離宮が浮かんでいる。
なによりも俺の目を引いたのは街の中心に鎮座する巨大な円形競技場――王立魔導スタジアムだ。前世で見た東京競馬場やロンシャン競馬場すら霞んで見えるほどの威容。観客収容数は数十万――コースには魔力の粒子が霧のように立ち込め幻想的な輝きを放っている。
「ふん、相変わらず虚飾と無駄な魔力消費の塊みたいな街ね。吐き気がするわ」
セリアが冷ややかに言い放つ。その瞳はいつになく鋭くなにかを決意したような強さが宿っていた。
「さあ、着いたわよ。レン、ここからは今までの『お遊び』とは次元が違う。貴方みたいな身元不明の平民が最高峰の建国記念大賞典に出走するなんて本来ならあり得ない話なの」
「わかってるさ。だからこそ、セリアがいるんだろ?」
俺が笑いかけるとセリアはふいと顔を背けた。
「当然よ。私の算盤からは一リーブラの誤差も逃さないわ。貴方をあの舞台に立たせるためなら悪魔にだって帳簿をつけさせてやるわよ」
王都の競馬ギルド本部は、まるで神殿のような豪華な建物だった。しかし受付で突きつけられた現実は――セリアの予想通り冷酷なものだった。
「話になりませんな。辺境の非公式レースで一度勝った程度の履歴では、グランプリの予選にすらエントリーできません。それにそのバハムートとかいう馬――狂暴性の前科があり殺処分勧告が出ているではありませんか?」
恰幅のいい受付担当の男は俺たちが提出した書類をゴミのように放り出した。
「このような馬を王都の聖なるターフに踏み入らせるなど言語道断。ああ、その隣の白馬アルカディアはいい素材のようだ。それなりの値で買い取ってあげてもいいですが?」
「アルカディアちゃんを道具みたいに!」
ミアが顔を真っ赤にして詰め寄ろうとするが周囲の警備兵に阻まれる。
俺はバハムートの手綱を握り直し男を真っ直ぐに見据えた。
「馬の価値を決めるのは、机の上の紙切れじゃない。ターフの上の走りだ。こいつは王都のどの馬よりも速いぞ」
「はっはっはっ! 威勢がいいことだ。しかしこの王都で実績のない者の言葉は風の音よりも価値がないのですよ」
男が嘲笑したその時、背後の大扉が重々しく開いた。
「あら……随分と賑やかね。私の知っているギルドは、もっと静粛で知的な場所だと思っていたけれど?」
鈴を転がすような、けれど芯の通った声。
現れたのはミストラルで出会った少女――エリス・フォン・ローゼンバーグだった。彼女は騎士団の正装に身を包み、周囲の空気を一変させるような威厳を纏っている。
「エ、エリス様! これは失礼致しました!」
先ほどまで不遜だった受付の男が、椅子から転げ落ちるようにして膝をつく。
エリスは俺たちの前まで歩いてくると不敵な笑みを浮かべた。
「また会ったわね。随分と手こずっているようじゃない。辺境の英雄も王都の門番には勝てないのかしら?」
「あんたに助けてもらうつもりはないさ」
「強がりね。貴方にここで消えられては困るのよ。ミストラルの借りを大舞台で返さなきゃ気が済まないからね」
エリスは受付の男を冷ややかな目で見下ろすと、懐から一通の封書を取り出し机に叩きつけた。
「ローゼンバーグ家の推薦状よ。この男――レンと二頭の馬をグランプリ予選の特選枠に捩じ込みなさい。異論があるなら私の父に直接言いに行くことね」
「ひ、ひぃ! 承知致しました! 直ちに手続きを!」
男は震える手で書類を処理し始めた。
「エリス、なぜそこまでしてくれる?」
俺が尋ねるとエリスは俺の耳元に顔を寄せ小さな声で囁いた。
「勘違いしないで。私は貴方に負けたままなのが許せないだけ。それと王都の競馬は貴方が思うよりずっと汚れているわ。魔力増幅薬、不正な術式の埋め込み、そして貴族たちの利権。貴方のその対話とやらが、そんなドブ川の中でどこまで通用するか、特等席で見守ってあげる」
エリスはそう言い残すと颯爽と立ち去っていった。
「嵐みたいな子ね」
セリアがため息を吐く。
「でもこれで舞台は整ったわ。予選は三日後。相手は王都の選りすぐりのエリートたちよ」
その日の夕方、俺たちはギルド指定の宿舎にある厩舎にバハムートとアルカディアを落ち着かせた。王都の厩舎は魔力による自動洗浄や温度調整が完備された極めて近代的な施設だった。だが、そこに漂う空気はどこか息苦しい。
『レン、ここは嫌いだ。風が死んでいる』
バハムートが不快そうに鼻を鳴らす。
『私も怖いです。隣の馬房の子たちの声が……なんだか虚ろなんです』
アルカディアが怯えたように俺に身を寄せる。
俺は隣の馬房を覗いてみた。そこには王都の有力な馬主が所有しているという名馬が繋がれていた。だが、その馬の目には光がなかった。
なんだこれは?
俺がその馬の首筋に触れようとすると脳内にノイズのような声が響いた。
『走れ……魔力……充填……痛い……でも……走れ……』
それは言葉というより、強制的に書き込まれた命令のようだった。異世界の王都競馬。そこでは馬の意志など二の次で、いかに効率よく魔力を流し、機械のように走らせるかが追求されている。
「酷い。これじゃあ、ただの使い捨ての魔導具じゃないですか?」
後を追ってきたミアが馬の様子を見て涙を浮かべる。
「これが王都の真実よ。魔導技術が発達し過ぎたせいで、馬と人はパートナーじゃなく、機械と演算機の関係になったの」
セリアが悔しそうに拳を握り締める。
「いいぜ、やってやろうじゃないか?」
俺はバハムートとアルカディアの前に立ち二頭の力強い鼓動を感じた。
「魔法がなんだ。技術がなんだ。お前たちの生きた声が――そんな機械仕掛けの走りに負けるはずがない。三日後の予選、この王都の連中の常識を根本から叩き潰してやる」
『ふん、当然だ。我の蹄でこの街の生温い空気ごと切り裂いてくれる!』
翌日から王都の豪華なスタジアムを舞台にした俺たちの殴り込みが始まった。辺境から来た無名の騎手と呪われた黒馬。その組み合わせが王都の競馬界を根底から揺るがす大波乱を巻き起こすとは、この時はまだ誰も予想していなかった。
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