8 乙女のまごころ、安らぎの厩舎

 王都の予選を翌日に控えた朝。

 俺たちに貸し出された王立厩舎は、相変わらず冷たい場所だった。床は常に一定の温度に保たれ自動で流れる洗浄水が塵一つ残さない。だが、その無機質な快適さは、生き物としての本能を削り取っていくようだった。


『レン、なんだか足元が落ち着かぬ。地面が生きている心地がしないぞ』


 バハムートが苛立たしげに首を振る。


『レンさん……私……お腹が少し痛いかもしれません』


 アルカディアも元気がなく、隅の方でうずくまっていた。


「やっぱりな」


 俺は二頭の体温を確かめ顔をしかめた。

 王都の最新設備は魔導馬を効率よく管理することには長けているが、馬たちの心を穏やかに休ませるようにはできていない。特に繊細な魔力回路を持つアルカディアは、この人工的な環境に当てられて魔力酔いを起こしていた。


「あら、絶好調ね。明日の予選、ゲートが開く前に二人揃って寝かしつけるつもりかしら? そうなれば私は不戦敗の損失をどう回収するか、今からギルドと交渉してこなきゃいけないのだけれど?」


 セリアが事務書類を片手に現れた。相変わらずの毒舌だが、隈の浮いた目は徹夜で相手騎手のデータを洗っていたことを示している。


「セリア、アルカディアが少し参ってる。なにかリラックスできるものがあればいいんだが?」


「無理ね。この厩舎は管理が厳格なの。許可のない薬品や餌の持ち込みは不正を疑われて即失格よ。大人しく王立の調整剤でも飲ませておきなさい」


 セリアの言葉は正論だった。しかし今のアルカディアに化学的な調整剤を与えれば余計に感覚を狂わせるだけだ。


「あ、あの! レンさん、セリアさん!」


 そこへ街へ買い出しに行っていたミアが、大きな麻袋を抱えて息を切らしながら戻ってきた。頬は赤く染まりワンピースの裾にはどこでつけたのか、ひっつき虫や草の種がたくさんついていた。


「どうしたんだ、そんなに慌てて?」


「えへへ、あの、王都の裏門の近くに古い空き地を見つけたんです。魔導設備の影響を受けてなくて昔ながらの野草が隠れて咲いていて――」


 ミアは麻袋を広げた。中から溢れ出したのは王都の洗練された街並みには似つかわしくない、泥のついた素朴な野草や香りの強いハーブの束だった。


「辺境の厩舎の裏に生えていたお花と同じ種類なんです。バハムートちゃんたちが大好きだったやつ……それとこのスヤスヤ草を乾燥させて寝床に混ぜれば、きっと落ち着けると思うんです」


「ミア、貴方、それを見つけるためにわざわざ立ち入り禁止の旧区画まで行ったの? 見つかれば衛兵に捕まるところよ」


 セリアが呆れたように言うがミアは「えへへ」とはにかむだけだった。


「私、レンさんみたいに馬に乗れないし、セリアさんみたいに難しい計算もできないから……でもあの子たちがなにを食べて、どんな匂いが好きかくらいは、ずっと見てきたからわかります」


 ミアはそう言うと、おどおどした手つきで、けれど心を込めて、バハムートとアルカディアの寝床に野草を敷き詰め始めた。


 不思議なことが起きた。ミアが持ってきた野草の香りが厩舎に広がると、それまで殺気立っていたバハムートが、ふっと長い息を吐いたのだ。


『ふむ。これは故郷の風の匂いか? 悪くないな娘』


 バハムートはミアの頭を優しく食み、機嫌良さそうに野草を咀嚼し始めた。うずくまっていたアルカディアも、ゆっくりと顔を上げた。


『懐かしい匂い……お腹の痛みも消えていきました。ミアさん、ありがとうございます』


 アルカディアはミアの手に鼻先を寄せ甘えるように鳴いた。最新の魔導調整剤でも治せなかった魔力酔いが、ミアが摘んできた名もなき野草と優しさによって癒やされていく。


「流石だな」


 俺はミアの隣にしゃがみ、泥だらけの手をそっと取った。


「俺もアルカディアの不調には気づいてた。でも救ったのは俺の知識じゃなくミアのまごころだ。ありがとう」


「ひゃっ、ひゃあ! そ、そんな、大袈裟です! ただ……みんなで笑って明日を迎えたいなって思っただけですよ?」


 ミアは顔を真っ赤にして俯いてしまったが、その瞳には小さな自信の光が宿っていた。控えめな性格だが内側にある育てる者としての強さを俺は改めて知った。


「まあ、厩舎の不衛生な管理として見逃してあげるわ。でもミア、貴方の手、泥だらけじゃない。そのままじゃ明日のドレスが汚れるわよ。ほら、貸しなさい」


 セリアが文句を言いながらも、ハンカチを取り出してミアの手を丁寧に拭き始める。正反対の二人がこの瞬間、確かな絆で結ばれているのがわかった。


 その日の夜。

 厩舎の中は王都に来て初めて穏やかな空気に満たされていた。二頭の馬はミアが整えた寝床で深く心地よい眠りについている。


 俺は厩舎のベンチに座り月を見上げていた。隣には温かいお茶を持ってきたセリアが腰を下ろしている。


「あの子の観察眼、馬鹿にできないわね。私が見落としていた心のコンディションを、あんなにあっさりと立て直すなんてありえないわ」


「だな。俺一人だったら――きっとアルカディアを潰してた。セリアが道を切り開き、ミアが根底の土台を支える。俺はただ――その上で手綱を握るだけだ。最高の仲間に恵まれたよ、俺」


「さらっと恥ずかしいことを言わないで頂戴。死にたがりなのは知っているけれど、無自覚に人を殺すような言葉を吐くのは罪よ」


 セリアは髪飾りを指でいじりながら皮肉げに、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。


「レンさん! お夜食、持ってきましたよ!」


 遠くから少しだけ元気になったミアが走ってくる。明日、俺たちが挑むのは魔法と利権が渦巻く王都の不条理なターフだ。しかし今の俺たちにはどんな強力な魔法よりも確かな絆という名のバフがかかっている。


「俺たちの本当の走りを見せてやるさ」

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