6 白き翼の目覚め、宿命の少女
辺境の街を出発してから十日が過ぎた。
王都へと続く街道は整備されているものの、場所によっては急峻な峠道が続く。俺たちは馬車を連ねバハムートとアルカディアを交代で歩かせながら西へと進んでいた。
「あ、あの……レンさん。アルカディアちゃん、なんだか最近、走るのが楽しそうですね」
馬車の御者台でミアが嬉しそうに目を細める。
隣を並走するアルカディアの足取りは、レースの時とは見違えるほど軽やかだった。かつての彼女にとって走ることは苦痛と恐怖の代名詞だったが今は違う。
「ああ。筋肉の強張りが取れて、魔力をどう制御すればいいか、わかってきたみたいだ」
俺はアルカディアの横に馬を寄せ瞳を見つめる。
『レン……私……魔力が怖かった。でも貴方の指先が大丈夫だって言ってくれるから……今は風を感じるのが心地いいの』
「いい子だ、アルカディア。いいか、今度は無理に放出するんじゃない。魔力を脚の裏に薄く広げるイメージだ。大地を蹴るんじゃなく滑るんだ」
俺のアドバイスに従い、アルカディアが集中を高める。次の瞬間、蹄が触れた地面から淡い光の粒子が舞い上がった。重力の影響を極限まで減らした――魔法馬独自の特殊歩法。かつてバルガスに強要されていた爆発的な加速ではなく、まるで絹の糸を引くような滑らかで静かな疾走。
「ふん、馬の調教に関しては貴方のその執念じみた手腕を認めざるを得ないわね」
馬車の窓から顔を出したセリアが呆れたように呟く。
「でも調子に乗らないで頂戴。王都の馬たちはこんなものじゃないわ。強力な魔力付与を施された最高級の防具に幼少期から英才教育を受けたエリート騎手たち――貴方みたいな野良が太刀打ちできるほど甘い世界じゃないわよ」
「野良って――どちらかと言えば俺も幼少期から英才教育を受けたほうだよ」
「貴方がそう思っているんならそうなんでしょうね。貴方の中ではね」
セリアの言葉には毒があるが、その裏には俺を案じる響きがあった。彼女は王都の情報を集める中でこれから立ち向かう壁の高さに誰よりも危機感を抱いているのだ。
「わかってるよ。だからこそ、アルカディアには魔法を使いこなしてもらう必要があるんだ。バハムートが剛ならアルカディアは柔。この二頭がいれば――どんなコースでも戦える」
その日の夕方。
俺たちは峠の頂上にある宿場町ミストラルに到着した。ここは旅の行商人や腕自慢の騎手たちが集まる賑やかな中継地点だ。
街の中央にある広場では旅の退屈を紛らわせるための非公式なレースが行われていた。街の騎士や傭兵たちが自慢の愛馬を競わせている。
「わわっ! 凄い人ですね、レンさん!」
ミアが目を輝かせていると、不意に、人混みを割って一頭の馬が姿を現した。
それはアルカディアに負けず劣らずの見事な毛並みを持つ黄金の馬だった。そしてその背に跨っていたのは――
「退屈ね。辺境の馬っていうのは、これほどまでに鈍重なのかしら」
鈴を転がすような――けれど冷たく澄んだ声。そこにいたのは俺と同年代……いや、少し年下に見える少女だった。白銀の軽鎧を身に纏い意志の強そうな碧眼が、俺たちの前を悠然と通り過ぎようとする。
「ちょっと、そこの貴方たち」
少女が突然、足を止めた。その視線は俺ではなく隣にいるアルカディアへと注がれている。
「その白馬……飛竜の血が混ざっているようだけど酷いものね。魔力の回路がズタズタだわ。誰がそんな無知な乗り方を教えたのかしら?」
「な、なんですか! レンさんは一生懸命この子を助けたんですよ!」
ミアが珍しく声を荒げて反論する。
少女は馬から降りると不遜な笑みを浮かべて俺を見た。
「助けた? 笑わせないでほしいわ。馬は走るための道具――あるいは芸術品。甘やかすのが愛情だと勘違いしているなら、今すぐその手綱を捨てて田舎へ帰ることね」
「随分な言い草だな」
俺はアルカディアの首を撫で落ち着かせながら一歩前へ出た。
「馬が芸術品だっていうのは同意するが、それを完成させるのは乗り手の支配じゃなく対話だ。あんたのその黄金の馬――右のハミを嫌がってるぞ。銜えさせ方が強過ぎる」
少女の眉がピクリと跳ねた。
「貴方……私の騎乗に意見するつもり? この私――王都騎獣学院を首席で卒業したエリス・フォン・ローゼンバーグに向かって?」
セリアが馬車から降りてきて眉をひそめた。
「ローゼンバーグ? 王都でも指折りの名門騎手家系でしょう? こんなところでなにを油売ってるのかしら?」
「ふん、実地訓練よ。辺境のレベルを確認しに来たけれど期待外れだったわね」
エリスと名乗った少女は、挑発するように俺を指差した。
「試してみる? あそこの時計塔まで一ハロンの直線勝負。貴方が勝てば私の非礼を詫びてあげる。負けたら――その白馬を私に譲りなさい。私が本物の教育を施してあげるわ」
「レンさん、駄目ですよ! アルカディアちゃんを賭けるなんて!」
ミアが泣きそうになりながら俺の腕を掴む。
しかし俺の横でアルカディアが静かに鼻を鳴らした。
『レン……私、あの人の馬と話したい。あの子も苦しんでる。勝ちたい。私たちが間違ってないって証明してほしい』
俺はアルカディアの瞳に宿る、かつてないほど強い意志を感じ取った。
「わかった――しかし俺も勝負師だ。敗北したら言い訳はしないぞ」
『わかっているわ。覚悟の上よ』
俺はエリスを見据える。
「いいだろう。受けて立つ」
宿場町の住人たちが注目する中、即席のスタートラインが引かれた。直線二百メートル。短距離の真剣勝負だ。
エリスの黄金馬は全身から金色の魔力を放出している。それは洗練された無駄のない強力な出力だった。対する俺とアルカディアは一切の魔力を外に漏らさない。
「後悔させてあげるわ」
エリスが低く呟いた。
「GO!」
合図とともに二頭が飛び出す。
エリスの加速は凄まじかった。黄金の魔力がブースターのように火を噴き一瞬でリードを奪う。まさに天才少女の名の通り、一点の曇りもない完璧なスタートだ。
だが、俺は冷静だった。
「今だ、アルカディア。大地と語れ!」
アルカディアは魔力を外に放出せず、自身と大地の間に空気の層を作り出した。摩擦係数ゼロ。走っているのではなく空気を踏み台にして滑空しているのだ。
「なっ!」
エリスの横を音もなくアルカディアが通り過ぎる。それは魔法による暴力的な加速ではなく、理にかなった物理と魔力の融合だった。
ゴール地点である時計塔の前を俺たちが僅かに先着した。
静まり返る宿場町。エリスは呆然とした表情で黄金馬の首筋に手を置いていた。
「ありえない。魔力の放出量では私のゴールドシップが圧倒していたはず。なのに、なぜ?」
「魔法を力として使うか、潤滑油として使うかの差だよ。エリス、お前の乗馬技術は確かだ。しかし馬の声を聞き間違いているせいで逆に馬を縛ってる」
俺はアルカディアから降りエリスに歩み寄った。
「お前の馬……ゴールドシップは期待に応えようとして過剰に魔力を出し過ぎている。もっと力を抜けって、あいつは言ってるぞ」
エリスは目を見開き相棒を見つめた。黄金馬は疲弊した様子で弱々しく嘶いている。
「私の……せいで……負けた?」
「今回の勝負、俺の勝ちでいいな」
俺が言うとエリスは悔しそうに唇を噛み締め毅然と顔を上げた。
「認めるわ、私の負けよ。でも勘違いしないで。次はこんな直線の遊びじゃない。王都の『建国記念大賞典』――あの大舞台で本物のレースを教えてあげるわ」
エリスは再び馬に跨ると、俺を射貫くような視線を向けた。
「貴方の名前は?」
「レンだ。ただの騎手だよ」
「レン……覚えておくわ。王都で恥をかかないように精々腕を磨いておくことね」
黄金の疾風となってエリスは王都の方角へと去っていった。
「凄まじい子ね。あれが王都の天才――貴方、とんでもないのに目をつけられたわね」
セリアが溜息を吐きながらも、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「でもレンさんは負けませんでした! アルカディアちゃんも、すっごく嬉しそうですよ!」
ミアがアルカディアの首に抱きつく。
俺は去っていった黄金の残像を見つめながら手綱を握り直した。王都にはあんな化け物みたいな連中がゴロゴロいるんだろう。
「面白くなってきたな」
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