第10話 お祓い①

朝日が昇りはじめる頃、東地は松川神社の石段を上がっていた。

境内にはまだ人影がなく、澄んだ空気の中に鳥の声だけが響く。


立入禁止を示す黄色いテープを横目に抜ける。

ひとつ、またひとつと石段を踏みしめるたび、胸の奥で決意が静かに積み重なっていくのを感じた。


本殿の前に立ち、柏手を打つ。


――どうか、今日が無事に終わりますように。


祈りは祈りでしかないと分かっている。

それでも、胸の底から願わずにいられなかった。


「早いね」


背後からの声に振り返ると、宮司の松川が立っていた。

朝の光を受けた白い息が、ゆっくりと空へ溶けていく。


「おはようございます」


「今日は世話をかけるね。……どうか、よろしく頼みます」


「いえ、こちらこそ。

神聖な場所をざわつかせてしまい、申し訳ありません」


東地は深々と頭を下げた。


「古川さんの容態は?」


「魂だけは、驚くほど元気でいらっしゃいます」


松川が目を細める。


「……なるほど。まだ意識は戻らないんだね」


「ええ。そのためにも、今日が勝負です」


松川はブルーシートで覆われた御神木へ視線を向けた。

幹の奥には、飲み込まれたままの但馬涼太郎の遺体が眠っている。

薄い布越しにも禍々しい気配が伝わり、空気が微かに震えた。


「……あの子のせいだということは分かっている。

だが、涼太郎もまた哀れだ。浅葱さん、頼む。

このままではあの子が不憫でならない」


「……そうですね。このままにはしておけません」


「姉弟揃って……なぜ、こんな運命に」


松川の声には、怒りと悲しみが入り混じっていた。

幼いころから可愛がってきた子らが、ありえない形で命を落とし、しかも亡骸が御神木に縫いとめられるなど――どう受け止めればいいのか。


東地は一度息を整え、言葉を選ぶ。


「松川さんにお願いがあります。ご協力いただけますか」


「私にできることなら」


「姉弟との縁が深い松川さんだからこそ、お願いしたいのです」


真剣な眼差しに、松川は力強く頷いた。


すでに仕掛けは整えてある。

清人の“お祓い”が完了した瞬間に発動する術。

松川の加護が乗れば、術の成功率はさらに高まるはずだ。


東地は数枚の人型を差し出し、松川に姉弟の名を書き入れてもらった。

一枚は涼太郎の衣の中へ。もう一枚は御神木の根元へ。


これで呪の回路は結ばれた。

あとは点野との“縁”を正確に揃え、発動の刻を誤らなければいい。


「東地」


石畳を踏む足音。

振り向けば、点野が軽く手を上げていた。


「おはよう。準備は整ってる?」


「ええ。あとは主役の登場を待つだけです」


「じゃあ、頑張りましょうか。古川さんのために

……そして、浩輔君のために」


「ふっ……やっぱり“あの姉弟のため”とは言わないんだな。

ブレないね、君は」


点野の冗談に、東地は小さく笑みを返す。

それは、静かな戦士の笑みだった。


やがて午前九時。

神社の周囲には信者が集まりはじめ、ざわざわとした熱が広がっていく。

野次馬も混じり、石段の下は黒山の人だかり。

警察が進入禁止の線を張ってはいるが、人々の視線は境内を仰ぎ、興奮で湿っていた。


「……来ましたね」


リムジンが一台、鳥居の前で止まる。

ドアが開いた瞬間、歓声が爆ぜた。


白衣を纏い、金の数珠を握る男

――前条寺清人。

数人の幹部信者を従え、ゆっくりと石段を上ってくる。


東地はその姿を、石段の頂から静かに見据えた。

鼓動が、ひとつ、ひとつ、重く響く。


「さて……行こうか」


黒曜石の数珠を握りしめる。


――ついに、幕が上がる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る