第9話 教祖と名乗る男②

面会謝絶の病室で、羽生はベッドに横たわる古川をじっと見つめていた。

東地が「魂は元気だ」と言っていたことを思い出し、胸の奥に小さな安堵が生まれる。


――けれど。


目の前の古川は数々の機器に繋がれ、今にも消え入りそうな呼吸をしている。

頬は白く、唇は乾き、手には包帯。

そこに巻かれた痛みの痕が、現実を叩きつけてくる。


「……早く戻ってこい。東地を悲しませるなよ」


小さく呟いた声は、誰にも届かない。

自分のように、大切な人を失う痛みを――東地には味わわせたくなかった。


殴りたい相手がいても、目に見えない壁に阻まれて手が届かない。

その歯痒さは、もう自分ひとりで十分だ。


五年という歳月が流れた。

心のどこかでは「過ぎたこと」と諦めていた。

だが香奈枝にとっては、今も続く痛みだったのだ。


「……すまない」


ただそう洩らすしかできない自分を、羽生は心底情けなく思った。



「え? 浩輔と知り合いなの?」


蠢く呪物を遠目に、古川は香奈枝に頷いた。

香奈枝は「そっかぁ……」と呟き、天を仰ぐ。


「お付き合いしてたんですよね?」


「そうそう。って言っても、私が一方的に熱を上げてただけだけどね」


軽口を叩きながらも、香奈枝はふっと寂しげに目を伏せた。

古川は何も言えない。


こうして話していると忘れそうになるけれど

――彼女はもう、この世の人ではない。


「でもね、浩輔っていい人なのよ。あの人の忠告をちゃんと聞いてれば、

今ごろ私も元気に生きてたのかなーなんて」


「……今も気にしてますよ、羽生さん」


「だろうねぇ……。きっと勝手に責任感じちゃってるんだろうな。

私が清人に夢中になって、教祖にされて、挙げ句に殺されたのも……

ぜんぶ人を見る目がなかったせいなのに」


「清人……?」


「うん。私を教祖にして、最後には殺した人」


あまりにあっさりした口調に、古川は目を見開いた。


「恨んでは、ないんですか?」


「恨んでるよー! 殺されて蟲毒にされたんだもの。

腹立たないわけないじゃない」


「そ、そうですよね……」


香奈枝は「でしょ?」と笑い、けれど肩を落とす。


「でもね、私ひとりじゃどうにもできないの。

だから……ごめんね。

東地の力を借りるために、あなたを利用しちゃった」


ぺこりと頭を下げる仕草は、生きている人間そのもののようで、

古川の胸が痛んだ。


「先生は……助けてくれるんでしょうか」


「くれるわよ。あの人はそういう人。

今ごろ寝る間も惜しんで走り回ってるはず」


「それはそれで心配になりますね」


「ふふ。でも大丈夫。東地は意地でもやり遂げる人だから」


古川は呪物の影を見つめ、喉がひゅっと鳴る。


「もし、そのタイムリミットを過ぎたら……?」


香奈枝の笑みが、一瞬だけ薄くなる。


「……あなたも、あの呪物の仲間入りかもね」


ぞっとして身を震わせた古川を見て、香奈枝はすぐに首を振った。


「嘘よ。脅かしてごめん」


柔らかく笑う。


「安心して。私は必ずあなたを還してあげる」


「但馬さんは?」


香奈枝は一拍置き、視線を落とした。


「涼太郎は……難しい。

肉体がご神木と同化しちゃった。戻れる“場所”がないの」


「そんな……」


古川は眠る但馬を見つめた。

香奈枝はその視線に気づき、そっと微笑む。


「ありがとう。ずっと涼太郎のこと気にかけてくれてたでしょう?

 そのおかげで私は、こうしてあなたに接触できたの」


「そう、なんですか?」

「気づいてない? あなた、引き寄せ体質よ」


古川の肩がびくりと揺れた。

「……ああ、言われたこと、あります」


香奈枝は切なげに笑う。


「この子の人生を歪ませてしまったのは私のせい。

だから魂だけでも守りたい。

清人の思い通りには絶対にさせない。呪物になんか、させない」


強い決意を宿した声。

古川はただ黙って、彼女を見つめ返した。


――東地先生、大丈夫だろうか。

無理をしていないだろうか。


止められていたのに、結果的にこんな事態に。

巻き込んでしまった申し訳なさが、胸を締めつける。


もし生きて戻れたら――土下座してでも謝らなきゃ。

そう思いながら、古川はそっと見えない壁に手を添えた。


「……ごめん。自由時間はここまで」


香奈枝の姿が霧のように薄れていく。


「涼太郎を……お願い……」


その言葉を最後に、彼女は呪物と同化して消えた。


抑えが消え、呪物が再び蠢き出す。

古川は眠る但馬を抱き寄せ、必死に守るように体を寄せた。


「東地先生……私、頑張れるかな……」


小さな声は、闇に溶けていった。

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