第8話 領域⑤

ポトフとサラダを作り、パンと一緒に夕食を済ませた私たちは、

改めてテーブルを囲んでいた。

正面には羽生さん。隣には東地先生。

コーヒーの温い湯気だけがやけにのんびりして見える。


――あー……もうどうにでもなれ。


腹を括った私が黙っていると、羽生さんが低い声で切り出した。


「まず。どこまで調べた?」


逃げ場のない眼差しに射抜かれて、私は小さく頷く。

言い訳はもう通用しない。なら、正直に言うしかなかった。


「最初は偶然です。お店で隣に座ってた子たちが……

多分、但馬さんの話をしてて。

そこで“女性呪術師殺人事件”って言葉が出たんです。

気になって調べたら、被害者の姓が但馬で……」


喉が乾く。言葉を継ぐたび、胸の奥が重く沈む。


「それで、宮司さんが前に話してた“お姉さん”のことなのかなって思って……」


羽生さんの指が、テーブルを軽く叩いた。


「……で、松川さんに確かめたのか」


「はい。仕事で松川神社に行く予定があったので……聞きました。

やっぱり、お姉さんだって」


そこで一度、息を吸う。


「そんなに聞いちゃいけない話だったんですか? 

私、但馬さんの呪詛を見て……解除できる方法があるならって……。

でも、簡単な話じゃないって、宮司さんとの会話で分かりました」


東地先生が、静かに促す。


「松川さんは、何て言っていました?」


思い出すだけで、背中が冷たくなる。


「……但馬さんが呪術師になったのは、お姉さんを助けるためだって。

お姉さんは死んでもなお魂が苦しんでいて、それを解放するために

――自分に呪いをかけて準備している、って。

それに……カルト宗教が絡んでいるから、私には関わるなとも……」


「あー……クソ宮司。入院、長引かせときゃよかったなぁ」

羽生さんがぼやくと、東地先生が苦笑まじりに咎める。

「これこれ、羽生君。気持ちは分かりますが」


ほんの一瞬和んだ空気は、すぐにまた重さを取り戻した。

私は意を決して、最後の一つを吐き出す。


「……それで今朝、神社で偶然但馬さんに会ったんです。

でも――『これは俺の問題だから一切関わるな』って。

はっきり拒絶されました」


先生も羽生さんも、黙ったまま私を見る。

責めるでもなく、ただ“確認”するみたいに。


羽生さんが口を開く。


「拒絶された。――だから終わり、って割り切れるか?」

「え?」

「いや。お前さんの性格上、無理だろ。だからこそ危うい」


反射で口が尖る。


「私、そんなに粘着質じゃないですよ。

嫌われてまで、しつこくなんてできません」


羽生さんは小さく溜息を吐いた。


「だが、考えちまうんだろ。

……覚えておけ。お前さんは“引き寄せやすい体質”なんだ」


「……え?」


意味を測りかねていると、東地先生が静かに補足する。


「引き寄せを教えた身としては言いにくいですが……

古川さんは、良くも悪くも発動しやすい。

つまり“偶然”だと思っていた出来事も、実は引き寄せだった可能性があるんです」


「はぁ……」


自分でもよく分からない返事が漏れる。

羽生さんは頭を掻き、淡々と続けた。


「要は、考えるだけで遭遇率が跳ね上がるってことだ。

だから俺たちは、お前さんに『但馬を考えるな』って忠告してた」


「なるほど……理由は、そういうことだったんですね」


小さく頷いた、その次。

羽生さんの声の温度が、すっと落ちた。


「まず……但馬の姉、香奈枝だが」


「はい」


一拍。


「……俺の元カノだ」


「……え?」


耳を疑った。息が止まる。

だが羽生さんは、淡々と続ける。

淡々としているのに、言葉の重さだけが刺さる。


「香奈枝は俺の実家の神社で、繁忙期の巫女のバイトをしてた。

霊感が強くてな。人助けに使いたいって、いつも言ってた。

……真っすぐな奴だった」


「……素敵な志ですね」


「まあな。けど――力の使い方を学ぶために通った先で、一人の男に出会った。

そいつの思想に傾倒していった。俺は振られた」


短く言い切る。そこに、余計な感情を乗せない。


「……やがて二人で新興宗教を立ち上げ、香奈枝は“教祖”になった」


「宗教の話、本当だったんですね……」


「だが、金の臭いが漂い始めた。高額なお布施、霊感商法……。

理想から外れた教団に悩んで、香奈枝は俺に連絡を寄越した。

――相談したい、ってな」


「……会えたんですか?」


羽生さんは、首を横に振る。


「いや。約束の前日だ。殺されたのは」


胸の中に、冷たい塊が落ちた。

東地先生が、そっと私の肩に触れる。

止めるのではなく、支えるみたいに。


羽生さんは続ける。


「見つかったのは、俺の実家の神社だ。早朝の参拝者が発見した。

……無残な姿でな」


「犯人は……捕まらなかったんですか」


「捕まるはずだった。だが“壁”があった」


「……壁?」


羽生さんの目が、怒りでも憎しみでもない、硬い色になる。


「権力犯罪だ。

香奈枝を殺して教祖になった男は、政治家の嫡男だった」


「……そんな」


喉が締まる。言葉が続かない。


「事件は未解決のまま。教団は存続した。

香奈枝の心臓は“神”として祀られてる」


「心臓……?」


羽生さんの声が、さらに低くなる。


「バラバラ死体だ。……心臓だけ、抉られてた」


ぐらり、と視界が揺れた。

吐き気が込み上げる。私は反射的にテーブルの端を掴む。


宮司さんの言っていた――

“死んでもなお苦しんでいる”。


その意味が、ようやく形になって胸に落ちてくる。


――だから、但馬さんは呪術師になった。

お姉さんの魂を救うために。自分を犠牲にして。


私は震える声で尋ねる。


「……もし、但馬さんが呪術でお姉さんと入れ替われば。

解放されるんですか」


「……うまくいけばな」


「じゃあ……但馬さんは……?」


答えは言葉じゃなく、沈黙だった。

その沈黙が、残酷なくらいに分かりやすい。


胸が締めつけられる。

どうしてこんな不条理が、平然と残っているのか。


羽生さんが、ぽつりと吐く。


「俺も、お前と同じだ。助けたい。

だが……そのために、大切な友を犠牲にはできねぇ」


私は視線を落として、呟く。


「……東地先生や点野さんが巻き込まれるんですね」


「それと――お前もだ」


「私……?」


羽生さんは真っ直ぐ見た。


「お前さんも大事だ。だから“関わるな”って言ってる」


――胸の奥に、熱が落ちた。

怒鳴られたからじゃない。拒絶されたからでもない。

守るための言葉だったのだと、今なら分かる。


東地先生が、静かに同意するように呟く。


「……そうですね。古川さんを傷つけたくないから、です」


私はそっと頭を下げた。


「ありがとうございます……心配してくれて」


湯気の向こうで、二人の表情がほんの少しだけ緩んだ気がした。

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