第8話 領域①
今日は気晴らしに、友人の厚美と食事をする約束をしていた。
昨夜「旅行土産を渡したい」と連絡をもらったのだが、
私にとっても好都合だった。
胸の奥に溜めていたあれこれを、彼女に聞いてもらいたかったからだ。
駅前で待ち合わせをすると、見慣れた黄色い車がロータリーへ入ってくる。
私は小さく手を振り、停まった車に滑り込んだ。
「お疲れさま。北海道は楽しかった?」
「うん、今の季節は最高だったよ。
もうね、仕事なんて放り出して動き回りたい衝動に駆られたわ」
「衝動で終わってよかったじゃない」
私の一言に、厚美は声を立てて笑った。
「さて、出発しましょうか。今日は隠れ家的なレストランに連れて行くよ」
「いつもながら、歩くグルメ雑誌だね」
「ま、職業柄ってやつよ」
彼女に任せておけば、外れはない。
いずれ本当にグルメ本でも出してほしい。
そんなことを考えているうちに、車は静かに走り出した。
◆
人通りの多い商店街を外れ、薄暗い通りに面したビルの地下へ降りる。
入口の看板には、掠れた文字で『魂の帰還』。
──いかにもスピリチュアルな店名だ。
警戒半分で重厚な木の扉を押し開けた瞬間、私は息をのんだ。
「……海?」
目の前一面に広がるのは、果てしない蒼。
正確には、壁一面に投影されたプロジェクションマッピングの海だ。
寄せては返す波。足元まで滲む青。耳を包む潮騒。
現実の輪郭が、ふっと柔らかくなる。
「すごい……!」
「でしょ? 先日会社の子に連れてきてもらってね。
水姫にも絶対見せたかったの」
「ありがとう……なんだか、癒される……」
「それならよかった」
厚美は満足げに微笑み、予約の旨を伝える。
私たちは海色の光が揺れる席へ案内された。
グラスの縁に青が反射し、光がゆっくりと流れる。
疲れの澱が、少しずつ溶けていくようだった。
──魂の帰還。名前は大げさじゃない。
「そういえば。昨日、話したいって言ってたこと……」
酒を口にした厚美が切り出す。
私はグラスを置き、先日の宮司さんの件を、できるだけ落ち着いた声で話した。
救急車。昏睡。呪い返し。先生の“浅葱”という顔。
「……なるほどね。大変だったじゃない。でも、みんな無事で何よりだよ」
「うん……本当に」
「で――気になってるのは、例の但馬さん?」
不意に核心を突かれ、思わず目を瞬かせる。
「悶々としてるってことは、助けてあげたいんでしょ?
でも自分では何もできない。
先生やマスターからも“関わるな”って釘を刺されてる。
だから頼れない……そういうことでしょ」
図星だった。私は小さく頷く。
「恋愛とかじゃないの。
ただ……顔を知ってしまった以上、苦しんでいるなら
少しでも楽にしてあげたいって思っちゃう。
けど私には何もできないし、もし人を巻き込んだら――
また危険な目に遭わせてしまう……」
正直に吐き出すと、厚美は深い溜息をもらした。
「昔からそうよね。野良猫見つけると放っておけないタイプ。
でも今回のは猫じゃなくて、ライオンか熊。
下手したら本当に命にかかわる」
「命……かぁ」
呟いて、海色のカクテルを口に運ぶ。
喉を滑る冷たさが、逆に胸の熱を際立たせた。
そのとき――。
「ちょっと! まじでー!」
甲高い声に振り向けば、隣の席の若い女性たちがスマホを囲んでいた。
楽しげに笑いながら、耳に引っかかる言葉が飛び込んでくる。
「ねえ、この人有名なんでしょ? “恋も恨みも叶えます”だって!」
「私も聞いたことある。会社の子が依頼して、本当に願いが叶ったって」
……まさか。
「へー、効果あるんなら、私もお願いしよっかな。
憧れの先輩と付き合えますように!」
「うわ、それ迷惑すぎ!」
きゃっきゃと盛り上がる二人の隣で、もう一人が低い声で言った。
「……やめた方がいい。等価交換ってのがあるらしいから」
「等価交換?」
「願いを叶える代わりに、何かを差し出すってこと。
命を取られたらどうするの?
それに“呪い返し”っていうのもあるんだよ」
「なにそれ怖っ!」と青ざめる二人。
だが、私の胸に突き刺さったのは、その次の言葉だった。
「呪い返しといえば……数年前、呪術師バラバラ殺人って事件あったよね。
あれ、呪い返しが原因だって噂」
「聞いたことある。若い女性の呪術師でしょ?
怨恨とも言われてたけど……犯人まだ捕まってないって」
呪術師。バラバラ殺人。
背中に冷たいものが走り、指先が一瞬痺れた。
「まさか、調べようとか考えてないよね?」
横からメニューで小突かれる。厚美がじとりとした目を向けていた。
──ばれてる。
「え、あ……」
「まあ、止めても無駄なのは知ってるけど」
厚美は目を細めて、言い切った。
「好奇心は身を滅ぼす。もし何かするなら、
必ず東地さんかマスターに相談すること。絶対よ?」
「……うん」
私は素直に頷いた。
厚美はもう一度、深い溜息を吐いた。
◆
帰宅後。
私は部屋の灯りもつけないまま、パソコンを立ち上げた。
隣の席の会話を手がかりに、検索欄へ言葉を打ち込む。
数秒で記事が出てきた。
被害者は――但馬香奈枝、二十五歳。
H神社の境内で、遺体が発見。
犯人は未だ捕まっていない。
職業は呪術師。仕事絡みの怨恨の可能性。
「但馬香奈枝……宮司さんが言ってた、但馬さんのお姉さん……?」
胸の奥がざわめく。
バラバラ殺人。呪い返し。
──これが、今の但馬さんを縛っている理由なのだろうか。
考え込んだ瞬間、携帯が着信音を鳴らした。
反射的に肩が跳ねる。
震える手で画面を見ると――そこに映った名前は、東地先生だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます