第7話 解除⑤

先生が宮司さんのお祓いをしてから、数日が過ぎた。

職場と家を往復するだけの、以前と変わらぬ日常。


満員電車は相変わらず心を削ってくる。

けれど、あの日を境に、うっかり恨み言を口にすることはなくなった。


──その一言が、いつか呪いになって、誰かを傷つけるかもしれない。


そう思うほどに、宮司さんの一件は、私にとって大きな出来事だった。


あれ以来、先生にも、そして但馬さんにも会っていない。

点野さんが“縁切り”をした効果なのだろうか。


……まさか、先生との縁まで切れてしまったのだろうか。


胸の奥に小さな不安を抱えながらお守りを作っていると、

作業場に社長が顔を出した。


「おーい、古川」

「はい? どうしました?」


手を止めて駆け寄ると、社長は腰に手を当てて笑う。


「今日、松川が退院するらしいぞ。病院に迎えに行くが、一緒に来るか?」

「あれ、明日って聞いてましたけど」

「無理を言ったそうだ。『祝詞を上げないと死んでしまう』とか言ってな」


──いやいや。あなた、その祝詞で死にかけてましたよね。

神様ガチ勢、恐るべし。


「なるほど……。ご一緒していいなら、ぜひ」


社長の車に柏原さんを乗せ、松川神社を経由して病院へ向かう。


そういえば──。

先日は羽生さんの前で泣きそうになってしまった。

思い出すだけで顔から火が出そうだ。できれば会いたくない。


そう祈るように窓の外を見ていると、病院が見えてきた。



院内は患者で賑わい、私たちは最上階へ向かう。

特別室の扉を開けた社長が声を張った。


「松川ー、迎えに来たぞ!」


椅子に腰かけていた宮司さんは、支度を整えて待っていた。

その隣に──最も会いたくなかった人物、羽生さんの姿。


「すまないな、世話をかける」

「何言ってる。荷物はそれだけか?」

「ああ」


社長が荷物を持ち上げようとした瞬間、柏原さんがすっと奪い取る。


「私たちは退院手続きをしてくるから、古川さんは松川さんと待っててね」

「柏原さんの言う通りだ。少しの間、頼む」


え、ちょっと……。

気づけば私は、宮司さんと羽生さんと三人きりにされていた。


気まずさを紛らわせるように、花瓶に目を向ける。


「宮司さん、このお花……どうされます?」

「ああ、まだ元気だから捨てるのも忍びなくてね」


「誰が持ってきた?」

羽生さんが低い声で尋ねる。


宮司さんは一瞬だけ目を伏せ、淡々と答えた。


「……涼太郎がね。謝りに来て、置いていったんだ」

「但馬さんが……?」


思わず聞き返すと、宮司さんは不思議そうに私を見た。


「古川さん、彼を知っているのかい?」

「ええ……何度か」


その瞬間、横から突き刺さるような視線。

振り向けば、羽生さんが半眼でこちらを睨んでいた。怖い。


宮司さんは、こちらの空気を読んだのか読んでないのか分からないまま、

ぽつりと続ける。


「……涼太郎は昔から知っている子でね。

姉が、あんな亡くなり方をしてから……ずっと気にかけているんだ」


──あんな亡くなり方。

その言葉だけで、胸の奥がざわつく。


もっと聞きたい。

そう口を開こうとした瞬間。


「……古川」


羽生さんの声。

笑顔を貼り付けたまま、指でこちらを招いた。


「え、え?」


じりじり後退した私の背後で、扉がガン、と鳴って、静かに閉じられた。

羽生さんの仕業だ。


「羽生君?」と宮司さんが怪訝そうに声をかける。


──気づいて、宮司さん。

この人、金髪の悪魔です。


「宮司さん、悪霊退散の祝詞をお願いします!」

「誰が悪霊だ。こっち来い」


首根っこを掴まれ、強制的に“集合”させられる。人権。


羽生さんは宮司さんへ、真顔で言った。


「松川さん。こいつが但馬のことを聞いてきたら、全力でシカとしてくれ」

「え? あ、ああ……?」


状況を呑み込めない宮司さんを置き去りにして、羽生さんは私を見下ろす。


「古川。お前がアイツを意識すれば、引き寄せが発動する。

引き寄せるな。断ち切れ。返事は」

「は、はいっ!」

「聞くな! 関わるな! 考えるな! 返事は!」

「はいぃっ!」


体育会系の叱咤が特別室に響く。

そこへ戻ってきた社長と柏原さんが、ぽかんと立ち尽くしていた。


「……何やってんだ、お前ら」

「古川の矯正だ。大事なことだ」

「え、えっと……」


私は曖昧に笑うしかない。

羽生さんは大きく息を吐き、最後に釘を刺した。


「よし。約束破ったら三人で説教三時間コースだ」

「う……」

「嫌なら関わるな。シンプルだろう」

「……善処します」


ようやく首根っこが解放され、私は深く息を吸った。



退院手続きを終え、私たちは病院を出た。


「世話になったね、羽生君」

「ああ。無茶な依頼は断れよ」

「しばらくはね」


宮司さんは苦笑し、玄関先で羽生さんに頭を下げた。


車に乗り込み、松川神社へ向かう道。

窓の外を眺める宮司さんの横顔は、ようやく安堵を取り戻していた。


──でも私は、どうしても考えてしまう。


但馬さんのお姉さんが亡くなったこと。

その「亡くなり方」。

呪物集めと、呪詛との関連。


すべてはまだ繋がらない。

けれど、きっと無関係ではない。


鳥居が見えた瞬間、ようやく胸の奥に安堵が広がった。


──みんな、無事に帰ってこられた。


ただ、それだけで、心の底から救われた気がした。

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