第7話 解除④

宮司のお祓いが成功したとの連絡が入り、

私たちは社長の車で病院へと向かっていた。


助手席の柏原さんは、心底ほっとした様子で目頭を押さえている。

運転席の社長もまた、胸を撫で下ろすような安堵の笑みを浮かべていた。


もちろん、私だって嬉しい。

先生も宮司さんも無事だったのだから――。


けれど、心のどこかに澱のように残るものがある。

正体は、おそらく但馬さんだ。


自分に返ってくる呪詛。


そんな危険を承知で、なぜ彼は依頼を引き受けるのだろう。

詮索するなと言われた。

けれど知ってしまった以上、気にならずにはいられない。


「……但馬さんって、よく神社で見かけますけど。

ご近所に住まわれてるんですか?」


私の問いに、柏原さんは少し考え込むようにしてから答えた。


「近所かどうかは分からないけど……そうね。

数年前から頻繁に来るようになったわ」


「但馬って……例の呪術師か? 来てたのか?」


運転席の社長が眉をひそめる。


「あ……はい。松川神社で高確率で会います。社長も顔はご存じです。

宮司さんが倒れたとき、そばにいた男性です」


「ああ! あの若い男か! 知っていれば怒鳴りつけてやったのにな……」


社長は忌々しげに吐き捨てた。

車内に、しばし重たい沈黙が落ちる。



病院に着くと、私たちは最上階の特別室へ急いだ。

エレベーターの扉が開くと、そこにはすでに見慣れた顔ぶれが待っていた。


東地先生。点野さん。羽生さん。


ソファに腰を下ろした先生は缶コーヒーを手にしている。

疲れは滲んでいるのに、目元には確かな安堵が宿っていた。


「浅葱さん、松川は?」


社長が駆け寄る。

先生は立ち上がり、ニコリと微笑んだ。


「大丈夫ですよ」


「先ほど意識を取り戻しました。数日は入院して様子を見ますが、

命に別状はありません。中に入っていただいて大丈夫ですよ」


羽生さんが言葉を添えると、社長は勢いよく病室の扉を開けた。


「柏原さん。あんたも疲れただろう。松川さんに声をかけてやりな」

「ええ……羽生君、ありがとう。でもその前に――」


柏原さんは先生の前に進み出て、深々と頭を下げた。


「本当にありがとう……感謝してもしきれないわ」

「いえ。お祓いできて良かったです。お役に立てて、僕も嬉しい」


先生は柔らかく微笑み、柏原さんを病室の中へ促した。


扉の向こうから、社長の大きな声と、困惑する宮司さんの笑い声が聞こえてくる。

そっと覗くと、社長が宮司さんに抱きついていた。


「良かったですね」


頭上からの声に振り向くと、先生が優しく目を細めていた。


「先生……お疲れでしょう?」

「少しね。でも古川さんの顔を見たら、疲れも飛びました。ふふ」


「『東地、そういうところ』」


私と点野さんの声が同時に重なり、先生は吹き出すように笑った。

その笑顔を見て、ようやく胸の奥の硬さがほどけていく。


不意に羽生さんと目が合い、思わず尋ねてしまう。


「……もしかして羽生さん、この病院の先生なんですか? 

しかも宮司さんや柏原さんとも知り合いだったなんて……」


「口から酒を吹きかける医者、って紹介のほうが良かったか? ハハハ」


意地悪げに笑う羽生さん。

――そうだ。

東地先生の友人で、宮司さんの担当医だと言っていたのはこの人だった。


「古川さん」


声に振り向けば、点野さんが手招きをしている。

何だろうと近づいた途端、腕を取られた。


「点野さん、お疲れさまでした。先生のサポートだったんですよね?」

「うん。それより――最近、厄介事に巻き込まれてるよね?」


「厄介事……?」


首を傾げる私に、点野さんは小さく息を吐いた。


「なるほど。自覚なし、か」


次の瞬間、点野さんは私を抱き寄せた。


「し……!? 点野さん!?」

「黙ってて。今、縁を切ってるから」


低く落ちた声が、冗談に聞こえない。

背筋がぞくりとして、私は反射的に息を止めた。


「……え。誰との?」


問いかけても答えはない。

ただ、空気が“変わる”。

さっきまでの安堵の空気が、薄い膜を張るように緊張へ変わっていく。


「点野君……僕との縁まで切らないでくださいよ?」

拗ねたような先生の声が背後から響く。


「ついでにそれも切っておこうか」


点野さんの呟きは、聞かなかったことにした。

やがて腕が解かれ、点野さんが真剣な表情で告げる。


「但馬と、最近よく接触してるね。僕としては――関わってほしくない」

「……どうして分かるんですか?」

「縁が強くなりかけていたから。放置すれば、君に災いが降りかかる」

「それって……呪いが?」

「ええ。今のままなら、確実に」


心が粟立つ。

私の中の“澱”が、形を持ってこちらへ迫ってくるみたいだった。


その不安を包むように、先生が口を挟む。


「点野君は古川さんを心配しているんです。縁を切ったなら、もう大丈夫。

万一災いが来ても、僕がお祓いしますから安心してください」


「……はい。ありがとうございます」


私は二人に頭を下げた。


その後、先生と点野さんは仕事のため病院を後にした。

玄関先で見送ると、社長と柏原さんは何度も深く礼を述べていた。


「じゃあ古川さん、また連絡しますね」


「はい。ゆっくり休んで体を回復してください。

点野さんも、お疲れ様でした」


「うん。また」


二人が駐車場へ歩き去り、社長と柏原さんも院内へ戻っていく。

残ったのは、私と羽生さんだけだった。


「じゃ、俺も仕事に戻るか」


踵を返す背中に、思わず声が出た。

「あの……但馬さんのことなんですが」


「……さっき点野に言われたばかりだろう?」


厳しい視線が突き刺さる。

それでも私は逸らさなかった。


「忘れていません。でも……呪術師に返った呪詛は、お祓いできないんですか? 但馬さんが――」

「ストップ」


羽生さんが言葉を遮る。


「但馬が、お前さんに泣きついたのか?」

「それは違います」

「なら、余計な詮索はやめろ。俺の意見は点野と同じだ。」


鋭く、容赦のない眼差し。


「但馬を大事に思ってるのか? 命を張ってでも助けたいほどに」

「……」

「そこまでじゃないなら、半端な情けは身を亡ぼすぞ。東地を悲しませるな」


胸の奥が締めつけられる。

――覚悟もないのに首を突っ込むな。

但馬に言われた言葉と、同じ形で突き刺さった。


私は、本当に成長していない。


そのとき、不意に頭をくしゃりと撫でられた。

見上げると、羽生さんが苦笑していた。


「なんて顔だ。怒ってるわけじゃない。しょげるな」

「……」

「お前さんの優しさは立派だ。誇れ。――ただ、その優しさは危うい。

だから俺も点野も東地も心配してる。

傷ついてほしくないから、きついことを言うんだ」


「……はい」


涙がにじみそうで、私はただ小さく頷いた。



夜。

院内が静まり返ったころ、最上階の特別室の扉を開ける影があった。


「……誰だ?」


うとうとしていた松川が、うっすらと目を開ける。

扉の前に――花を抱えた但馬が立っていた。


「……俺だよ」

「涼太郎か……どうした」

「……生きてたか」

「おかげさまでな」


但馬はベッド脇の椅子に腰を下ろし、目を伏せたまま小さく呟いた。


「謝りたくてさ」

「狙ったわけじゃないだろう」

「……でも結果的には、そうなった」


短い沈黙。

松川は薄く笑みを浮かべ、静かに頷く。


「分かった。謝罪は受け入れよう」

「……ありがと」


その声は、安堵とも諦めともつかない。


「まだ……復讐は諦めてないのか?」

「諦めるくらいなら、こんな地獄は続けてねぇよ」

「……瘴気が深く沁みてるな」

「もうすぐ完成する。俺が死んだら……念仏でも唱えてくれよ」

「……それは専門外なんだが」


二人の笑いは小さく、しかしどこか虚ろだった。


但馬は花束をテーブルに置き、「じゃあな」とだけ告げて、音もなく病室を後にする。

扉が閉じ、再び静寂が戻る。


残された松川の耳には、鼓動のように――

カチ、カチ、と壁の時計の音だけが響いていた。

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