第7話 解除④
宮司のお祓いが成功したとの連絡が入り、
私たちは社長の車で病院へと向かっていた。
助手席の柏原さんは、心底ほっとした様子で目頭を押さえている。
運転席の社長もまた、胸を撫で下ろすような安堵の笑みを浮かべていた。
もちろん、私だって嬉しい。
先生も宮司さんも無事だったのだから――。
けれど、心のどこかに澱のように残るものがある。
正体は、おそらく但馬さんだ。
自分に返ってくる呪詛。
そんな危険を承知で、なぜ彼は依頼を引き受けるのだろう。
詮索するなと言われた。
けれど知ってしまった以上、気にならずにはいられない。
「……但馬さんって、よく神社で見かけますけど。
ご近所に住まわれてるんですか?」
私の問いに、柏原さんは少し考え込むようにしてから答えた。
「近所かどうかは分からないけど……そうね。
数年前から頻繁に来るようになったわ」
「但馬って……例の呪術師か? 来てたのか?」
運転席の社長が眉をひそめる。
「あ……はい。松川神社で高確率で会います。社長も顔はご存じです。
宮司さんが倒れたとき、そばにいた男性です」
「ああ! あの若い男か! 知っていれば怒鳴りつけてやったのにな……」
社長は忌々しげに吐き捨てた。
車内に、しばし重たい沈黙が落ちる。
◆
病院に着くと、私たちは最上階の特別室へ急いだ。
エレベーターの扉が開くと、そこにはすでに見慣れた顔ぶれが待っていた。
東地先生。点野さん。羽生さん。
ソファに腰を下ろした先生は缶コーヒーを手にしている。
疲れは滲んでいるのに、目元には確かな安堵が宿っていた。
「浅葱さん、松川は?」
社長が駆け寄る。
先生は立ち上がり、ニコリと微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
「先ほど意識を取り戻しました。数日は入院して様子を見ますが、
命に別状はありません。中に入っていただいて大丈夫ですよ」
羽生さんが言葉を添えると、社長は勢いよく病室の扉を開けた。
「柏原さん。あんたも疲れただろう。松川さんに声をかけてやりな」
「ええ……羽生君、ありがとう。でもその前に――」
柏原さんは先生の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「本当にありがとう……感謝してもしきれないわ」
「いえ。お祓いできて良かったです。お役に立てて、僕も嬉しい」
先生は柔らかく微笑み、柏原さんを病室の中へ促した。
扉の向こうから、社長の大きな声と、困惑する宮司さんの笑い声が聞こえてくる。
そっと覗くと、社長が宮司さんに抱きついていた。
「良かったですね」
頭上からの声に振り向くと、先生が優しく目を細めていた。
「先生……お疲れでしょう?」
「少しね。でも古川さんの顔を見たら、疲れも飛びました。ふふ」
「『東地、そういうところ』」
私と点野さんの声が同時に重なり、先生は吹き出すように笑った。
その笑顔を見て、ようやく胸の奥の硬さがほどけていく。
不意に羽生さんと目が合い、思わず尋ねてしまう。
「……もしかして羽生さん、この病院の先生なんですか?
しかも宮司さんや柏原さんとも知り合いだったなんて……」
「口から酒を吹きかける医者、って紹介のほうが良かったか? ハハハ」
意地悪げに笑う羽生さん。
――そうだ。
東地先生の友人で、宮司さんの担当医だと言っていたのはこの人だった。
「古川さん」
声に振り向けば、点野さんが手招きをしている。
何だろうと近づいた途端、腕を取られた。
「点野さん、お疲れさまでした。先生のサポートだったんですよね?」
「うん。それより――最近、厄介事に巻き込まれてるよね?」
「厄介事……?」
首を傾げる私に、点野さんは小さく息を吐いた。
「なるほど。自覚なし、か」
次の瞬間、点野さんは私を抱き寄せた。
「し……!? 点野さん!?」
「黙ってて。今、縁を切ってるから」
低く落ちた声が、冗談に聞こえない。
背筋がぞくりとして、私は反射的に息を止めた。
「……え。誰との?」
問いかけても答えはない。
ただ、空気が“変わる”。
さっきまでの安堵の空気が、薄い膜を張るように緊張へ変わっていく。
「点野君……僕との縁まで切らないでくださいよ?」
拗ねたような先生の声が背後から響く。
「ついでにそれも切っておこうか」
点野さんの呟きは、聞かなかったことにした。
やがて腕が解かれ、点野さんが真剣な表情で告げる。
「但馬と、最近よく接触してるね。僕としては――関わってほしくない」
「……どうして分かるんですか?」
「縁が強くなりかけていたから。放置すれば、君に災いが降りかかる」
「それって……呪いが?」
「ええ。今のままなら、確実に」
心が粟立つ。
私の中の“澱”が、形を持ってこちらへ迫ってくるみたいだった。
その不安を包むように、先生が口を挟む。
「点野君は古川さんを心配しているんです。縁を切ったなら、もう大丈夫。
万一災いが来ても、僕がお祓いしますから安心してください」
「……はい。ありがとうございます」
私は二人に頭を下げた。
その後、先生と点野さんは仕事のため病院を後にした。
玄関先で見送ると、社長と柏原さんは何度も深く礼を述べていた。
「じゃあ古川さん、また連絡しますね」
「はい。ゆっくり休んで体を回復してください。
点野さんも、お疲れ様でした」
「うん。また」
二人が駐車場へ歩き去り、社長と柏原さんも院内へ戻っていく。
残ったのは、私と羽生さんだけだった。
「じゃ、俺も仕事に戻るか」
踵を返す背中に、思わず声が出た。
「あの……但馬さんのことなんですが」
「……さっき点野に言われたばかりだろう?」
厳しい視線が突き刺さる。
それでも私は逸らさなかった。
「忘れていません。でも……呪術師に返った呪詛は、お祓いできないんですか? 但馬さんが――」
「ストップ」
羽生さんが言葉を遮る。
「但馬が、お前さんに泣きついたのか?」
「それは違います」
「なら、余計な詮索はやめろ。俺の意見は点野と同じだ。」
鋭く、容赦のない眼差し。
「但馬を大事に思ってるのか? 命を張ってでも助けたいほどに」
「……」
「そこまでじゃないなら、半端な情けは身を亡ぼすぞ。東地を悲しませるな」
胸の奥が締めつけられる。
――覚悟もないのに首を突っ込むな。
但馬に言われた言葉と、同じ形で突き刺さった。
私は、本当に成長していない。
そのとき、不意に頭をくしゃりと撫でられた。
見上げると、羽生さんが苦笑していた。
「なんて顔だ。怒ってるわけじゃない。しょげるな」
「……」
「お前さんの優しさは立派だ。誇れ。――ただ、その優しさは危うい。
だから俺も点野も東地も心配してる。
傷ついてほしくないから、きついことを言うんだ」
「……はい」
涙がにじみそうで、私はただ小さく頷いた。
◆
夜。
院内が静まり返ったころ、最上階の特別室の扉を開ける影があった。
「……誰だ?」
うとうとしていた松川が、うっすらと目を開ける。
扉の前に――花を抱えた但馬が立っていた。
「……俺だよ」
「涼太郎か……どうした」
「……生きてたか」
「おかげさまでな」
但馬はベッド脇の椅子に腰を下ろし、目を伏せたまま小さく呟いた。
「謝りたくてさ」
「狙ったわけじゃないだろう」
「……でも結果的には、そうなった」
短い沈黙。
松川は薄く笑みを浮かべ、静かに頷く。
「分かった。謝罪は受け入れよう」
「……ありがと」
その声は、安堵とも諦めともつかない。
「まだ……復讐は諦めてないのか?」
「諦めるくらいなら、こんな地獄は続けてねぇよ」
「……瘴気が深く沁みてるな」
「もうすぐ完成する。俺が死んだら……念仏でも唱えてくれよ」
「……それは専門外なんだが」
二人の笑いは小さく、しかしどこか虚ろだった。
但馬は花束をテーブルに置き、「じゃあな」とだけ告げて、音もなく病室を後にする。
扉が閉じ、再び静寂が戻る。
残された松川の耳には、鼓動のように――
カチ、カチ、と壁の時計の音だけが響いていた。
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