第3話 訪問診療⑦

鳥の囀りで目が覚めた。

まぶたを上げると、柔らかな光がカーテン越しに差し込み、

部屋を淡く照らしている。


重たい身体を起こして窓際へ行き、カーテンを開いた。


瞬間、目映い光が雪崩れ込む。

青々とした木々。眼下に広がる町並み。

目に優しいその景色に、自然と深く息を吸い込んだ。


――なのに同時に、脳裏に蘇るのは昨夜の出来事。

夢見が悪かったとはいえ、みんなに迷惑をかけた。

思い出すだけで頬が熱くなる。

あとでちゃんと謝らなければ。


顔を洗い、身支度を整えて階段を降りると、

香ばしい匂いが店内に満ちていた。


「おはようございます。眠れましたか?」


厨房から顔を出したのは点野さんだった。

私も「おはようございます」と頭を下げ、昨夜の失態を詫びる。


「いえいえ。こちらこそ……女性の部屋に無断で入ってしまったんですから。

気にしないで」


苦笑しつつ、点野さんはすぐに柔らかく笑った。


「もうすぐ朝食ができるよ。よければ、それまで散歩でもしておいで」


遠慮がちに「お手伝いさせてください」と申し出たが、

「ここは僕のお城だから」と笑顔で押し返され、

結局、軽く背中を押されるようにして外へ出た。


早朝の空気は少し肌寒い。

けれど透き通るように澄んでいて、肺の奥まで気持ちいい。

腕を大きく伸ばして、深呼吸をひとつ。

昨夜のざわめきが、ほんの少し薄れる気がした。


――ジャリ。


背後で砂利を踏む音。

振り返ると、煙草を咥えた羽生さんが眠そうな顔で立っていた。


「おはようございます」


「ああ……おはよーさん。はええな。ちゃんと眠れたか?」


「はい、ぐっすりです」


隣に並んだ羽生さんが、煙を吐きながら不意に言う。


「なぁ……お嬢ちゃんは、東地のこと、どう思ってる?」


「……朝から直球ですね」


思わず苦笑が漏れる。


「どう思うかと聞かれたら、好きですよ。

ただ……恋愛感情かと言われると、少し違う気がします。

優しいし、癒やしでもある。困ってたときに助けてくれた恩人ですから」


羽生さんは「なるほどな」と短く呟いた。


私はその横顔を覗き込みながら、少し茶化すように訊ねる。


「もしかして……“好きになるな”って釘を刺しに来たんですか?」


「は? なんでそう思う?」


「昨日からの会話の流れで、そんな気がしたので」


私の言葉に、羽生さんが堪えきれず吹き出した。

ブハッと豪快に笑う声に、私はむっと頬を膨らませる。


「悪い悪い」


そう言いながら羽生さんは、大きな手で私の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「細けぇことは言えねぇが……俺も点野も、東地の幸せを願ってる。

アイツに害を及ぼさない限り、反対はしねぇよ。むしろ応援するさ」


少し真剣な声音に、胸の奥がじんと温かくなる。

けれど同時に、その言葉の奥に――言えない事情の重さが沈んでいるのを感じた。


「……先生、色んな事情に巻き込まれてきたんですね。

優しいからこそ、相手に誤解させてしまう。

ビジュアルも職業も、執着を強める要因かもしれない」


「半分は当たりだな」


羽生さんは肩をすくめ、煙を吐いた。


「ま、複雑な事情を抱えてる。

……そのうち話す気になれば、アイツの口から聞けるだろうよ」


「心を許してくれたら――ってことですね」


そんな会話をしていると、店のドアが開いて東地先生が顔を覗かせた。


「古川さん、羽生君。朝食の用意ができましたよ」


「おー、今行く」


羽生さんは軽く返事をし、私の背中を押してくれる。

粗野に見えても、仕草の端々に隠しきれない優しさが滲んでいた。


その温度に触れながら、私は店の中へ戻った。


朝食を終えたあと、二人に礼を告げ、東地先生の車で帰路につく。

ハンドルを握る横顔には、どこか晴れやかな表情が浮かんでいた。


――その笑みの裏に、どれほどの思いを隠しているのか。

まだ私には、知る由もない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る