第3話 訪問診療⑥
成り行きで二階の宿泊ルームに泊まることになり、
点野さんに案内されて廊下の奥へ進んだ。
どうやらこの階には四部屋あるらしい。扉が等間隔に並び、
ホテルというより、隠れ家のような静けさが漂っている。
「この部屋を使ってね。何か分からないことがあったら連絡してください」
「はい、ありがとうございます」
点野さんを見送り、鍵を差し込む。
カチャリ、と乾いた音。扉を開いた瞬間、思わず声が漏れた。
「……わぁ」
北欧風の家具でまとめられた、可愛らしい空間。
テーブルも照明もベッドもセンスが良く、ユニットではない独立した浴室とトイレまで完備されている。
荷物を置いて窓際へ向かい、カーテンを引いた。
眼下に広がる夜景。無数の光が瞬いて、まるで宝石箱みたいだ。
――すごい。こんなところに泊まれることになるなんて。
でも朝からの緊張と、少しのお酒と、慣れない移動の疲れが一気に押し寄せてくる。
時計を見ると、すでに零時を回っていた。
「シャワー浴びて……もう寝よう……」
長くて、不思議な一日だった。
そういえば東地先生、羽生さんに運ばれていったけど大丈夫かな。
まあ、お医者さま同士だし――任せておけばいい、はず。
そう思ったところで、意識がすとんと落ちた。
◆ー同じ頃・二階の別室ー◆
東地はベッドに突っ伏し、屍のようになっている。
その横で、羽生と点野は涼しい顔でグラスを傾けていた。
「なぁ、点野。あのお嬢、どう思う?」
「古川さんですか? どう……とは?」
「コイツにとって、悪か善か」
羽生が顎で示した先には、屍と化した東地。
口調はぞんざいでも、目の奥に滲むのは心配だ。
点野は苦笑し、静かに答える。
「そういう意味なら――善、でしょうね」
彼はグラスを置き、淡々と続けた。
「女性特有の執着めいた“糸”も絡んでいません。
それに本人の自覚はないようですが……東地にとって、良い“盾”になってくれる」
「盾、ね……なるほどな」
「体質的にも職業的にも、東地は“人の念”を受けやすい。
古川さんみたいな人が傍にいれば、多少は逸らせるでしょう。
ただ――矛先が彼女に向いた時は、少々厄介になりますが」
その言葉に羽生は眉間に皺を寄せ、重く息を吐いた。
「こいつの体質は厄介だからな。気づけば、人の念に雁字搦めだ」
「持って生まれたものですからね……」
窓がガタガタと鳴る。風が出てきたらしい。
外に視線を移した点野の瞳に、一瞬だけ鋭い光が宿った。
羽生は東地を見つめ、また深くため息をついた。
◆ー夢ー◆
――シャラァァァァン。
大きな鈴の音が響いた、と思った。
次の瞬間、真っ暗な闇の中に、私はひとり立っていた。
(……え? ここ、どこ?)
見渡しても何もない。床も壁も天井も、輪郭だけが曖昧に滲んでいる。
不安が胸を締めつける。
そのとき――ゆらり、ゆらり。
遠くに小さな灯が揺れた。
私はその灯を頼りに歩き出す。
足音が吸い込まれていく。どこまで歩いても、闇は薄くならない。
やがて、灯の下に人影が見えた。
東地先生だ。
(先生……?)
ほっとしたのも束の間、違和感に足が止まる。
先生の向かいに、ぼんやりと光る“何か”が浮かんでいた。
「……なんだろう」
神社で見かける“人型”に似た紙の形。
ゆらゆらと漂い、私の声に反応するように――ゆっくり、こちらを向く。
パチリ。
紙の中に“目”が開いた。
次の瞬間、耳をつんざくような声が、闇そのものから叩きつけられた。
「オ・マ・エ・ジャ・マ」
闇がうねり、光が膨らむ。
人型が不気味に歪みながら、私に襲いかかってくる。
「古川さん!」
先生が私を強く抱き寄せた。
その瞬間、ポケットの中から眩い光があふれ出し、闇を切り裂いた。
「アアアアア……ジャマヲスルナァァァァァ!」
悲鳴だけを残して、人型は霧のようにほどけ、消えた。
◆ー現実ー◆
「……さん」
「……古川さん」
え?
名前を呼ばれて目を開けると、視界いっぱいに東地先生の顔があった。
「うひゃっ!」
「うひゃって……。大丈夫ですか? 魘されていたようですが」
「え……あ……嫌な夢を見ていたみたいで……」
「無事で良かったです」
先生の表情が、ふっとやわらぐ。
その後ろに、なぜか点野さんと羽生さんまで立っていた。
「す、すみません! 夢でうなされて声を出しちゃったんですね⁉
ほんと、気にせず寝てください!」
慌てて赤面する私の手を、点野さんがそっと取る。
「これは?」
「え?」
握られた手の中に――あのお守り。
私が仕事で初めて作った“第一号”が、しっかりと握り込まれていた。
「これ……なんで、持ってるんでしょう?」
首を傾げる私の横で、羽生さんがブハッと吹き出した。
「なるほどなぁ。盾に違いねぇわ、ハハハ!」
意味不明なことを言いながら、私の頭を豪快に撫でまわす。
「ちょ、羽生さん⁉ 頭が捥げます!」
「怖い夢みたんなら、俺が添い寝してやろうか?」
「羽生君、タコ殴りにしますよ?」
「サービストークだろ。心の狭ぇ男だなぁ……」
「全然サービスになっていませんよ」
東地先生と羽生さんの掛け合いに、思わず苦笑が漏れる。
その隙に、点野さんがさりげなく私の傍へ来て――ふいに、私を抱きしめた。
「ほわわわわ! 点野さん?」
「フフ。よく眠れるように、おまじない」
「いや……逆に心拍数上がって眠れなさそうですけど?」
「点野君のムッツリ!」
ぷんすこと怒る東地先生。
……そういえば、酔いつぶれてたはずなのに復活してる。
さすが医者。というか、さすが先生。
「まぁまぁ。酔っぱらいのしたことだから大目に見て。
じゃあ古川さん、ゆっくり休んでね」
点野さんは二人を引きずるようにして部屋を出て行った。
最強はこの人なのかもしれない――そんなことを思う。
部屋が静かになると、ふぅ、と息を吐いた。
夢の内容はもう輪郭が薄いのに、手の中の温度だけが妙に現実的で、
胸が落ち着いている。
握りしめていたお守りをベッドサイドに置き、目を閉じた。
◆ー廊下ー◆
廊下に出た東地は、先ほどまでの穏やかな顔を消していた。
「点野君」
「ああ……切っといたよ。追跡はできないように」
「ありがとうございます」
「だが……お嬢がまさか“浄化”するとはな」
「東地にとって、足りない部分を補える有難い存在ではあります。
――ただ、守るべき対象が増える、ということでもある」
三人は窓の外を見る。
そこには――ビリビリに裂けた人型が、風に揺れていた。
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