第3話 訪問診療⑤

お手洗いから戻ると、衝撃の光景が目に飛び込んできた。

羽生さんが、先生の口にワインの瓶を――直で、突っ込んでいる。


……いやいやいや。なにこれ。どうしてこうなった?


「っぷは……羽生君、ひどいです!

僕、車で来たんですよ? 運転できなくなったじゃないですかぁぁ!」


先生は目を潤ませて抗議しているのに、羽生さんは豪快に笑い飛ばす。


「ハハハ! どうせ明日は休みだろ。

この店に来た時点で諦めろ。なぁ点野、上の部屋空いてるだろ?」


「浩輔……まぁ空いてはいるけどね。

でも、僕の店でお客様に迷惑をかけるのはやめてくれるかな?」


料理を運んできた点野さんが、険のある笑顔を浮かべた。

背後に黒いオーラが見えるのは気のせいだろうか。

うん、これは完全にオコだ。


「もう閉店にして飲もうぜ!」


酒乱モード全開の羽生さんが、今度は点野さんに肩を回して絡み始める。

俺様ジャイアン、爆誕である。


私は少し離れたところからその様子を眺めていたが、点野さんと目が合った。

彼は「すまない」という顔をして、すぐに苦笑へ変える。


「ごめんね。せっかく来てくれたのに、この馬鹿の酒癖のせいで。

二人とは大学時代からの腐れ縁なんだ。

君を送るタクシー代は、きっちり羽生から徴収するから安心して。

お詫びにデザートも作るよ」


……点野さん、完全に苦労人だ。


一方の先生は、いつの間にかテーブルに顔を伏せて微動だにしない。

強く生きて、先生。


「いえ、お気になさらず。タクシーは自分で呼びますから」


そう言った瞬間。

突っ伏していたはずの先生が急に復活して、私の腕を掴んだ。


「だ、駄目です! 僕が連れてきたんですから、責任持って送っていきますぅ!」


「飲酒運転はダメです!」


キャラが幼児化してませんか、先生。

先生は再び机に突っ伏し、今度こそ本格的に沈黙した。


私は携帯でタクシーアプリを開こうとする。

そのとき――チャリ、と乾いた音を立てて鍵が置かれた。


「……鍵?」


顔を上げると、目の前に羽生さんが立っていた。

さっきの荒っぽさが、少しだけ引っ込んでいる。


「悪ぃな。東地に飲ませたのは俺の責任だ。

この店の上、宿泊できる部屋がある。今夜は泊まってけ。

いい部屋だし、景色も最高だ。明日は東地に送らせる」


「え……でも……」


戸惑う私に、点野さんが穏やかに頷いた。


「大丈夫。料金は羽生から預かってる。

東地もこの状態じゃ帰れないし、ここは迷惑ついでに甘えてくれると嬉しいな」


「……よろしいんですか?」


「もちろん。せっかくだし、落ち着いてからゆっくりしよう」


イケメンの微笑みに耐性ゼロの私は、反射で深くお辞儀してしまった。

点野さんはグラスを差し出して、軽く笑う。


「おい、何こっそり口説いてやがんだ。このムッツリ」

「口説いてない。浩輔の尻拭いをしてるだけだよ」

「そ、そうです。点野さんには親切にして頂いてます」

「んー……俺は親切じゃねぇの?」


羽生さんが、子どもみたいに拗ねた顔をする。

怖いので瓶を突っ込まれない程度に距離を取りつつ、私は答えた。


「羽生さんは……豪快なトラブルメーカーですね」

「違いねぇな! ハハハハ!」


その笑い声につられて、私はついテーブルへ視線を戻す。

先生は相変わらず、眠り込んだままだ。


仕事と運転の疲れもあったのだろう。

……決して急性アルコール中毒ではない、はず。

一瞬、不安が胸をよぎる。


「東地なら大丈夫だ。もしものときは俺も医者だし、心配すんな」


「えっ……医者?」


「なんだよ、その意外そうな声は。

俺だって地元じゃ腕のいい医者で通ってんだぞ」


羽生さんはまた豪快に笑った。


うーん……なんというか、消毒と称してアルコールを吹きかけそうなイメージなんだけど。


「いや、さすがにそれはしねーよ」


「……あれ。今、声に出てました?」


私の本音はどうやら漏れていたらしい。

気まずさを誤魔化すように、私はハハハと笑うしかなかった。


こうして私は、思いがけず“お泊まりイベント”に巻き込まれていくのだった。

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