第2話 “再現”
ゴブリンは、命令された通り床に座り込んでいた。
その姿は、生きていた頃と何一つ変わらない。
目は開き、口は半開きで、今にも唸り声を上げそうなのに——そこにあるのは、沈黙だけだった。
イツキは、床に落ちていたペンを拾い、ゴブリンの腕を突いた。
抵抗はない。倒れもしない。
ただ、触れられた部分がわずかに揺れた。
「……すげぇな」
乾いた笑いが漏れる。
笑っていい状況じゃないのに、口元だけが勝手に動いた。
「ゴブリン、立て」
半信半疑で命じる。
次の瞬間、ゴブリンはぎこちなく立ち上がった。
関節が噛み合っていないのか、動くたびに骨が擦れるような不快な音が響く。
「……一歩、前」
右足が前に出る。
操り人形のような動きだが、それでも確かに“命令を理解している”。
「……もう一歩」
左足。
「じゃあ」
イツキは、今度は声を出さずに念じた。
——その場で座れ。
ゴブリンは座り込んだ。
「……なるほど。音声と、脳内指示の両方が通るってわけか」
思考が、自然と編集者のそれに切り替わる。
イツキは椅子に腰を落とし、深く息を吐いた。
「材料じゃない……やっぱり、設計だな」
ゴブリンの核。
あれは消費されたのではなく、“分解”された。
魔物の構造そのものが、自分の中に落とし込まれた。
そう考えれば、辻褄は合う。
再構築にした際に脳内に流れた声によれば、このゴブリンは26%の再構築率らしい。
およそ四分の一ほどしか再現できていない。
この数値でも、見た目だけの再現はできたって感じだろうか。
「……いや、低いな」
イツキは心の中で唱えた。
——ゴブリンの分解。
その瞬間、ゴブリンの身体は霧のようにほどけ、消えた。
《睡眠時間を2時間使用——残り36時間》
「……やっぱ、消費するか」
頭が、じわりと重くなる。
だが、確信した。
再構築は“復元”であり、“理解”だ。
分解することで、構造がより鮮明に刻まれる。
「もう1回だ」
同じ姿。
同じ構造。
念じた瞬間、空気が歪み、魔力の靄が立ち上る。
二体目のゴブリンが、形を成した。
核がなくとも、予想通り再構築は成功した。
《再現率38%——ゴブリンの再構築に成功しました》
輪郭は安定し、皮膚の色も均一だ。
「……上がったな」
だが、直後に強烈な眠気が叩きつけられる。
《睡眠時間を3時間使用——残り33時間》
「はぁはぁ、再現率が上がれば代償も増えるのか」
額を押さえながらも、視線はゴブリンから離さない。
「……38%」
そこまで来て、知識が追いついた。
「——ゴブリンの固有スキル」
低位魔物ながら、ゴブリンの生存率が異様に高い理由。
「《俊敏》……だよな」
試しに命じる。
「俊敏を使え」
ゴブリンは動かない。
「……未完成、か」
今の再現率では足りないらしい。
構造は再現できても、機能までは届かない。
「同時に増やすのは……」
もう1匹のゴブリンを再構築を試みた瞬間、頭の奥がじくりと痛む。
魔力は反応しなかった。
「今のところは1匹が限界ってことか」
イツキが頭を悩ませた時、ゴブリンは指示なく動き始めた。
「びっくりした……」
ゴブリンは廊下の奥へと顔を向けたまま、微動だにしなくなった。
だが、それだけで十分すぎるほどだった。
“何かがいる”と悟るには。
床を擦る音。
湿った呼吸音。
闇の中で、二つの赤い光が瞬いた。
「……ブラッドウルフ、か」
中位の魔物。
そしてゴブリンを獲物として捕食する天敵のような存在。
嗅覚、俊敏性、そして血に反応する特性。
知識が、次々と恐怖へ変換されていく。
「頼む、寝てないんだ。こっちには来るなよ……」
願いは、当然のように裏切られた。
闇が動いた。
次の瞬間には、イツキの本能が叫んでいた。
「……行け!!」
命令と同時に、ゴブリンがブラッドウルフのいる廊下へ飛び出す。
イツキ自身も、反射的に反対方向にある出口へと駆けて、そのまま廊下へと飛び出した。
背後で、低い咆哮。
肉が裂ける音。
《睡眠時間を1時間使用——残り32時間》
「……っ、くそ……!」
倦怠感が、足に絡みつく。
だが、立ち止まれば終わりだ。
編集部を抜け、非常灯だけが点る廊下へ。
昼間なら見慣れたはずの通路が、別物のように歪んで見える。
「この廊下、こんなに長かったっか……!」
肺が焼ける。
息が、喉に引っかかる。
背後から、爪が床を削る音が近づいてくる。
「くそ、まだ追ってきてる……!」
イツキは走りながら、必死に念じた。
骨格。
筋肉。
関節。
「こいっ!」
《再現率52%——ゴブリンの再構築に成功しました》
《睡眠時間を4時間使用——残り28時間》
3匹目のゴブリンが、廊下の中央に現れた。
倦怠感を振り払い、イツキは足を止めることなく、ゴブリンへ指示を出す。
「いけ!」
それと同時。
再び脳内に声が響いた。
《一定数値を超えたため、ゴブリンの固有スキル——“俊敏”の使用が可能になりました》
「まじかよ! それなら——」
——俊敏を使用して、できるだけブラッドウルフの足止めをしろ。
3匹目のゴブリンは固有スキルのしようが可能になった。
スキルの使用を指示したものの、あまり期待はしていなかった。
再現率100%のゴブリンを主食としている捕食者が相手だ。即席のゴブリンじゃ、時間を稼げてもほんの数十秒が限界だろう。
走り続け、ゴブリンが見えなくなった時。
破壊を知らせる倦怠感と脳内に響く声が、イツキを襲った。
《睡眠時間を3時間使用——残り25時間》
頭が、重く揺れた。
着実に残りの残り時間は減っている。
イツキの身体もそろそろ限界を迎えていた。
視界の先に、エレベーターホールが見えた。
「……頼む、動いてくれ……!」
上下のマークが描かれたボタンを叩く。
反応はない。
表示灯は消え、パネルは沈黙したままだった。
「……停電……? いや、ダンジョン化の影響か……?」
背中を、冷たいものが撫でる。
振り返る。
暗闇の向こうで、赤い光が確実に近づいていた。
「……行き止まり、かよ……」
逃げ場はない。
階段も、非常口も、すでに通り過ぎている。
イツキは壁に手をつき、そのまま膝をついた。
頭が、割れるように痛い。
身体が、言うことをきかない。
「でも、やるしか……」
ブラッドウルフが闇からその姿から表した。
まだ残り時間は残されている。
歯を食いしばり、短剣を手に取ってイツキは立ち上がる。
「今は、戦うしかないよな……」
覚悟を決めたイツキは、ブラッドウルフと睨み合う。
ダンジョンに安息などないことを噛み締めながら。
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