第6話


「クーロ。どうしたんだ?」

「え……エメリナさんが、別の補修箇所を見つけたんです。それの報告にと……」


 その瞬間、がたんと乱暴な音と同時に食堂からオレガリオが出てきた。オレガリオはエド達の近くへとつかつか歩き、機嫌悪そうに三人を睨んだ。


「おい、お喋りならよそでしな。通行人の邪魔だ。……よお坊主。お前ホントに細いな。ちゃんと生えてんのかよ?」


 ガハハ、とさっきの仕返しとばかりに、オレガリオは高らかに笑って階段を上っていった。


 笑い声が遠ざかっていくのを確かめて、エドはそっと尋ねた。


「ある事件というのは……殺人か?」

「いいえ。けど、ある意味それよりも凶悪かもしれません」


 エドは船長室に戻った。クーロもエドに目配せされ、そろりと中に入った。

 クレメンテは二人が入るなり、そうっとドアを閉めて言い出した。あのオレガリオが関与しているという、例の事件のことだ。


「現在私が調査しているのは、正確には殺人ではなく窃盗事件です。今からおよそ一か月前、カスティーリャにあるという機密機関……厳密に言うと、大砲やマスケット銃に代わる強大な兵器を開発する機関から、新たな兵器の設計図と材料が盗まれたんです。犯人は海軍に所属していました。一時期は捕まりましたが、刑罰を恐れてかすぐに逃亡しました。盗品は返されていません……というより、逮捕した時点ですでに横流しされ、今は海賊の手にあるというのです」

「海賊……?」

「ええ。ジェーン王国へ向かわれているのなら当然この名前をご存じのはずです。――『海賊ブランデ』」


 海賊ブランデ……。

 生まれたばかりのジェーン王国で唯一の存在であるが、とてつもなく冷酷非道だという海賊の名前。


「勿論、直接海賊の手に渡ったわけではありません。その間には、いくつも橋渡し役がいました」 

「それがうちの……」

「オレガリオ、というわけです。犯人から得た情報をもとに、導き出された結論はこうでした。盗品を受け取った人物は『パルド号』という船に乗っていた。そしてそのパルド号から、小舟を一隻盗んで逃亡した。日付は七月の十六日。場所はネーデルランド近海。その人物は夜に忽然と姿を消したそうです。それも二人の女性を連れて……」


 状況が一致しすぎている。オレガリオ、アビゲイル、エメリナ……ボロボロの小舟に乗った三人を見つけたのは、確かにネーデルラント近海、それも七月の十六日のことだった。

 オレガリオに漂流した経緯を訊いたとき、彼は船の船員との間にいざこざがあったからだと言っていた。エメリナにも訊いてみると、真面目な彼女は、父がいつものように反感を買ったからだ、それで逃げる羽目になったのだと話していた。


 三人ともあのような性格である。オレガリオは海の男らしく喧嘩っ早い。深くは気に留めていなかった。……が、実際はクレメンテの言う通り、事件に関与していたのかもしれない。はっきり言って、腑には落ちないが……。


「お察しの通り、これはカスティーリャの事件です。ですが私は、どうしてもこの事件を解明したいのです。母の名誉の為に」

「母?」

「はい。実を言うと今回の窃盗犯は、私の母――アイーダ・ベルモンテ准尉の部下でした。そのため、母は降格の危機に晒されてしまったのです。私は、そんな母の名誉の為に単独で調査をすることに決めました。ジェーン海軍である私がカスティーリャの事件を追っているのはそのためです」

「……君の中で、すでに犯人は確定しているのか?」


 クレメンテは口を噤んでから、しっかりと頷いた。


「ええ。これ以上一致する人はいないと思います。これから向かうラルガノーチェ島で彼を逮捕する予定です」


 堂々と言い放つ。が、エドの表情は暗い。


「正直、私は彼が犯人だとは思えない」

「短い間とはいえ、あなたの部下ですから。信じられないのも無理はありません」

「確かに素行が良いとは言い難い男だ。けど、そんな悪事を働くような人間には、私にはどうしても見えない」


 クレメンテは軽く目を閉じた。エドの気持ちは勿論わかっている。そんな様子だ。


「……ラルガノーチェ島まであと四日はあります。決定的な証拠も出ていませんから、私ももう少し調査を続けるつもりです」


 そうして、呆気にとられるエドとクーロを順に見やる。


「すみません……急な話で驚かせてしまって。では、私は失礼いたします。どうか、このことはご内密に」


 クレメンテは慎重にドアを開け、船長室を立ち去った。その背中は先ほどまでの柔らかなものではなく、軍人らしい凛々しいものに変わっていた。

 部屋の中には、立ち尽くすエドとドアを見つめるクーロ、二人だけが取り残された。


「……大丈夫だ、クーロ。オレガリオは犯人ではないよ」


 何の確証もない、勘だけの言葉だ。クーロの反応は薄い。この短い間に二度もオレガリオに脅かされてきたのだ。


「……まあ、仕事以外では褒めにくい男だが、彼もエメリナの親なんだ。黒ではないよ」


 それでもクーロは不安げに胸ぐらを掴んで俯いていた。乗船早々雲行きが怪しいのだ。怯えるのも無理はない。


 とそこで、エドは気が付いた。クーロは胸倉を掴んでいるのではない。何か小さなものを握り締めているのだ。

 よく見てみると、どうやらそれはネックレスのようだった。おそらく靴ひもで作ったのだろう。首にくたびれた革紐が掛けられている。

 クーロの拳が開いた。光に輝く銀の指輪がクーロの骨ばった手に乗せられている。彼の服装を考えると、似つかわしく、妙な違和感を覚える指輪だった。


「それは?」

「母の形見です。お父さんとのたった一つしかない結婚指輪……そう言っていました」


 エドはじっくりとその指輪を覗き込んだ。五ミリほどの幅があるやや太めの指輪には、よく見ると独特な波模様が描かれている。波の中には細かい字で何かが書かれているようだ。小さすぎてすぐには読めない。  


「『GからIへ。一六〇三年』と書かれています。母の名前はイザベルです。父の名前は……わかりません。母は、僕が三歳のときに亡くなりました。その年じゃ父の顔もおぼろげで、父のことは何も知らないんです」


 つまりこの指輪は、父親探しの唯一の手掛かりと言うわけだ。


「義母がいたらしいが、彼女は?」


 クーロは一度口を閉ざしてから答えた。


「わからないみたいです……。もともと僕達を引き取ることにしたのは、義母の亡くなった父親だったので……」

「なら、他に手掛かりは……」

「一つだけ、あります」


 クーロは手のひらの指輪に目を戻した。


「ある職人さんの図面に、この指輪と同じ絵を見つけたんです。話によると、引退した親方が手がけた指輪らしくて、二、三年前もその指輪の持ち主に会いにジェーン王国へ行くと言っていたみたいなんです。知っているのはそれだけ……。でも、十分手がかりになるはずです」


 だから鍛冶職人の話をしたのか、とエドは先ほど縄梯子でした話を思い出した。その話が本当なら、父親捜しは難しくなさそうだ。ジェーン王国にいる確率はかなり高い。しかも、こんな複雑な指輪を特注しているのだ。人物像は絞られる。二人の兄妹に抱いた上品なイメージも、あながち間違いではなさそうだ。


「事情は呑み込めたよ。詳しく話してくれて、ありがとう」


 先ほどのクレメンテの話で、クーロの表情はまだ暗い。エドは励ますように、暖かい声で続けた。


「私も協力するよ。当然、初めからその予定だったが。これからは手掛かりになりそうな場所に行く機会も多い。そのときは同行しよう」


 はい、とクーロは頷いた。

 クーロは再び指輪に目を落とすと、そっと服の中に仕舞い込んだ。


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