第4話
「ちょっと挨拶した程度でビビりやがって。随分弱っちいな、坊主」
どうにか縄梯子にしがみついていたクーロの真上で、中年の大男がニヤニヤいやらしい笑みを浮かべている。顔も胴も腕も足も、普通の人間の倍の大きさはある、大男と呼ぶにふさわしい男だった。
何をしたかは知らないが、困っている人を笑うのは失礼極まりない。エドが口を開こうとすると、今度は頭上から女の鋭い声が聞こえてきた。
「何笑ってるの? この人でなし。もし怪我でもしたらどう責任取るつもり?」
マストの天辺にある見張り台から、十代後半ほどの少女が覗き込んでいる。
まっすぐと垂れた黒い髪……昨日見た女性だ、とクーロはすぐに気が付いた。少女はまるで汚いものでも見るかのような目で、チッ、と舌打つ男を睨んでいる。
「俺はただ挨拶がてら背中を叩いただけだ。怪我させるつもりなんて一ミリもない」
「だからって脅かすのはどうなの?」
「脅かしたんじゃねぇ。あのチンピラ曰くオレは何もかもが二倍みたいだからな。ちょっと加減を忘れただけだ」
「じゃあよそ様に近寄らないで。加減がわからないんでしょ? 死んだらどうするつもり?」
「ったく……相変わらず大げさな娘だな」
やれやれと肩を落とす男にエドが言う。
「私もエメリナの言う通りだと思う。命綱をしているとはいえ、落ちてもケガをしないわけじゃない。それにオレガリオ……命綱は?」
「そうよ。自殺行為じゃない」
「はっ、自殺行為はそっちだろ。素人二人もいるってのに、こんな高いところでお喋りとは。いついかなるときも油断は禁物。そうじゃないか?」
もっともらしいことを言ってはいるが、エメリナの表情は怪訝そうだ。オレガリオの大きな尻を見上げていたクーロも、醒めたように目を細めている。命綱もしていないので説得力がない。
「一理はある。確かに長話には向かない場所だ。けれどオレガリオ。今回ばかりは悪い癖だ。そもそも、オレガリオの仕事は甲板での操帆が主なはずだ」
「俺はマストに上っちゃいけねえのか。気分転換くらいいいだろうよ、減るもんじゃないし」
「減るのよ、あなたの場合は。余計なちょっかい出して。少しは大人しくしてたらどう?」
すかさずエメリナが言う。すると今度は甲板から、エメリナとは違う別の女の声が聞こえてきた。
「なーに? なーにまたそんなとこで揉めてんだい、あんた達」
エメリナは女の姿を確かめると、面倒くさそうに顔を引っ込めた。赤い髪を一つにまとめた小柄な女は、こちらの顔を一通り見るなり余裕たっぷりに頷いた。
「なるほど。また喧嘩を吹っ掛けたわけか。レオに口喧嘩で負けたからって、弱い者いじめはいけないねぇ」
「違えよ」
「じゃあそこの坊やに焼きもち焼いたのかい? あたし好みの美少年だもんねぇ。ボク、何かあったらこのアビゲイルのとこに来るんだよ。そのデカい重石をとっちめてやるから」
と、オレガリオが縄梯子を降り始めたときだった。オレガリオの乗ったロープが弛み、大きな体が滑り落ちていった。
その場にいた全員が目を見開いて絶句した。……が、咄嗟にオレガリオが縄梯子にしがみついたため、ほっと安堵の息が零れた。どうにか窮地を脱したものの、命綱もないので本当に危ないところだった。
「……っぶねぇ……。ったく、おんぼろな船だぜ」
冷や汗をかいて見ていたエメリナが、ハッと我に返って眉を顰める。
「一体何様のつもり? エドさんの恩も忘れて」
「恩なら仕事で十分返してるだろうが。大体、オレは『助けて』なんて言った覚えはない」
「言ったでしょ。おかしなこと言わないで」
今のですっかり戦意も消え失せたのか、オレガリオはぶつくさ文句を垂れながら縄梯子を下っていった。甲板の野次馬を適当に追い払って、ブリッジに消えていく。
「まったく情けないねぇ。あんなの悪い手本だから、マネしちゃだめだよ、ボク」
アビゲイルも熱っぽいウィンクをしてからオレガリオの後を追っていく。二人の消えた甲板は、一気に静寂に包まれた気がした。
「大丈夫か? クーロ」
「あ、はい……」
見張り台のエメリナが、声を潜めて呟いた。
「ごめんなさい……私の両親なの」
クーロとララが意外そうに顔を上げた。オレガリオの黒々とした髪と、アビゲイルの鼻筋の通った顔は、確かにエメリナと似ていなくもない。
「あれでいいところもある、って言いたいけど、実際何もないから恥ずかしいのよね……」
「それでも、君達親子には助けられているよ」
エドはそう言いながら、例のロープの弛みを確認した。オレガリオの体重のせいもあるだろうがもともと弱っていたのだろう。ロープの細かい毛が飛び散っていて、千切れそうなくらいになっている。
「今すぐ修理が必要だな。道具を持ってくる。……エメリナ。少しの間、二人を頼んでいいか?」
はい、とエメリナは近くにある命綱を掴んで言った。
エドはマストを後にして、中層甲板にある倉庫へと向かった。
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