第三章 最初の一手
月が細い三日月だった夜のことを、修平は覚えている。
ベルモント伯爵邸での工事が三週間目に入った頃、修平は密かに「実験」を始めていた。
工房の片隅に放置されていた廃材——亀裂の入った魔導管、欠けた魔導石、使い古された接続具。職人たちが「もう使えない」と捨てたものを、彼は一つ一つ拾い集めていた。
「また拾ってるのか」
リカルドが呆れた声で言った。
「ゴミ拾いが趣味なのか、お前は」
「これは、ゴミじゃないですよ」
修平は手のひらサイズの魔導石を光にかざした。表面に細かなひび割れが走っている。通常なら、廃棄処分だ。
「この石、まだ魔力が残っています」
「残ってたって、ひびが入ってりゃ使えないだろう」
「使い方次第です」
その夜、修平は宿舎で作業を始めた。
ひび割れた魔導石を、細かな樹脂で補強する。完全に密封するのではなく、魔力が流れるための経路だけを確保する。
次に、魔導管の接続部を加工した。この世界の接続方式は、管と管を直接つなぐだけの単純なものだ。隙間があっても気にしない。魔力が漏れても「仕方がない」と諦める。
違う。
修平は、別の方法を試した。
電気工事で使う「リングスリーブ圧着」という技術がある。銅線同士を接続するとき、金属製のスリーブ(筒)をかぶせ、専用の工具で圧着する。これにより、機械的な強度と電気的な接続の両方が確保できる。
同じ原理を、魔導管に適用する。
接続部の外側に、薄い金属板を巻きつける。端を折り返し、木槌で叩いて密着させる。隙間には、熱で溶かした樹脂を流し込む。
三時間後、修平は完成したものを見つめた。
補修済みの魔導石。改良型の接続具。そして、それらを使った小型の魔導回路。
発動してみる。
【配線術】のスキルが、青白い糸のような魔力の流れを視覚化した。
漏れがない。
経路効率は——九十二パーセント。
この世界の標準的な施工では、せいぜい四十から五十パーセント。修平が工房の照明を密かに改修したときでも、七十パーセント程度だった。
九十二パーセントは、革命的な数値だった。
「——これだ」
修平は呟いた。
これが、自分がこの世界でできることだ。
◇
翌日、修平はリカルドに「提案」を持ちかけた。
「主幹の接続部を、新しい方式で施工させてください」
リカルドは眉をひそめた。
「新しい方式?」
「はい」
修平は、昨夜作った改良型接続具を見せた。
「これを使います」
リカルドは接続具を手に取り、まじまじと見つめた。金属板で補強された接続部。樹脂で密封された隙間。見慣れない形状に、彼の表情が複雑になった。
「……見たことがないな」
「俺が考えました」
「お前が?」
「ええ。従来の接続方式だと、魔力の漏れが多すぎます。主幹はビル——屋敷全体に魔力を送る大動脈ですから、ここでの損失は全体に影響します」
リカルドは腕を組んだ。
「理屈はわかる。だが、試したこともない方式を、いきなり本番で使うわけにはいかない」
「では、まずテストをしましょう」
修平は、工房から持ってきた廃材を取り出した。
「この魔導石は、ひび割れがあって廃棄予定のものです。これを使って、簡易的な回路を組みます。従来方式と新方式、どちらが効率が良いか——実際に測ってみましょう」
「測る?」
「ええ」
修平は、もう一つのものを取り出した。
小さな水晶のような結晶。その中心に、細い金属線が通っている。
「これは何だ」
「魔力の流量を測る器具です。魔力が流れると、結晶の色が変わります。色の濃さで、どれだけの魔力が通過したかがわかる」
リカルドの目が大きくなった。
「そんなもの、どこで手に入れた」
「作りました」
「——作った?」
「昨夜」
リカルドは、しばらく言葉を失っていた。
やがて、彼は深いため息をついた。
「お前は本当に——何者なんだ」
「ただの電気工事士ですよ」
「その『電気工事士』とやらが何なのか、俺にはさっぱりわからんが」
リカルドは首を横に振った。
「まあいい。テストをするなら、付き合ってやる」
◇
テストは、工房の裏庭で行われた。
リカルドだけでなく、何人かの職人が見学に来た。噂を聞きつけた見習いたちも、遠巻きに見守っている。
「まず、従来方式で回路を組みます」
修平は、手際よく作業を進めた。
ひび割れた魔導石を電源として、魔導管を三メートルほど延ばし、先端に小さな魔導灯をつける。接続部は、この世界で一般的に使われている方式——管と管を直接つなぎ、軽く叩いて固定する。
「魔力を流します」
魔導石に手を当て、起動の術式を唱える。青白い光が管の中を走り、魔導灯が点灯した。
「——明滅してるな」
リカルドが言った。
確かに、魔導灯の光は不安定だった。明るくなったり暗くなったり、揺らいでいる。
「接続部から魔力が漏れているからです」
修平は、流量計を接続部に当てた。
「見てください。入力側と出力側で、これだけ差があります」
二つの結晶が並んでいる。入力側は濃い青、出力側は淡い水色。
「入力の約四十パーセントが、途中で失われています」
ざわざわと、職人たちが騒めいた。
「そんなに漏れてるのか」
「だから魔導石の消耗が早いんだな」
「今まで、ずっとこうだったのか……」
修平は、回路を分解した。
「次に、新方式で組み直します」
今度は、彼が作った改良型接続具を使う。金属板を巻き、木槌で叩き、樹脂で密封する。作業時間は従来の三倍かかったが、仕上がりは明らかに違った。
「魔力を流します」
魔導石を起動。
魔導灯が、安定した光を放った。明滅はない。一定の明るさを保っている。
「流量計を見てください」
今度は、入力側と出力側がほぼ同じ色だった。
「損失は約八パーセント。従来の五分の一以下です」
沈黙が落ちた。
リカルドが、ゆっくりと口を開いた。
「——信じられん」
「これが現実です」
修平は、改良型接続具を持ち上げた。
「この方式なら、同じ魔導石で倍近い時間、同じ明るさを維持できます。あるいは、同じ時間なら、魔導石を半分に減らせる」
「コストが——」
「半分になります」
職人たちの間から、どよめきが起きた。
魔導石は高価だ。大規模な建物になれば、年間の維持費の大部分を魔導石が占める。それが半分になるなら——
「伯爵邸の全ての接続部を、この方式で施工し直しましょう」
修平は言った。
「工期は少し延びますが、完成後の運用コストを考えれば、十分にペイします」
リカルドは、しばらく考え込んでいた。
やがて、彼は大きく頷いた。
「——わかった。お前の方式でやる」
「ありがとうございます」
「だが、工房長の承認が必要だ。俺の一存では決められない」
「もちろんです」
修平は頭を下げた。
一歩ずつ。
焦らず、着実に。
これが、俺のやり方だ。
◇
工房長への説明は、エリーゼが取り持ってくれた。
彼女は父親に、テスト結果のデータを示し、新方式の利点を論理的に説明した。工房長は最初懐疑的だったが、数字を見せられては反論できなかった。
「——本当に、これだけ効率が上がるのか」
「はい、お父様。私が自分の目で確認しました」
「だが、施工に時間がかかるだろう」
「その分、完成後の品質が上がります。ベルモント伯爵邸の評判が上がれば、工房の名声も上がります」
工房長は唸った。
「……わかった。試してみよう」
こうして、修平の新方式は正式に採用された。
だが、全員が納得したわけではなかった。
「ふん、新しいやり方だと」
ゴルドは、相変わらず不満げだった。
「俺たちのやり方が間違っていたとでも言うのか」
「間違っていたわけではありません」
修平は穏やかに答えた。
「ただ、もっと良いやり方があった、というだけです」
「口では何とでも言える。結果を見せてもらおうか」
「見せますよ」
修平は頷いた。
「三ヶ月後、この工事が終わったとき。必ず」
◇
それから二ヶ月間、修平は現場に没頭した。
朝から晩まで、魔導管の敷設と接続。図面を片手に、見習いたちに指示を出しながら、自らも工具を握る。
「職長」という立場ではなかった。正式な肩書きは、まだ「下働き」のままだ。だが、実質的には——
「シュウさん、この分岐点、どうすればいいですか」
「この図面を見ろ。ここで三方向に分かれる。太い管が主幹で、細い方が——」
「わかりました!」
見習いたちは、修平を頼りにするようになっていた。
リカルドでさえ、重要な判断は修平に相談するようになった。
「シュウ、ここの配管、壁の中を通すか、露出にするか、どっちがいい」
「壁の中です。メンテナンスは難しくなりますが、魔力漏れのリスクが減ります」
「わかった」
仕事は順調に進んでいた。
しかし、修平には一つ、気になることがあった。
スラムだ。
貧民街と呼ばれる王都の一角。修平が最初に目覚めた場所。
あの場所の魔導設備は、伯爵邸よりもはるかに劣悪だった。明滅する魔導灯。漏電だらけの魔導管。事故が起きても、誰も直しに来ない。
金がないからだ。
貧しい人々は、危険な状態の設備を使い続けるしかない。事故が起きれば、怪我をしたり、死んだりする。それでも、誰も助けてくれない。
修平は、そのことを忘れられなかった。
ある夜、彼は伯爵邸の仕事を終えて、スラムに向かった。
◇
夜のスラムは、昼間よりもさらに暗かった。
魔導灯のほとんどが消えているか、弱々しく明滅している。路地裏では、身を寄せ合って眠る人々の姿が見えた。
修平は、壊れかけた魔導灯の下で足を止めた。
見上げると、管から青白い光が漏れ出している。魔力漏れ。このまま放置すれば、いずれ暴走する。近くで寝ている人々が、巻き込まれる可能性がある。
彼は工具袋を開けた。
今日、現場から持ち帰った廃材がある。使えないと捨てられたものだが、修理には十分だ。
梯子を持ってきていないので、近くの壁をよじ登った。若い体は、こういうとき便利だ。三十二歳の体では、こうはいかなかった。
魔導灯に手を伸ばし、接続部を確認する。
予想通り、がたがただった。管が緩んでいて、魔力が漏れ放題。簡単な締め直しで、問題は解決するはずだ。
修平は、手際よく作業を進めた。
管を外し、接触面を磨き、改良型の方式で接続し直す。樹脂で隙間を埋め、木槌で叩いて固定する。
十五分後、魔導灯が安定した光を放ち始めた。
「——よし」
修平は壁を降りた。
明かりの下で、人々が眠っている。彼らは、明日目覚めたとき、照明が安定していることに気づくだろうか。気づいても、理由はわからないだろう。
それでいい。
見えないところで、確実に繋ぐ。
それが俺の仕事だ。
「——誰だ」
声がした。
振り返ると、小さな影が立っていた。
十四、五歳の少女。痩せこけた体、ぼさぼさの髪、警戒心に満ちた目。
「……何してたんだ」
「照明を直していた」
「照明を?」
少女は、魔導灯を見上げた。安定した光が、路地を照らしている。
「——ああ。確かに、いつもより明るいな」
「今まで、よく事故が起きなかったな」
「事故なら起きてるよ」
少女の声が、低くなった。
「先月、うちの弟が——いや、何でもない」
修平は、少女の目を見た。
そこには、怒りと悲しみが混じっていた。
「弟が、どうした」
「……死んだよ」
少女は吐き捨てるように言った。
「魔導灯が爆発して。近くで寝てたら、巻き込まれて」
「——そうか」
修平は、何も言えなかった。
謝ることは、できなかった。彼が直したのは、弟が死んだ後のことだから。
だが——
「これから、この辺りの照明を全部直す」
彼は言った。
「時間はかかるが、一つ一つ。同じ事故が起きないように」
少女は、じっと修平を見つめた。
「あんた、何者だ」
「シュウという。魔導工房で働いている」
「工房? じゃあ、金を取るのか」
「取らない」
「——なんで」
修平は、少し考えた。
なぜだろう。
報酬が欲しいわけではない。名誉が欲しいわけでもない。
ただ——
「俺は、繋ぐのが仕事だから」
それだけだ。
見えないところで、誰も気づかなくても。
確実に繋ぐ。
それが、鷹野修平という人間の存在意義なのだから。
少女は、しばらく黙っていた。
やがて、彼女は言った。
「ミラ」
「え?」
「私の名前。ミラ」
「ミラか」
「あんたが本当に照明を直すなら——私も手伝う」
修平は、少女——ミラを見た。
「手伝う?」
「どこが壊れてるか、どこが危ないか、私は知ってる。このスラムで生まれ育ったからな」
「それは助かるが——」
「弟の仇討ちだ」
ミラの目が、燃えていた。
「あいつを殺したのは、ボロボロの照明だ。私は、それを許さない」
修平は、小さく頷いた。
「わかった。案内してくれ」
◇
その夜から、修平とミラの「地下の仕事」が始まった。
昼間は伯爵邸の工事に従事し、夜はスラムの魔導設備を修理する。寝る時間は三時間程度になったが、若い体は何とか持ちこたえた。
ミラは、優秀な案内役だった。
どの路地が危険か、どの建物に壊れた設備があるか、彼女は全て把握していた。スラムで生き延びるために必要な知識だったのだろう。
「ここ。この魔導灯、いつも火花が出てる」
「なるほど。接続部が完全に腐食してるな。管ごと交換しないと——」
「交換する材料なんか、持ってるのか」
「廃材を加工すれば使える」
修平は、工房から持ち帰った端材を取り出した。
「見てろ」
一週間後、スラムの住人たちは異変に気づき始めた。
「なんか、最近明るくないか」
「魔導灯が、ちゃんとついてるな」
「誰が直したんだ?」
噂が広まるのは早かった。
「夜中に照明を直す謎の男がいる」という話が、スラム中に広がった。誰も彼の顔を見ていなかった——ミラ以外は。
ミラは、修平について回るうちに、少しずつ技術を覚え始めた。
「この管、どう繋ぐんだ」
「こうだ。まず接触面を——」
「こうか」
「もう少し丁寧に。隙間があると漏れる」
「わかった」
彼女は飲み込みが早かった。
荒んだ環境で育ったせいか、手先は器用で、集中力もある。修平が一度教えれば、二度目は自分でできるようになった。
「お前、才能があるな」
ある夜、修平はそう言った。
ミラは、少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「べつに。生きるために必要なだけだ」
「それも才能の一つだ」
「——変なこと言うな」
だが、彼女の目は、以前より少し柔らかくなっていた。
◇
一ヶ月が経った頃、スラムでは修平のことを「魔導管の神様」と呼ぶ人が出てきた。
大げさな呼び名だが、住人たちにとっては本心だったのだろう。長年放置されていた設備が、次々と直っていくのだから。
事故は激減した。
明かりが安定したことで、夜の治安も良くなった。子どもたちが遅くまで外で遊べるようになり、商売をする者も増えた。
「全部、あんたのおかげだ」
ある老婆が、修平に頭を下げた。
「ありがとう、ありがとう……」
「礼はいりません」
修平は、静かに答えた。
「俺は、自分の仕事をしているだけです」
だが——
全てが順調だったわけではない。
ある夜、修平とミラが作業をしていると、複数の足音が近づいてきた。
「おい、そこのお前」
振り返ると、三人の男が立っていた。
見るからに柄の悪い連中だ。スラムを仕切る裏社会の人間だろう。
「お前が、最近照明を直してる奴か」
「そうだが」
「誰の許可を得て、この縄張りで商売してるんだ」
商売。
修平は、苦笑した。
「商売じゃない。金は取っていない」
「金を取らないだと?」
男たちは、信じられないという顔をした。
「じゃあ、何が目的だ」
「目的なんかない。ただ、直しているだけだ」
男の一人が、修平の胸ぐらを掴んだ。
「ふざけるな。こんな場所でタダ働きする奴なんかいるわけがない。何か企んでるんだろう」
「ミラ、下がれ」
修平は、落ち着いた声で言った。
ミラが後ずさる。彼女の目が、恐怖と怒りで揺れていた。
「俺は、本当に何も企んでいない」
修平は、男の目を見つめた。
「信じられないなら、これまで直した場所を見てくれ。どれも、住人たちのためになっている」
「だから何だ。俺たちの縄張りで勝手なことをするな、と言っているんだ」
「——縄張りか」
修平は、ため息をついた。
この手の人間は、どの世界にもいる。既得権益を守ろうとする者。変化を恐れる者。
だが、対処法も知っている。
「じゃあ、取引をしよう」
「取引だと?」
「俺は、お前たちの縄張りを荒らさない。ただ、照明を直すだけだ。その代わり、お前たちは俺の邪魔をしない。どうだ」
男たちは、顔を見合わせた。
「……何の得があるんだ、俺たちに」
「照明が安定すれば、このあたりの治安が良くなる。治安が良くなれば、商売がしやすくなる。お前たちにも、メリットがあるはずだ」
沈黙。
男たちは、しばらく考え込んでいた。
やがて、リーダー格の男が口を開いた。
「——いいだろう。ただし、俺たちの商売には手を出すな」
「もちろんだ」
男は修平の胸ぐらを離した。
「変わった奴だな、お前は」
「よく言われる」
男たちは、笑いながら去っていった。
ミラが駆け寄ってきた。
「大丈夫か」
「ああ」
「——すごいな、あんた」
「何が」
「あいつら、このスラムで一番怖い連中なんだ。それを、話だけで追い払った」
修平は肩をすくめた。
「別に大したことじゃない。相手が何を求めているかを理解して、それに応える提案をしただけだ」
「それが『大したこと』だって言ってるんだ」
ミラの目が、まっすぐに修平を見つめていた。
「私も——あんたみたいになりたい」
「俺みたいに?」
「誰にも見えないところで、誰も気づかなくても、正しいことをする。そういう人間に」
修平は、少し驚いた。
そして、小さく笑った。
「なれるさ。お前なら」
ミラの目が、かすかに潤んだ。
だが、彼女はすぐに顔を背けた。
「——ばか。泣いてないからな」
「わかってる」
二人は、夜のスラムを歩き始めた。
まだ、直すべき場所はたくさんある。
見えないところで、確実に繋ぐ。
それが、彼らの仕事だった。
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