第二章 職人の眼

王都ガルディアの朝は、鐘の音で始まる。


 中央聖堂の時計塔から響く荘厳な音色が、石造りの街並みに反響し、市民たちを眠りから呼び覚ます。商店の扉が開き、馬車が通りを行き交い、露店商たちが声を張り上げる。


 修平は、その喧騒よりも早く起き出していた。


 下働き用の簡素な宿舎——工房の裏手にある古い倉庫を改装したもの——で目を覚まし、まだ暗いうちから工房へ向かう。これが、一ヶ月で身についた習慣だった。


 誰もいない工房は、昼間とは違う顔を見せる。


 職人たちの怒号も、金属を叩く音も、魔導器具が放つ唸りもない。静寂の中で、天井の魔導灯だけが青白い光を放っている。


 修平は、その光を見上げた。


 二十三個。


 工房の照明を担う魔導灯の数だ。そのうち、修平が密かに手を加えたものは——今のところ、五個。


 誰にも気づかれていない。


 それでいい。


 箒を手に取り、床を掃き始める。石畳の隙間に入り込んだ金属片、作業台の下に落ちた木屑、魔導管の切れ端。一つ一つ拾い集めながら、修平は昨日の作業を振り返っていた。


 「拾い出し」という言葉がある。


 電気工事の世界では、図面から必要な材料の数量を割り出す作業のことだ。二次元の図面を見ながら、三次元の建物を頭の中で組み立て、ケーブルの長さ、配管の本数、器具の個数を正確に数え上げる。


 この世界には、それがない。


 図面がないから、拾い出しもない。職人たちは「だいたいこのくらい」という勘で資材を発注し、足りなければ追加し、余れば捨てる。無駄が多すぎる。


 そして、無駄が多いということは——事故のリスクも高いということだ。


「おう、早いな」


 背後から声がかかった。


 振り返ると、リカルドが立っていた。四十代半ば、筋肉質の体躯。工房で最も腕の立つ職人の一人だ。


「おはようございます」


「毎朝毎朝、飽きもせずに掃除してるな。もう少し寝てろよ」


「習慣なので」


 リカルドは鼻を鳴らした。


「変わった奴だ。下働きにしておくには惜しいな」


「買いかぶりすぎです」


「そうか?」


 リカルドは工房を見回し、天井の魔導灯に目を留めた。


「最近、このあたりの照明、調子がいいな」


「そうですか」


「以前は明滅がひどくてな。魔導石を交換してもすぐにダメになった。なのに、この一ヶ月は安定している。不思議だ」


 修平は黙って床を掃き続けた。


 リカルドは数秒、その背中を見つめていたが、やがて肩をすくめた。


「まあいい。今日は忙しくなるぞ。第三区画の大物件が始まる」


「第三区画?」


「貴族の屋敷だ。改修工事。魔導灯を全部入れ替えて、新しい魔導炉も設置する。工房総出だ」


 大規模工事。


 修平の心が、わずかに騒いだ。


 この一ヶ月、彼は下働きとして雑用をこなしながら、この世界の魔導技術を観察してきた。小さな修理、簡単な取り付け。限られた範囲でしか、自分の技術を試す機会がなかった。


 だが、大規模工事なら——


「資材運びは人手がいる」とリカルドが言った。「お前も来い」


「はい」


  ◇


 第三区画は、王都の中でも特に格式の高い地域だった。


 石畳は磨き上げられ、建物は優雅な曲線を描き、街路樹が緑の天蓋を作っている。ここに住むのは上位貴族や大商人、王城の高官たち。魔導工房の職人たちにとっては、最も利益の大きい——そして、最も神経を使う——仕事場だ。


 「ベルモント伯爵邸」と記された門をくぐり、修平たちは敷地内に入った。


 屋敷は三階建ての堂々たる石造りで、前庭には噴水が水を吹き上げている。その噴水の水もまた、魔導器具によって制御されているのだろう。水流が複雑なパターンを描き、陽光にきらめいていた。


「きれいなもんだな」


 若い見習いの一人が呟いた。だが、リカルドは首を横に振った。


「見た目はな。だが、中身は——」


 彼は屋敷を指さした。


「築百年を超えている。魔導管は腐食し、魔導石の効率は落ち、あちこちで魔力漏れが起きている。だから全面改修だ」


 百年。


 この世界では、建物も魔導設備も、驚くほど長持ちする——いや、長持ちさせざるを得ないのだ。新しく建て替える技術力も資金も限られている。だから、古いものを修理しながら使い続ける。


 問題は、修理の仕方だった。


 屋敷の中に入り、修平は愕然とした。


 壁の中を這う魔導管が、外に引き出されている。職人たちが解体作業を進めていたのだ。そこに露出していたのは——


 混沌だった。


 魔導管が絡まり合い、重なり合い、時には結び目を作っている。どの管がどこへ繋がっているのか、一目では判別できない。元の設計図がないまま、百年の間に何度も増設や改修を繰り返した結果だ。


「ひでえ有様だ」


 リカルドも顔をしかめた。


「最初に施工した奴の顔が見たいもんだ」


「最初だけじゃないでしょう」


 修平は思わず口を開いていた。


「見たところ、少なくとも三回は大規模な増設がされています。それも、毎回違うやり方で。最初の施工自体は悪くなかったかもしれませんが、後から継ぎ足した部分の処理が——」


 彼はそこで口を閉じた。


 リカルドだけでなく、周囲の職人たちも、驚いた目で修平を見つめていた。


「……お前」


 リカルドが低い声で言った。


「それがわかるのか」


 しまった、と修平は思った。


 口が滑った。


 下働きが、職人の仕事に口を出すべきではない。この世界の——いや、どの世界でも同じだ。現場には暗黙のヒエラルキーがある。経験年数、技術力、そして発言権。下働きは最下層であり、意見を求められることはない。


「——すみません。生意気を言いました」


「いや、謝るな」


 リカルドは一歩近づき、修平の目を覗き込んだ。


「いいから、続けろ。お前には、何が見える」


 選択肢は二つあった。


 誤魔化すか、正直に言うか。


 修平は、後者を選んだ。


「【配線術】というスキルを持っています」


「——配線術?」


「魔力の流れが見えるんです。どの管がどこへ繋がっているか、どこで魔力が漏れているか」


 周囲がざわついた。


「そんなスキル、聞いたことがないな」


「レア・スキルか」


「いや、でも戦闘には役に立たないだろ」


 職人たちの囁きが飛び交う。修平はそれを無視して、壁から突き出た魔導管を指さした。


「この太い管が主幹です。屋敷全体に魔力を供給する動脈。そこから三本の分岐が出ていますが、本来は二本で十分だったはずです。三本目は後から追加されていて、しかも接続部の処理が雑です。ここから魔力が漏れている」


 さらに別の管を指す。


「この細い管は照明用ですが、途中で不自然に迂回しています。おそらく、増設のときに既存の管を避けようとしたんでしょう。でも、迂回させたせいで距離が二倍以上になっていて、末端では魔力が足りなくなっている。だから端の部屋の照明が暗いんだと思います」


 最後に、床下を覗き込む。


「ここは——待ってください。何かおかしい」


 修平は身を屈め、床板の隙間から下を覗いた。


 青白い光が、かすかに漏れている。


「魔導管が破損しています。魔力が地面に漏出している。これは危険です。放置すると——」


「おい、本当か!」


 リカルドが素早く動いた。床板を剥がし、中を確認する。


 確かに、そこには亀裂の入った魔導管があった。周囲の土が青白く発光している。


「——報告しろ。これは伯爵に話を通さないといけない」


 リカルドの部下が走っていく。


 現場が一時的に静まり返った。


 やがて、リカルドが修平の肩に手を置いた。


「お前、名前は」


「シュウです」


「シュウ。今から、俺のチームに入れ。資材運びは他の奴に任せる」


「——いいんですか」


「いい。いや、よくはないな」


 リカルドは苦笑した。


「本当なら、お前みたいな奴は職人として正式に雇うべきだ。だが、今の工房長には——いや、今はいい。とにかく、俺の近くにいろ。お前の目が必要だ」


 修平は頷いた。


 これが、チャンスだ。


 そう思った。


  ◇


 ベルモント伯爵邸の改修工事は、三ヶ月の大プロジェクトだった。


 修平は、リカルドの「手元」として現場に入った。立場は下働きのままだが、実質的にはリカルドの右腕として動くことになる。


 最初の一週間は、調査と計画だった。


 修平の【配線術】で魔導管の全体像を把握し、どこから手をつけるかを決める。通常なら、この作業だけで一ヶ月はかかるところだ。経験豊富な職人が壁を一つ一つ開け、管を追跡し、手書きでメモを取る。


 だが、修平のスキルがあれば、壁を開けなくても内部が「見える」。


「ここからここまでが主幹。この分岐点で三系統に分かれて、一階東棟、一階西棟、二階全体。三階は別系統で、この管が——」


 修平が口述し、リカルドが書き取る。


 最初、リカルドは戸惑っていた。自分より若い、しかも下働きの意見を聞くことへの抵抗があったのだろう。だが、修平の指摘が的確であることがわかると、態度が変わった。


「お前、以前はどこで働いていたんだ」


 ある日、リカルドが尋ねた。


 修平は一瞬、言葉に詰まった。


「——遠い国の、小さな工房です」


「遠い国?」


「ええ。技術の系統が少し違うので、こちらの方法には慣れないところもあります」


 嘘ではない。


 異世界は、確かに「遠い国」だ。


「そうか」


 リカルドはそれ以上、追求しなかった。職人の世界では、過去を詮索しないのが礼儀なのかもしれない。


 調査が終わると、次は設計だ。


 ここで、修平は大きな問題に直面した。


 図面がない。


 この世界には、設計図を描くという習慣がなかった。職人たちは、頭の中で計画を立て、現場で調整しながら施工する。だが、それでは——


「整合性が取れません」


 修平はリカルドに言った。


「今の状態で施工を始めると、同じ過ちを繰り返すことになります。百年後には、また今と同じ混沌になる」


「じゃあ、どうしろと言うんだ」


「図面を描きましょう」


 修平は、自分の宿舎から持ってきた紙を広げた。


 そこには、屋敷の見取り図が描かれていた。壁の位置、部屋の配置、窓とドアの場所。そして、その上に重ねて——魔導管の経路が、色分けされて記されている。


「——これは」


 リカルドが息を呑んだ。


「魔導回路図です」


 修平は言った。


「どの管がどこへ繋がっているか、どこで分岐するか、どれだけの魔力が流れるか。全部、一目でわかるようにしました」


 リカルドは、その図面を食い入るように見つめた。


「こんなもの、見たことがない」


「ないでしょうね。だから、事故が起きるんです」


 修平は図面の一点を指さした。


「ここを見てください。三階の大広間に行く管と、厨房に行く管が同じ分岐点から出ています。でも、厨房の魔導炉は大量の魔力を消費します。大広間と同時に使うと、分岐点に負荷が集中して——」


「熱を持つ」


「そうです。最悪の場合、魔導管が溶けます」


 リカルドは額に手を当てた。


「だから、伯爵邸では毎年のように小火騒ぎがあったのか……」


「今回の改修で、分岐点を変更しましょう。厨房は別系統にして、主幹から直接引きます。効率は少し落ちますが、安全性は大幅に上がります」


 修平は新しい経路を図面に描き込んだ。


「これなら、どの部屋を同時に使っても問題ありません。負荷が分散されますから」


 リカルドは長い間、図面を見つめていた。


 そして、顔を上げた。


「シュウ。お前は一体何者だ」


 修平は、正直に答えた。


「ただの電気工事士です」


「……デンキコウジシ?」


「こちらの言葉では——そうですね。魔導配線士、とでも言うべきでしょうか」


「聞いたことがない職種だな」


「ええ。まだ、存在しない職種ですから」


 リカルドは、再び図面に目を落とした。


「この図面。これを使えば、見習いでも正確に施工できるな」


「それが目的です」


「——工房に持ち帰っていいか」


「もちろん。でも、まだ完成版じゃありません。施工しながら、細部を詰めていきましょう」


 リカルドは頷いた。


 その顔に、何か新しい光が宿っているように見えた。


  ◇


 図面を使った施工は、革命的だった。


 これまで、一つの部屋の魔導管を設置するのに三日かかっていた作業が、一日で終わる。どこに何を置くか、どう繋ぐかが明確に決まっているから、迷いがない。


 若い見習いたちは特に熱心だった。


「シュウさん、この記号は何ですか」


「これは分岐点を示す。ここで三方向に分かれる」


「じゃあ、この太い線は」


「主幹。一番たくさんの魔力が流れる管だ」


 修平は、図面の読み方を丁寧に教えた。


 最初は戸惑っていた見習いたちも、すぐに図面の便利さを理解した。どこに何があるか、一目でわかる。質問しなくても、自分で判断できる。それは、彼らにとって初めての経験だった。


「これがあれば、俺でも一人で施工できるかもしれない」


 一人の見習いがそう言ったとき、修平は小さく頷いた。


 それこそが、図面の力だ。


 熟練職人の頭の中にだけ存在していた知識を、紙の上に出力する。誰でも読める形に変換する。そうすることで、技術は個人から組織へ、一代から次の世代へと継承される。


 だが、全員がそれを歓迎したわけではなかった。


「何をやっているんだ、お前たちは」


 ある日、工房の古参職人ゴルドが現場にやって来た。五十代後半、白髪交じりの髭を蓄えた大柄な男。工房長の次に長いキャリアを持つベテランだ。


 ゴルドは、見習いたちが図面を見ながら作業しているのを見て、眉をひそめた。


「何だ、それは」


「魔導回路図です」


 リカルドが答えた。


「シュウが作った。これがあれば——」


「図面?」


 ゴルドは鼻で笑った。


「そんなもので魔導管が引けると思っているのか。現場は生き物だ。図面通りになんか、絶対にいかない」


「いえ、でも——」


「経験を軽視しているんだよ、お前たちは」


 ゴルドの声が大きくなった。


「俺たちは何十年もかけて、この仕事を体で覚えてきた。壁の向こうに何があるか、管がどう走っているか、それを感じ取れるようになるのに、どれだけ苦労したと思っている。それを、紙切れ一枚で済ませようとするのか」


 現場が静まり返った。


 見習いたちが怯えた目でゴルドを見つめている。


 修平は、一歩前に出た。


「図面は、経験を否定するものではありません」


 ゴルドが修平を睨んだ。


「何だと」


「図面は、経験を共有するためのものです。ゴルドさんが何十年もかけて培った知識を、紙の上に書き出す。そうすれば、後輩たちはゴルドさんの経験を引き継げます。ゼロからやり直さなくていい」


「俺の経験を?」


「はい。ゴルドさんが『感じ取る』とおっしゃったこと——壁の向こうに何があるか、管がどう走っているか——それを図面に書けば、見習いでも『見える』ようになります」


 ゴルドは黙った。


 修平は続けた。


「もちろん、図面だけでは不十分です。現場で調整することも必要でしょう。でも、図面があれば、調整の範囲が小さくなる。ミスが減る。事故が減る。ゴルドさんは、後輩が事故で怪我をするのを見たくないでしょう?」


 ゴルドの目が、わずかに揺れた。


 二十年前、ゴルドの弟子が魔導管の事故で重傷を負い、職人を辞めざるを得なくなったという話を、修平はリカルドから聞いていた。


「……口の減らない奴だ」


 ゴルドは唸った。


「だが、お前の言うことにも一理ある」


「ありがとうございます」


「礼を言うな。俺はまだ認めたわけじゃない」


 ゴルドは踵を返した。


「三ヶ月後、この工事が終わったら、結果を見せてもらう。お前の『図面』とやらで、本当に良い仕事ができるのかどうか」


 そう言い残して、ゴルドは去っていった。


 リカルドが、ほっと息をついた。


「やれやれ。説教で済んでよかった」


「すみません、余計なことを言いました」


「いや、お前は正しいことを言った。ゴルドも頭ではわかっているんだ。ただ、三十年の経験を否定されたような気がして——」


「わかっています」


 修平は頷いた。


 古参と若手の対立は、どの世界でも同じだ。変化を恐れる気持ちは、人間として自然なものなのだから。


 大切なのは、結果で示すこと。


 言葉ではなく、仕事で。


  ◇


 その夜、修平は宿舎で図面を広げていた。


 明日からは、二階の施工に入る。部屋数が多く、配管も複雑だ。入念な準備が必要だった。


 小さな蝋燭の明かりの下で、彼は細い筆で線を引いていた。この世界には鉛筆がない。インクと筆を使うしかないのが、もどかしかった。


 コンコン。


 扉を叩く音がした。


「はい」


 立ち上がって扉を開けると、そこに立っていたのは——


「——エリーゼさん」


 工房長の令嬢だった。


 昼間は貴族らしい豪華なドレスを着ていることが多いが、今は質素なローブ姿だ。フードを目深に被り、人目を忍んでいる様子がうかがえた。


「夜分に失礼します。少し、話をしても良いですか」


「どうぞ」


 修平は部屋に招き入れた。といっても、椅子は一つしかない。それをエリーゼに勧め、自分は寝台の端に腰を下ろした。


「それが、例の『図面』ですか」


 エリーゼの視線が、作業台の上の紙に向いた。


「はい」


「見せていただいても?」


 修平は頷いた。


 エリーゼは図面を手に取り、食い入るように見つめた。その目は、単なる好奇心ではなく、深い探究心に満ちていた。


「素晴らしい」


 彼女は呟いた。


「これが、あなたが作った『魔導回路図』……。私が知っている限り、こんなものは魔導学院の文献にも存在しません」


「この世界には、まだないものですから」


「『この世界には』?」


 エリーゼが顔を上げた。


 しまった、と修平は思った。


 またか。口が滑りすぎだ。


「——遠い国では、こういうものが使われていたんです」


「その『遠い国』というのは、どこですか」


 修平は黙った。


 エリーゼは、じっと修平の目を見つめた。


「あなたは、普通の下働きではありませんね」


「……そうかもしれません」


「あの夜——あなたが倉庫の魔導灯を修理したのを、私は見ていました」


 やはり、見られていたか。


 修平は覚悟を決めた。


「何が見えました」


「あなたの手元が光っていました。青白い、魔力のような——いいえ、魔力そのものではない、何か別のもの」


「【配線術】です」


「そう、そのスキル。ギルドの登録簿を調べましたが、そんなスキルは記録にありません。少なくとも、この王国では」


 エリーゼは図面を置き、修平に向き直った。


「あなたは何者ですか。どこから来たのですか。そして——何をしようとしているのですか」


 三つの問い。


 全てに正直に答えることはできない。だが、嘘だけで固めることも——したくなかった。


「俺は、シュウという名前の——元電気工事士です」


「デンキ……?」


「この世界にはない概念です。電気という力を使って、光を灯し、物を動かし、熱を生む。そのための配線を引く仕事をしていました」


 エリーゼの目が大きくなった。


「魔導とは違うのですか」


「原理は違います。でも、やっていることは似ています。エネルギーを発生させ、必要な場所に運び、使う。その経路を設計し、施工する」


「では、あなたの『遠い国』には、魔導とは別のエネルギーがあると?」


「ありました」


 過去形で言った。もう、戻ることはできないのだから。


「今は、ここにいます。そして、ここでできることをしたいと思っています」


「何を」


「この世界の魔導技術を、もっと良くすること」


 修平は立ち上がり、窓から外を見た。


 夜の王都には、あちこちで魔導灯が明滅している。安定した光を放っているものは、ほとんどない。


「今の魔導管の施工技術は、失礼ながら、百年前から進歩していないように見えます。接続部の処理が雑で、魔力漏れが多く、事故が絶えない。図面がないから、同じミスが何度も繰り返される」


「それは——」


「貴族の魔導師たちが、理論ばかりを重視して、現場を見ていないからです」


 修平はエリーゼに向き直った。


「あなたは、工房長の娘でありながら、こんな下働きの宿舎に来た。つまり、現場を見る気があるということだ」


 エリーゼは何も言わなかった。


 修平は続けた。


「俺一人でできることは限られています。リカルドさんや見習いたちの協力があっても、この工房一つが精一杯だ。でも、あなたが力を貸してくれれば——」


「——変革ができる、と?」


「ええ」


 エリーゼは長い間、黙っていた。


 彼女の目には、複雑な感情が渦巻いているように見えた。迷い、恐れ、そして——希望。


「私は」


 彼女は言った。


「魔導理論を学んできました。でも、ずっと疑問を持っていたんです。なぜ、魔導技術は三百年も進歩しないのか。なぜ、事故がなくならないのか」


「今日、その答えが見えた」


「……ええ。あなたの図面を見て、わかりました。私たちは、現場を知らなかった」


 エリーゼは立ち上がった。


「力を貸します」


「ありがとうございます」


「ただし、条件があります」


「何でしょう」


 エリーゼは、真剣な目で言った。


「あなたが『遠い国』から持ってきた知識の全てを、私に教えてください」


 修平は、小さく笑った。


「全てを教えるのは難しいかもしれませんが——できる限りは」


「それで結構です」


 エリーゼは手を差し出した。


「これからよろしくお願いします、シュウさん」


 修平はその手を握った。


「こちらこそ」


 握手を交わしたとき、工房の裏庭で、一羽の梟が鳴いた。


 新しい何かが、始まろうとしていた。

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