第3話


 騒ぎ声の聞こえてくる外来待合のエントランスに辿り着く。受付の前にナイフを持った男がいて、大声で喚いていた。


「俺が悪魔憑きだからって白い目で見やがって! おまえら全員殺してやる!」


 目が血走り、声と体は震えていた。正常な精神状態ではないことがわかる。彼は悪魔に取り憑かれているのだ。


 結界のせいで外に出られない来院者や職員たちはその男から離れるようにエントランスの端に避難していた。


「落ち着いてください! 手に持っているものを置きましょう!」


 医師が説得しようとするが聞き耳を持たず、男はナイフを振り回した。


「うるせぇ! おまえが治してくれないからこうなってるんだ! おまえのせいだ!」


 どうやら祓魔科で治療中の悪魔憑きが暴走したようだ。祓魔科のある病院ではたまにこういうことが起きる。それが悪魔憑きに対する差別と偏見を助長していた。


 この場に魔法少女の姿はない。結界のせいで、外部に連絡することができないからだ。それに、例え魔法少女にこの状況が伝わっても、結界に阻まれて中には入れない。


「どうせこのまま死刑になるなら、人を殺したって変わんねぇだろ!」


 男が医師にナイフを突きつけた。それを見て、アンナは我慢できずに飛び出す。


「わたしも悪魔憑きですっ!」


 突然の乱入者に驚いた男のナイフは突き刺さる前に止まった。人々は困惑して騒めき出す。この場の全員の視線が集まり、アンナは顔が赤くなった。


 背中にしがみついていたイブは、アンナの狂気的な行動に驚愕し、白目を剥いて気絶する。


「なんだ、おまえ!?」


 悪魔憑きのナイフがアンナの方に向けられた。


「ひぃっ!? あ、あ、え、ええと、お、大野木アンナ十六歳独身フリーター不登校の悪魔憑きです! 好きなものはマギア・マーテル、趣味もマギア・マーテルです、よ、よろしくお願いします!」


 突然、修羅場に飛び入り参加してきて、キョドりながらの早口。悪魔憑きの証明としては充分だった。


「……なんなんだ、おまえ」


 自分よりもヤバいやつが現れたせいで悪魔憑きの男は冷静になりつつあった。アンナは透かさず説得を試みる。


「あ、あの、お兄さんはまだ処刑対象ではないと思います。悪魔に乗っ取られていないですし、人を傷つけたり殺したりしなければ、一時拘束で済むはずです。だから、人殺しはやめてください!」


 アンナには悪魔憑きの心細さがわかった。アンナも、もう死んだっていいと思っている。それでも、他人を傷つけたり、殺すのは絶対に違うと言い切れた。


 それを聞いた悪魔憑きは落ち着きを取り戻す。


「それマジか? おまえ詳しいな」


「ま、マジです。昨日自分が処刑対象なのかどうか調べた時に知ったので」


「え、おまえ、処刑対象なの?」


「は、はい。危険な悪魔に取り憑かれてるので、多分この後魔法少女に殺されると思います」


「大変だな、まだ若いのに。……なんか、俺が馬鹿馬鹿しく思えてくるよ」


 男は溜息を吐き、ナイフを床に置いた。同じ悪魔憑きと話し合ったことで冷静になり、正気を取り戻したようだ。


 人々は安堵し、胸を撫で下ろした。その時だった。


 男の肉体がバキバキと軋み、蠢き始める。


「え、なにぅお、ひぎゃぃや、はっはょッ?」


 顔面がぐちゃぐちゃに歪み、奇声をあげる。男の肉体はところどころが膨れ上がり、目がカタツムリのように飛び出た異形に変貌した。


 アンナは初めて蛇の死骸を見た時のような悍ましさを感じ、動けなくなる。


 呆然とするアンナにイブが告げた。


「アンナちゃん逃げて! 悪魔に肉体を奪われてる!」


 男の精神は悪魔に殺されてしまったのだ。もう助ける方法はなく、魔法少女による処刑対象だ。悪魔憑き・・ではなく、悪魔・・になったのだ。


 アンナは目の前で起きた現象を理解した。恐怖ではなく、悲しみと強い怒りを感じた。逃げるという選択肢はない。倒さないといけないと、強く思った。


「ヒョホ。ミンナ、コロス」


 潰れて捻れた声帯から不気味な声が漏れる。この悪魔の目的は結界に閉じ込めた人々の殺戮だ。


 もう説得は通じない。このままでは本当にこの場の全員が殺されるだろう。


 悪魔はナイフを拾い上げると目の前にいたアンナに向かって振り下ろした。


 凶刃に切り裂かれる寸前、アンナの意識は暗転する。

 気がつくとアンナは真っ暗闇の空間にいた。在るのは自分とイブだけで、ここには時間の流れすらない。ここは、イブの精神世界だ。


 イブは悲しそうに笑っていた。


「アンナちゃん、ごめんね。アンナちゃんのお願いを叶えられなくなっちゃった。今から、私を復活させるように願って欲しいの。そうしたら、アンナちゃんも、ここにいる人も助けられる」


 確かに最強の悪魔イブリースが復活すれば、そこら辺の悪魔など瞬殺だろう。この空間の影響で、イブが本当にアンナのことを助けたいと思っていることも伝わってきた。


 そして同時にイブの心の中にある闇を感じ取った。イブリースは人間に対して巨大な憎悪と憤怒を抱えていた。


「イブは復活したらわたし以外の人類を滅ぼすつもりなんだね」


「うん。でも、アンナちゃんは助かるんだから、いいでしょ」


 イブはアンナがそれを良しとしないことをわかっていた。


「だってもうそれ以外にアンナちゃんを助ける方法はないんだよ」


 イブはアンナにしがみついて必死に訴える。アンナがこれから口にするであろう願い。その願いだけは絶対に叶えるわけにはいかなかったからだ。


 案の定、アンナは優しく微笑んだ。


「方法ならあるよ。みんなを助ける方法が」


 少女と悪魔の意見は正反対だった。その『みんな』にアンナは自分をカウントしていない。


 少女は心に燃え盛る炎を言葉として伝えた。


「イブ。願い事を決めたよ。わたしは魔法少女になりたい」


 それが少女の魂の奥底から湧き上がる願望だった。


 悪魔と契約して魔法少女になるのは良くないことだ。でも、ここにいる人たちを助けられるのなら構わなかった。


 悪魔は首を横に振って拒んだ。


「ダメ。魔法少女は危ない仕事なんだよ。悪魔に殺されるかもしれない」


 大勢の人々を殺してきた悪魔が、自分を助けてくれた一人の少女のことを心配していた。


「昨日はわたしを魔法少女にしようとしてた」


「それは可愛い衣装と魔法の力を与えたかっただけ。あなたに傷ついて欲しくないの」


 最強の悪魔は本当にたった一人の少女の幸せだけを考えていた。人類に絶望していた自分を救ってくれた、優しい少女に傷ついてほしくなかった。


 しかし、その言葉では魔法少女への憧れを抑えることはできない。


「わたしの憧れる魔法少女は、たとえ自分が傷つくことになったとしても、困っている誰かのために戦う人たちだよ」


 あまりに強い意思と覚悟。アンナは誰かを助けるためなら、自分を犠牲にすることを厭わない、狂気的な勇気を持っていた。


 アンナの強い意思は最強の悪魔をして、どんな悪魔すらも打ち倒す魔法少女になることを予感させた。イブの心が揺らぎ、アンナの願いの方へと傾く。


 しかし、どうしてもアンナを傷つけたくなくて、イブは頑なに願いを認めようとしない。


 そんな、愛を知った悪魔を安心させたくて、少女は微笑んだ。


「大丈夫。イブはわたしをマーテル様よりも強い魔法少女にしてくれるんでしょ? だったら、傷つくはずがない」


 覚悟を決めた少女の不適な笑顔に、イブリースのハートは撃ち抜かれた。それがトドメになって、心がアンナの願いを完全に認めてしまった。


「……わかったよ。もう、アンナちゃんはわがままなんだから」


 イブは頬を赤くして、仕方なさそうに負けを認めた。アンナの魔法少女への憧れは、最強の悪魔すらも説き伏せた。


「それじゃあもう一回お願いを言って。それで正式に契約を完了するから」


 アンナは頷き、深呼吸すると、差し出されたイブの手を取る。願いを心の中に強く念じ、イブの目を見て堂々と宣言した。


「わたしは魔法少女になりたい!」


 繋いだ二人の手が強く光り輝く。閃光の中に小さな懐剣が出現し、アンナへと手渡された。


 柄の目貫には蛇の瞳を思わせる真紅の宝玉が埋め込まれており、これが魔法少女の変身アイテムだとアンナは理解した。


 瞬間、アンナの意識は現実に戻る。目の前に迫り来る凶刃、それを鞘から抜いた懐剣で受け止めた。既に、イブとの契約で得た凄まじい膂力がアンナの肉体には満ちていた。


 悪魔のナイフを弾き返し、懐剣を顔の前に掲げる。刃に少女の晴れ姿が映し出された。


「変身!」


 声に呼応して懐剣から閃光が解き放たれる。光はアンナを包み込み、一瞬でその姿を変身させた。


 身に纏ったのは純白の外套と緋色のスカート。アンナの魔法少女衣装は巫女装束をベースにした和洋折衷スタイルだった。


 武器は鞘に封じられた黒い拵の刀で、禍々しい魔力を放っている。


「あ、そうだ、名前言わないと」


 変身した後に魔法少女名を名乗るのがお約束だ。絶対ではないが、そのお決まりが、人々を安心させたり、魔法少女自身を鼓舞する。


 アンナはいくつか名前を考えていたのだが、どれもこの姿には相応しくない。悩んでいる暇などないため、すぐに思いついた名前を名乗った。


「え、えっと……マギア・イブリース!!」


 安直すぎるし、悪魔の名前がついた魔法少女なんて前代未聞だ。しかし、これ以上に体を表す名もない。この瞬間、魔法少女マギア・イブリースが誕生したのだ。


 アンナは念願の魔法少女になった自分の姿を見て大はしゃぎしたくなるが、その気持ちを抑えて、前方の悪魔と対峙した。


「相手はもう完全に悪魔に乗っ取られてる。倒すには殺す・・しかないよ」


 霊体のイブが隣で助言をくれる。


「わかってる」


 覚悟はできていた。魔法少女は人の命を背負う仕事なのだ。

 

 悪魔がナイフを振り上げながら再び突っ込んでくる。後ろには病院の人たちがいて、アンナに回避の選択肢はない。


 どう戦えばいいのかはわかっていた。イブとの契約の恩恵もあるが、いつか魔法少女になった時のために、密かにイメージトレーニングしていたからだ。


 鞘に収まった刀の柄を撫でる。僅かな沈黙のあと、時が刻まれるよりも速く、刀が抜かれた。


「──目覚めよ、草薙剣クサナギノツルギ!」


 刀に宿る御霊の銘を告げ、力を呼び起こす。すれ違いながら悪魔を切りつけた。悪魔は右脇腹から左肩にかけてを切られ、二つに割れて死んだ。


 アンナに喜びはない。ただ、静かな安堵だけがあった。


 悪魔の結界は消滅し、病院を漂っていた重苦しい魔力もなくなる。

 現実味がなく、アンナが呆けていると、幼い女の子が駆け寄ってきた。


「ありがとうお姉ちゃん!」


 すぐに母親が女の子をアンナから遠ざけた。アンナはここにいるみんなを助けたが、同時に悪魔憑きでもある。怖がられるのは当然だ。


 悪魔憑きであることを明かし、悪魔と契約したアンナはこれから死ぬだろう。それでも後悔はなかった。「ありがとう」を聞けただけで、全てが報われた気がした。


 ここにいるとみんなを怖がらせてしまうと思い、外に出ようと歩き出した、その時だった。


 エントランスの中央に百合を象った魔法陣が投影され、次の瞬間、その上に修道服の女性が現れた。魔法少女の用いる転移魔法だ。


 アンナの呼吸が止まる。見間違えるはずがない。そこにいたのは憧れのマギア・マーテルだった。


「……マーテル様!」


 アンナは頬を赤く染め、手を組み合わせて、実物のマーテルを恍惚と眺めた。

 それとは真逆に、マーテルはアンナのことをゴミクズを見るような冷たい眼差しで睥睨した。


「ひっ」


 その鋭い視線に、アンナはゾクゾク興奮してしまう。憧れの人に悪魔憑きとして殺意を抱かれるシチュエーションなんて中々味わえない。


「アンナちゃん、しっかりして。マーテルはあなたのことを殺しに来たんだよ」


 イブは嫉妬で頬を膨らませつつ、マーテルを警戒した。

 そしてマーテルにはそのイブが見えていた。魔法少女は霊体の悪魔を視認できるのだ。


「やっぱり、イブリースの悪魔憑きなのね、あなた」


 冷たい声で話しかけられる。アンナは推しに話しかけてもらえたのが嬉しくて、いつもに増してキョドった。


「ひゃ、ひゃい、しょうでしゅ!」


 返答を聞いたマーテルの姿が一瞬にして消える。次の瞬間にはアンナの背後に現れ、首に当身を打った。

 急接近してきた推しの匂いを嗅ぎつつ、アンナは気絶した。

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