第40話 紙屑の帝国と、最強の通貨

ガレリア帝国、皇帝の謁見の間。  敗走した黒川は、激怒する皇帝の前に引きずり出されていた。


「貴様! 『無敵の兵器』と豪語しておきながら、あの無様な敗戦は何だ! 我が軍の損害は甚大だぞ!」


 皇帝の怒号が響く。だが、黒川は平伏しながらも、脂ぎった顔でニヤリと笑った。


「陛下、まだ負けたわけではありません。……戦争には金がかかる。ならば、金を作ればいいのです」


 黒川は懐から、一枚の粗悪な紙を取り出した。  ガリ版印刷のようなチープなインクで、皇帝の肖像と『壱万ガレリア』の文字が刷られている。


「私が開発した『印刷機』を使えば、この『帝国紙幣』を無限に発行できます。これを兵士の給料にし、資材の購入に充てるのです。金貨など必要ありません。陛下の権威を印刷するだけで、国は富むのです!」


 それは、経済学を知らぬ者への甘い囁きだった。  裏付けのない紙幣の乱発。  現代で言えば、破綻国家が行う最悪の愚策。だが、皇帝はその「無限の富」という言葉に目が眩んだ。


「……よかろう。その紙切れで、我が軍を再建せよ!」


 ***


 一ヶ月後。  ガレリア帝国の首都は、地獄の様相を呈していた。


「パン一つが紙幣一万枚だと!? 昨日は千枚だったぞ!」 「うるせえ! 小麦の値段が上がってんだよ! 嫌なら紙幣なんか燃やして暖でも取りな!」


 市場では怒号が飛び交い、道端には紙幣の束がゴミのように捨てられている。  【ハイパーインフレ】。  政府が借金返済のために紙幣を刷りまくった結果、通貨の価値が暴落し、物価が天文学的に跳ね上がったのだ。  兵士たちは給料袋(紙幣の束)を受け取っても、夕方には紙屑になるため、戦意を喪失して脱走し始めていた。


 その混乱を、国境の街から冷ややかに見つめる男がいた。  健一だ。


「……予想通りだな。黒川のやつ、アベノミクスどころかジンバブエ・ドルを再現しやがった」


 俺の横で、エリスが信じられないものを見る目で報告書を読んでいた。


「隣国の経済が死んでいるわ……。人々は物々交換に戻り、飢えている。ケンイチ、これがあなたの狙い?」 「いや、これは黒川の自滅だ。俺はただ、その『受け皿』を用意するだけさ」


 俺は部下の獣人たちに指示を出した。


「国境ゲートを開放しろ! 『ローゼンバーグ銀行・ガレリア支店』の開店だ!」


 ***


 国境付近に設置された臨時テント。  そこには、飢えたガレリア帝国の民衆や商人が殺到していた。


「頼む! この帝国紙幣を何とかしてくれ! パンも買えないんだ!」 「落ち着いてください。当行では、その紙幣は扱いませんが……」


 俺はカウンターに、一枚の美しい紙幣を置いた。  透かし入り、ホログラム付きの『ローゼンバーグ・ノート(RN)』だ。


「代わりに、あなたの持っている『資産』――土地の権利書、貴金属、あるいは労働力を、このRNと交換します。この紙幣なら、アークレイアの良質な小麦や肉が、適正価格で買えますよ」


 その言葉は、泥沼に垂らされた蜘蛛の糸だった。  信用を失った自国通貨(帝国紙幣)など誰も欲しがらない。  だが、最強の商会が発行し、金本位制で裏打ちされたRNは、今や「世界で最も信用できる通貨」だ。


「お、俺の畑の権利書を売る! RNをくれ!」 「私は働きます! 給料はRNで支払ってください!」


 あっという間に、ガレリア帝国の経済圏が塗り替わっていく。  人々は帝国紙幣を捨て、RNを求めた。  商店の値札も、すべてRN表記に変わった。  つまり、ガレリア帝国の経済は、実質的に俺たちの銀行に支配されたのだ。


 ***


 ガレリア帝国の王城。  黒川は、紙幣の山に埋もれながら、頭を抱えていた。


「なぜだ……!? なぜインフレが止まらない!? 刷れば刷るほど価値が下がるなんて……教科書には……!」


 そこに、近衛兵が飛び込んできた。


「報告! 城下の兵士や商人が、皇帝陛下の紙幣受け取りを拒否しています! 彼らは敵国商人の発行する『ローゼンバーグ札』しか信用しません!」 「な、なんだと……!?」


 黒川が窓から外を見ると、広場で民衆が帝国紙幣を燃やし、その火でローゼンバーグ銀行のマークが入ったカップ麺を啜っている光景が見えた。


「おのれ須藤……! 戦争ではなく、経済でこの国を乗っ取る気か……!」


 その時、背後の扉が乱暴に開かれた。  抜身の剣を持った皇帝と、ガンダル将軍だ。


「貴様ァッ!! 『国が富む』と言ったな! あれは嘘か! 余の国を、紙屑の山に変えおって!」 「ひっ……! へ、陛下、お待ちを! これは一時的な調整局面で……!」


 黒川は後ずさり、窓枠に足をかけた。  言い訳はもう通じない。殺される。


「くそっ、覚えてろ須藤! この勝負、まだ終わりじゃないぞ!」


 黒川は窓から飛び降りた。  城の堀へと落下し、そのまま闇夜に紛れて逃亡する。またしても、自分の失敗を他人に押し付け、自分だけ生き延びるために。


 翌日。  ガレリア帝国はアークレイア王国に対し、無条件降伏を申し入れた。  武力ではなく、通貨による完全敗北だった。


 国境のテントで、俺は勝利のコーヒーを飲んでいた。


「……終わったな」 「ええ。でも、黒川はまた逃げたわ」


 エリスが不安げに言う。  そう、奴はしぶとい。ゴキブリ並みの生存能力だ。  だが、奴が逃げ込める場所はもうこの大陸にはないはずだ。  ……いや、あるか?  人間の手が及ばない、さらに深い闇。  『魔王軍』の残党か、あるいは『地下世界』か。


 その時、俺のスマホが再び震えた。  日本からのニュースアプリの通知だ。


 『速報:逃亡中の黒川容疑者、行方不明のまま一ヶ月。警察は公開捜査へ』


 そして、もう一件。  見知らぬアドレスからのメール。


 『件名:Re: 招待状』  『本文:面白いショーだったよ、ケンイチ君。次は僕が遊んであげる番だ』


 黒川ではない。もっと理知的で、冷徹な文章。  添付されていたのは、俺たちが開発したばかりの「蒸気機関車」の設計図のデータ……それも、俺のPCからハッキングされたものだった。


「……第三の勢力か?」


 俺は空を見上げた。  異世界転移者は、俺と黒川だけではなかったのかもしれない。  あるいは、こちらの世界の住人が、ネットを通じて向こう側の技術を盗んでいるのか。


 経済戦争は終わった。  だが、世界の謎は深まるばかりだ。

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