第39話 透明な盾と、地獄の赤い霧

王都から十キロ離れた平原。  ガレリア帝国軍、五千の兵が隊列を組んで進軍していた。  その最前列には、黒川が考案し、粗悪な鉄パイプで作らせた五百丁の『火槍(ハンド・カノン)』を構える部隊がいた。


「ヒヒッ……! 見ろ、あの貧弱な布陣を!」


 後方の指揮車の上で、黒川は双眼鏡を覗きながら嘲笑った。  迎え撃つアークレイア軍――いや、ローゼンバーグ商会の私兵団は、わずか五十名ほど。  彼らは剣も槍も持たず、全身を黒い防具で固め、手には「ガラスのように透明な長方形の板」を持っていた。


「盾のつもりか? あんなガラス細工、鉛玉で粉砕してやるよ。……撃てェッ!!」


 黒川の号令と共に、五百の火槍が火を噴いた。


 ドパンッ! ドパンッ!


 黒色火薬特有の白煙が戦場を覆い、轟音が響く。  鉛の弾丸が唸りを上げて獣人部隊へと殺到した。


「勝った! 文明の力の前にひれ伏せ、須藤ォォッ!」


 黒川が勝利を確信した、その時だった。


 カォン! バシィッ! キィン!


 硝煙の向こうから聞こえてきたのは、悲鳴ではなく、硬質な物体が弾かれる音だけだった。  風が煙を晴らす。  そこには、傷一つ負わずに立っているヴォルグたちの姿があった。  彼らが掲げた透明な盾には、白い傷跡が無数についていたが、貫通しているものは一つもなかった。


「な、なんだと……!? なぜ割れない!?」 「残念だったな、黒川部長。……いや、今は指名手配犯の黒川か」


 部隊の中央、拡声器を持った俺が声を張り上げた。


「お前が作ったのは、所詮は前装式の滑腔銃(マスケット)。初速も貫通力も低い。……対して、こっちの装備は、日本から取り寄せた**『ポリカーボネート製ライオットシールド(機動隊仕様)』**だ!」


 航空機の窓にも使われるエンジニアリング・プラスチック。その強度は強化ガラスの百五十倍。  粗悪な黒色火薬で撃ち出された柔らかい鉛玉程度なら、雨粒のように弾き返す。


「プ、プラスチックだと……!? ふざけるな! そんなものが異世界にあるわけが……!」 「あるさ。俺には『倉庫』があるからな。……さて、こちらの番だ」


 俺はヴォルグに合図を送った。  獣人部隊が盾の隙間から、背負っていた「散布機(ブロワー)」のノズルを向けた。  エンジン式の強力な送風機だ。


「警告する! 直ちに武装を解除し、投降せよ! 従わない場合は強制排除する!」 「うるさい! 第二射用意! 次こそ撃ち抜いて……」


 黒川が叫ぼうとした瞬間、俺はスイッチを入れた。


「――放水開始。ただし水じゃない、**『カプサイシン・スペシャル』**だ!」


 ブォォォォォォォォッ!!


 散布機から噴射されたのは、真っ赤な霧だった。  それは風に乗り、密集していた銃撃隊を包み込んだ。


 この世界で見つけた激辛唐辛子『レッド・デビル』。その成分を濃縮し、オイルに溶かし込んだ特製の催涙液だ。  その辛さ(スコヴィル値)は、対熊用スプレーに匹敵する。


「ぐわあああああっ!? め、目が! 目が焼けるぅぅッ!」 「息ができない! 喉が、喉がぁぁッ!」


 地獄絵図だった。  霧を吸い込んだ兵士たちが、銃を投げ捨てて地面を転げ回る。  目を開ければ焼きごてを当てられたような激痛、息を吸えば肺が燃えるような苦しみ。  死にはしない。だが、戦闘継続は不可能だ。


「ひぃぃっ!? 毒ガスか!? 貴様、国際条約違反だぞ!」 「異世界にジュネーヴ条約はない。それに、これはただの『調味料』だ。水で洗えば治る」


 俺は盾部隊を前進させた。


「制圧せよ!」


 ヴォルグたちが警棒(特殊ゴム製)を構え、統率された動きで混乱する敵軍へ突入していく。  視界を奪われ、咳き込む兵士たちに、勝ち目はなかった。  一方的な鎮圧(アレスト)。


 黒川は、その光景を見て顔面蒼白になり、馬車の御者に叫んだ。


「だ、出せ! 逃げろ! この役立たずどもめ!」 「お、お待ちください閣下! 前が見えません!」 「ええい、どけ!」


 黒川は御者を突き飛ばし、自ら手綱を握って馬車を反転させた。  我先にと逃亡を図るその姿は、かつて会社で責任を部下に押し付けて逃げた時と全く同じだった。


「……逃げ足だけは速いな」


 俺は双眼鏡でその背中を追った。  深追いはしない。ここで彼を捕まえれば終わりだが、ガレリア帝国の中枢にはまだ「戦争推進派」が残っている。黒川には、彼らの元へ「敗北の恐怖」を持ち帰ってもらう必要がある。


「ヴォルグ、捕虜を拘束しろ。武装解除の後、大量の水で顔を洗わせてやれ」 「了解だ。……まったく、社長の兵器は銃よりエグいぜ」


 ヴォルグが涙目の捕虜たちを見て、同情するように肩をすくめた。


 戦場には、数千のうめき声と、唐辛子の刺激臭だけが残った。  死者ゼロ。  だが、ガレリア軍の士気は完全に崩壊した。  「アークレイアには、透明な魔法の壁と、地獄の赤い息を吐く悪魔がいる」  その噂は、火薬の威力以上に深く、彼らの心に刻まれたはずだ。


 俺は回収させた粗悪な火槍を手に取り、ポイと投げ捨てた。


「文明の利器は、使い方次第だ。……黒川、次はお前の『居場所』そのものを奪ってやる」


 俺の次なる手は、軍事的な勝利ではない。  ガレリア帝国内部での「経済クーデター」だ。  彼らが戦争に費やした莫大な戦費。それが無駄になった今、帝国の経済は破綻寸前のはず。  そこへ、俺たちの銀行が「救いの手」を差し伸べるふりをして、浸食を開始する。

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