第36話 黒いダイヤと、禁忌の蒸気機関
『ゼロ・ベース』の工房。 作業台の上に置かれた、黒光りする石の塊を前に、俺は歓喜に震えていた。
「間違いない……。高品質の無煙炭だ」
北の鉱山で見つかったという謎の石。 それは紛れもなく、地球の近代文明を築き上げたエネルギーの源、石炭だった。 アークレイアには「魔石」という便利な燃料があるため、煙たくて扱いにくい石炭はこれまで見向きもされず、地中に眠っていたのだ。
「これがあれば、エネルギー革命が起こせる。魔石に頼らずに、巨大な動力を生み出せるぞ」
俺はすぐに設計図を広げた。 描かれているのは、シリンダー、ピストン、そしてボイラー。
【蒸気機関(スチーム・エンジン)】。
これを作れば、水を汲み上げるポンプも、鉱石を砕くハンマーも、そして大量の物資を運ぶ「列車」も動かせる。
「ドーガン親方! 頼みがある。この図面の機械を作ってくれ!」
俺は意気揚々と、専属契約を結んでいるドワーフの鍛冶師・ドーガンに設計図を見せた。 だが、ドーガンの反応は予想外だった。
「……断る」
彼は図面を一瞥するなり、不機嫌そうに顔を背けた。
「なんだと? 技術的に難しいのか?」 「いいや。俺の腕なら、この程度の気密容器を作るのは造作もねえ。だが……燃料に『あの石』を使うんだろ?」
ドーガンは作業台の石炭を指差し、忌々しげに吐き捨てた。
「そいつは『悪魔の燃えカス』だ。俺たちドワーフの伝承じゃ、この石を燃やすと『姿なき悪魔』が現れ、坑道を爆破し、職人を窒息させると言われている。……禁忌の石なんだよ」
なるほど。 炭鉱事故の歴史だ。 石炭のある場所には、可燃性のメタンガスが溜まりやすい。換気なしに火を使えば粉塵爆発やガス爆発が起きるし、不完全燃焼すれば一酸化炭素中毒で死ぬ。 科学知識のない彼らにとって、それは「悪魔の仕業」にしか見えなかったのだろう。
「親方。それは悪魔じゃない。『ガス』と『空気』の問題だ」 「うるせえ! 俺は仲間を危険に晒すわけにはいかねえ! 帰ってくれ!」
ドーガンは頑として首を縦に振らなかった。 職人としてのプライドと、仲間を守る責任感。それを力でねじ伏せることはできない。
「……分かりました。じゃあ、俺が『悪魔』を手懐けてみせたら、協力してくれますか?」 「ああん?」 「三日後、広場に来てください。この黒い石が、どれほど美しく、力強いか証明してみせます」
***
三日後。 俺は『ゼロ・ベース』の広場に、獣人たちに手伝わせて作った「試作機」を設置した。 日本から持ち込んだステンレス製の圧力鍋を改造したボイラーに、ピストンと車輪を繋いだだけの、原始的な蒸気機関モデルだ。
ドーガンをはじめ、ドワーフの職人たちが遠巻きに見守る中、俺は石炭をくべた。
「おい、正気か!? 爆発するぞ!」 「大丈夫だ。見ていろ」
俺はマッチで火をつけた。 ボイラーの下で、石炭が赤々と燃え上がる。 だが、俺は煙突を高くし、吸気口を調整して、完璧な換気システムを作っていた。爆発も中毒も起きない。
シュゥゥゥゥ……ッ!
水が沸騰し、白い蒸気がパイプを通ってシリンダーへと送られる。 圧力が上がる。
「……動け!」
俺がバルブを開いた瞬間。
プシュッ! ガション!
ピストンが押し出され、連結されたクランクが回り、車輪が回転を始めた。
プシュー、ガション。プシュー、ガション。 シュッシュッ、ポッポ!
リズミカルな音と共に、鉄の車輪が力強く回り続ける。 魔力は一切使っていない。 ただ、燃える石の熱と、水の力だけで、鉄が動いている。
「な……なんだ、あれは……」
ドーガンが吸い寄せられるように近づいてきた。
「魔力炉のような脈動じゃねえ……。もっと荒々しくて、でも規則正しい……。これが『蒸気』の力か?」 「そうです、親方。悪魔なんていない。これは『熱』を『運動』に変える、純粋な物理法則だ」
俺は回転するフライホイール(弾み車)に手を触れた。
「この回転力は、疲れることを知りません。石炭がある限り、永遠に水を汲み、鉄を打ち、荷物を運び続ける。……俺はこれで、この国を変えたいんです」
ドーガンは、回転する機構を食い入るように見つめていた。 その瞳に映っているのは、もはや恐怖ではない。 「どういう仕組みだ?」「俺ならもっと精度を上げられる」という、職人としての飽くなき探究心だ。
「……チッ。負けたぜ、社長」
ドーガンはニヤリと笑い、自分のハンマーを構えた。
「悪魔がいねえなら話は別だ。……おい野郎ども! 図面を持ってこい! このポンコツ鍋より、もっと凄ぇエンジンを組んでやる!」 「「「おうッ!!」」」
ドワーフたちが歓声を上げ、試作機に群がる。 迷信の壁が崩れ、技術への情熱が勝った瞬間だった。
***
それから数週間。 ドワーフたちの手によって、本格的な蒸気機関の開発が進められた。 彼らの金属加工技術は凄まじい。ミスリル合金を使った高耐久シリンダーや、継ぎ目のないパイプなど、俺の設計図を遥かに超えるスペックの部品が次々と生み出されていく。
そして、ついに完成したのが――『一号機関車・クロガネ』だ。
黒鉄のボディ。巨大な動輪。 まだレールは敷設されていないが、試運転として広場の固い地面を走らせることになった。
「圧力よし! 進路クリア!」
俺が運転席で汽笛の紐を引く。
ポォォォォォォォォッ!!!
高く澄んだ音が、アークレイアの空に響き渡った。 それは、剣と魔法の世界に、科学文明の産声が上がった音でもあった。
機関車が白煙を上げて動き出す。 ゆっくりと、だが確実に。 その圧倒的な質量とトルクに、見守っていたエリスやシャルロット王女も言葉を失っていた。
「……化け物ね。馬もいないのに、鉄の塊が走るなんて」 「これが産業革命ですよ、殿下」
俺は窓から顔を出し、風を感じた。 だが、これは始まりに過ぎない。 この蒸気機関車を実用化するには、王都と拠点を結ぶ「鉄道網」を敷かなければならない。 それには莫大な土地と、立ち退き交渉が必要になる。
そして、この「鉄道」の利権を巡り、新たなハイエナたちが動き出そうとしていた。 次に立ちはだかるのは、土地を所有する頑固な旧勢力、そして隣国のスパイたちだ。
「鉄道王」への道は、まだ平坦ではない。
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