第34話 殺到する悪意と、黄金の防波堤

その日の朝、『ローゼンバーグ銀行』の前は、異様な殺気に包まれていた。


「金(カネ)を返せ!!」 「この紙切れはただのゴミだっていう噂だぞ!」 「ローゼンバーグは預かった金を持って夜逃げするつもりだ!」


 怒号と共に、石つぶてが銀行の壁に投げつけられる。  群衆の数は数百人、いや千人を超えているだろう。彼らの目には不安と、扇動された怒りが宿っていた。


 銀行のオフィスで、エリスが真っ青な顔で震えていた。


「どうしよう、ケンイチ……! 朝から解約の申し込みが止まらないわ! このままだと、手持ちの現金が枯渇しちゃう……!」


 【取り付け騒ぎ(バンク・ラン)】。  銀行が最も恐れる事態だ。  銀行のビジネスモデルは「預かった金を他人に貸して利子を得る」こと。つまり、預金全額が金庫に眠っているわけではない。  そこを突かれた。全員が一度に「返せ」と言えば、どんな健全な銀行でも破綻する。


「……見ろ、あそこにいる男を」


 俺は窓のブラインドの隙間から、群衆の後方を指差した。  馬車の上で、ニヤニヤと笑いながら煽っている太った男。金秤ギルドのガラムだ。  そしてその隣には、王国の財務官僚らしき男もいる。


「『ローゼンバーグ銀行には金がない』というデマを流し、不安を煽って俺たちを潰す。古典的だが、効果的な手だ」


 ヴォルグが唸る。   「社長、蹴散らすか? 俺たちが睨みを利かせれば、暴徒くらい……」 「駄目だ。暴力を使えば『やはりやましいことがあるんだ』と思われる。信用は地に落ちる」


 俺はネクタイを締め直し、コーヒーを飲み干した。


「エリス、ヴォルグ。……『アレ』を開放するぞ」 「えっ!? でも、あれを見せたら……」 「構わん。客が『金を見せろ』と言っているんだ。見せてやるのがサービス業だろ?」


 ***


 銀行の正面玄関。  暴徒と化した群衆が、今にも扉を破ろうとしていた時、重厚な鉄扉が内側から開かれた。


「――静粛に!!」


 ヴォルグの雷のような一喝が響き、群衆がたじろぐ。  その中心から、俺は悠然と姿を現した。


「皆様、朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。当行の健全性を心配してくださっているようですね」


 俺の言葉に、ガラムが大声で野次を飛ばした。


「口先だけで誤魔化すな! その紙屑が本当に金になるのか、証明してみせろ! どうせ金庫は空っぽなんだろう!」 「そうだそうだ! 金を返せ!」


 群衆のヒートアップは最高潮に達した。  俺は静かに右手を挙げた。


「分かりました。皆様の預金、全額、即座にお返しいたします。……ヴォルグ、持ってこい!」


 ズズズズズ……ッ!


 地響きのような音がした。  銀行の奥から、獣人たちが「台車」を押して現れた。一台ではない。十台、二十台。  それぞれの台車の上には、麻袋が山積みにされている。


「まさか、中身は石ころか?」 「開けてみろ!」


 俺は近くの麻袋を掴み、逆さまにして地面にぶちまけた。


 ジャラララララッ!!


 朝日に照らされ、黄金の輝きが奔流となって溢れ出した。  本物の大金貨だ。  続いて、次々と袋が開けられる。  銀行の玄関前は、瞬く間に「黄金の山」で埋め尽くされた。


「な……っ!?」


 群衆が息を呑み、静まり返る。  その量は、彼らの預金総額を遥かに上回っていた。  俺は日本での資産を「金地金(インゴット)」に変えて持ち込み、さらにこれまでの莫大な利益を全てプールしていたのだ。  通常の銀行なら資金を運用に回すが、俺には「日本」という無限のバックアップがある。  【支払い準備率100%超】。  破綻など、物理的にあり得ない。


「ご覧の通り、金は腐るほどあります。さあ、返金を希望される方は一列に並んでください。即座に交換します」


 俺は冷徹な声で告げた。


「ただし! 規約通り、『中途解約』された場合、これまでついた利子は全額無効となります。それでもよろしければ、どうぞ」


 その言葉が、決定打となった。  目の前には、圧倒的な量の黄金がある。銀行が潰れる心配はない。  ならば、今ここで解約して「利子」をドブに捨てる必要があるか?


「……い、いや、俺はいいや。金があるなら安心だ」 「五%の利子がなくなるのは惜しい……」 「解散だ、解散!」


 人間の心理とは現金なものだ。  不安が解消された瞬間、次に頭をもたげるのは「損得勘定(グリード)」。  群衆は蜘蛛の子を散らすように去っていき、あるいは「逆にもっと預けたい」と言い出す者まで現れた。


「ば、馬鹿な……! どこにこんな隠し財産が……!」


 ガラムが馬車の上で震えていた。  彼の目論見は完全に外れた。取り付け騒ぎを起こせば起こすほど、俺たちの「支払い能力」が証明され、信用が高まるという皮肉な結果になったのだ。


 俺は黄金の山の上に足を乗せ、ガラムを見下ろした。


「ガラムさん。あんたも預けるか? ウチなら、あんたのところのような『タンス預金』より、よっぽど安全に増やしてやるぞ」


 屈辱に顔を歪め、ガラムは捨て台詞を吐いて逃げ去った。  その背中を見送りながら、俺は群衆の中に紛れていたもう一人の人物――財務官僚に視線を送った。  彼は冷や汗を拭いながら、手帳に何かを書き込み、足早に去っていった。


「……ふぅ。勝負あったな」


 エリスがへなへなと座り込む。


「心臓に悪いわ……。でも、これで誰も文句は言えないわね」 「ああ。この『黄金の防波堤』を突破できる奴はいない」


 俺たちは勝利した。  だが、これは前哨戦に過ぎない。  財務大臣は、力のゴリ押しが通じないと悟ったはずだ。  次に奴らが仕掛けてくるのは、法の暴力――**「課税」と「法的規制」**だ。


 数日後。  予想通り、王城から一通の羊皮紙が届いた。  『新銀行法制定のお知らせ』。  そこには、俺たちの銀行を狙い撃ちにした、理不尽な重税と規制が並べられていた。


「……やるじゃないか。なら、こっちは『政治』で対抗するまでだ」


 俺は羊皮紙をテーブルに叩きつけた。  次の戦場は、王城の会議室。  俺はシャルロット王女という最強のカードを切り、国の法律そのものを書き換えに行く。

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