第33話 金貨の墓場と、紙切れの革命
夏休みが終わり、娘の結衣を見送った翌日。 俺は『ゼロ・ベース』の地下に新設した巨大金庫室の前で、頭を抱えていた。
「……ケンイチ、もう限界よ。これ以上、入りきらないわ」
エリスがげっそりとした顔で訴える。 彼女の指先は、硬貨を数えすぎてボロボロになり、テーピングだらけだ。
目の前にあるのは、文字通りの「金銀の山」。 王都での売上、エルフとの交易、貴族からの予約金。それらが全て、物理的な「金属」として積み上がっているのだ。 アークレイアの大金貨一枚は約二十グラム。一億円分(約一千枚)あれば二十キロ。 今の俺たちの資産規模は、優に数百億円レベル。つまり、数トン、数十トンの貴金属がここに鎮座していることになる。
「物理的に重すぎる……。輸送コストも馬鹿にならないし、何より数えるだけで日が暮れる」
ヴォルグも疲れた顔で頷いた。
「警備も大変だぜ、社長。金貨の匂いを嗅ぎつけて、盗賊どころかドラゴンでも飛んできそうな量だ」
この世界の経済は、完全に「現物主義」だ。 高額な取引をするたびに、馬車に積んだ金貨を護衛付きで運ばなければならない。非効率極まりない。
「……変えるぞ、エリス。この国の『お金』の常識を」 「え?」 「金属の塊を持ち歩く時代は終わりだ。これからは『信用』を持ち歩く時代にする」
俺は懐から、日本で用意してきた「ある紙」を取り出した。 国立印刷局……とまではいかないが、日本の最新印刷技術で作られた、透かしとマイクロ文字入りの特殊紙だ。
「銀行(バンク)を作る」
***
翌日。俺は王都にある『金秤(きんばかり)ギルド』の本部を訪れていた。 ここは両替商や高利貸しを統括する組織だ。 案内された部屋の奥には、ジャラジャラと金貨を弄ぶ太った男――ギルドマスターのガラムが座っていた。
「ほう、ローゼンバーグ商会か。最近羽振りがいいそうだな。……で? ウチに金を預けたいと? 保管料は月一割いただくが」
ガラムは嘲るように言った。 月一割。暴利だ。だが、セキュリティのないこの世界では、金を安全に保管してもらうだけで金がかかるのが常識だった。
「いいえ。預けに来たのではありません。……宣戦布告に来ました」 「ああん?」 「あんたたちのやり方は古すぎる。今日限りで、この国の金融の主役は交代だ」
俺は踵を返し、呆気にとられるガラムを残して部屋を出た。 仁義は切った。あとは実力行使だ。
***
数日後。 『ゼロ・ベース』の一角に、堅牢な石造りの建物がオープンした。 看板には『ローゼンバーグ銀行』の文字。
俺は招待した王都の有力商人や貴族たちを前に、壇上に立った。
「皆様。重たい金貨を持ち歩き、盗賊に怯える毎日に疲れていませんか?」
ざわめく聴衆。 俺は一枚の紙を掲げた。 精緻な幾何学模様が印刷され、中央には俺たちの商会の紋章と、魔法的な発光インクで額面が刻印された『預金証書(紙幣)』だ。
「当銀行にお金を預けていただければ、この『ローゼンバーグ・ノート』を発行します。これは同額の金貨といつでも交換可能です」
商人たちが怪訝な顔をする。
「紙切れだぞ? そんなものが金の代わりになるか!」 「燃えたらどうするんだ!」
当然の反応だ。 だが、俺は次の切り札(キラーカード)を切った。
「もちろんです。ですから、ただ交換するだけではありません。……当銀行に預けていただいたお金には、『利子(インレスト)』をお支払いします」
「……り、りし?」
「ええ。預金額の年五%。……つまり、お金を預けておくだけで、勝手にお金が増えるのです」
会場が凍りついた。 保管料を取られるのが常識の世界で、「預けると金が増える」という概念は、天地がひっくり返るほどの衝撃だ。
「ば、馬鹿な! そんなことをして、お前の商会はどうやって儲けるんだ!?」 「それはこちらの企業秘密(運用益)です。ですが、ローゼンバーグ商会の資金力はご存知でしょう? 絶対に破綻しない保証として、全額返金保証魔法契約を結びます」
そして、サクラとして仕込んでおいたヴォルグが、大声で叫んだ。
「俺は預けるぜ! あの重い金貨を持ち歩かなくていい上に、金が増えるなんて夢みてえだ!」
彼はドンと金貨袋を窓口に置き、代わりに薄い紙幣を受け取った。 そして、その紙幣でエリスの店から『美肌水』を購入してみせた。
「ほら見ろ! ちゃんと使えるぞ!」
その光景を見て、商人の一人が震える手で金を差し出した。 「わ、私も預ける……! 金貨百枚だ!」 「私もだ! 保管料がいらないなら、預けない手はない!」
雪崩が起きた。 重い現物から、軽い紙へ。 そして「金が増える」という甘い蜜。 ローゼンバーグ銀行の窓口には、かつてない行列ができ、金庫室には国中の金貨が吸い込まれるように集まり始めた。
俺は二階のオフィスからその様子を見下ろし、コーヒーを啜った。
「……勝ったな」
銀行の本質は「信用創造」だ。 集めた金を元手に、さらに大規模な投資(工場建設や流通網整備)を行い、利益を生む。その一部を利子として還元する。 現代では当たり前のシステムだが、この世界では「魔法」以上の錬金術だ。
だが、俺が集めたのは金だけではない。 誰がどれだけの資産を持っているかという「個人情報」と、経済の「首根っこ」だ。
これでガラム率いる金秤ギルドは干上がるだろう。 しかし、それは同時に、俺が「国の通貨発行権」に手をかけたことを意味する。
王城の奥深く。 この国の財布を握る財務大臣が、苦々しい顔で報告書を握りつぶしていることなど、容易に想像がついた。
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