第32話 異世界夏祭りと、さよならの記念写真

『ゼロ・ベース』の広場は、一夜にして別世界へと変貌していた。


 日本から大量に持ち込んだ紅白の提灯(LED式)が、夕闇に沈む荒野を幻想的に照らし出している。  櫓(やぐら)が組まれ、そこからは太鼓の音とお囃子のBGMが流れている。  焼きそばソースの焦げる香ばしい匂い。  ここはもうアークレイアではない。日本の夏祭り会場だ。


「わあ……! すごい! 日本のお祭りそのままだよ!」


 結衣が歓声を上げて駆け回る。  彼女が着ているのは、鮮やかな金魚柄の浴衣だ。帯は黄色い兵児帯(へこおび)で、ふんわりと結ばれている。


「よく似合ってるぞ、結衣。……そっちの二人もな」


 俺が振り返ると、慣れない下駄に苦戦しながら歩いてくる二人の美女がいた。


 一人は、朝顔柄の涼しげな紺色の浴衣を着たエリス。  うなじを露わにしたまとめ髪が、普段の仕事着とは違う大人の色気を醸し出している。 「ケ、ケンイチ……どうかしら? 帯、苦しくない?」 「完璧だ。見返り美人ってやつだな」


 もう一人は、牡丹の柄があしらわれた艶やかな赤紫の浴衣を纏ったシャルロット王女。  王族のオーラは隠せないが、手にはちゃっかりと『ラムネ』の瓶が握られている。 「ふん、動きにくい衣装ね。でも……この『ガラス玉が入った飲み物』は面白いわ」


 そして、屋台エリアからは威勢のいい声が響いていた。


「へいらっしゃい! 『焼きそば』一丁!」


 ねじり鉢巻に法被(はっぴ)姿のヴォルグが、二つのヘラを高速で動かし、鉄板の上で麺を舞わせていた。  その横では、レオン王子が口をハフハフさせながら『たこ焼き』と格闘している。  エルフのルミナたちは、『りんご飴』の赤さに魅入られ、恐る恐る舐めている。


 種族も身分も関係ない。  そこにあるのは、ただ「祭りを楽しむ」という笑顔だけだった。


 ***


「さあ、みんな! 踊るよー!」


 宴もたけなわ、結衣が櫓の上に登った。  スピーカーから『炭坑節』が流れる。


「掘って~、掘って~、また掘って~!」


 結衣が見本を見せる。  最初は戸惑っていた異世界の人々も、単純なリズムと振り付けに、見よう見まねで合わせ始めた。


 二メートルの狼男が、華奢なエルフが、そして一国の王女が、輪になって踊る。  月が出た出た、月が出た。  その光景を見ながら、俺は缶ビールを煽った。


(……良い夏だったな)


 日本で全てを失ったあの日、こんな未来が待っているなんて想像もしなかった。  会社を追われ、家族を失いかけた俺が、今こうして異世界で新しい「家族」たちと笑い合っている。


 フィナーレは、昨日とは違う「優しい花火」だ。  線香花火。  みんなでしゃがみ込み、小さな火の玉を見つめる。


「落ちないで……落ちないで……」


 結衣が真剣な顔で祈る。  パチパチと弾ける儚い光。  ポトリ、と火の玉が落ちた時、夏休みが終わったことを告げる鐘が心の中で鳴った気がした。


 ***


 翌朝。  俺たちはゲートのある倉庫の前に立っていた。  結衣の背中には、来た時よりもパンパンに膨らんだリュック。中には、エリスが作った刺繍入りのハンカチや、ヴォルグがくれた「竜の牙のペンダント」、そしてお菓子がいっぱい詰まっている。


「……行っちゃうのね、結衣ちゃん」


 エリスが寂しそうに眉を下げる。  結衣はエリスに抱きついた。


「うん。でも、また来るよ。エリスお姉ちゃん、パパのことよろしくね」 「ええ、任せて。あなたのパパは、私が支えるわ」


 ヴォルグは男泣きしていた。 「お嬢様……! 俺は……俺は寂しいですぞぉぉッ!」 「ヴォルグ、泣かないで。よしよし」  結衣が背伸びをして、巨大な狼の頭を撫でる。


 そして、最後に俺の前に立った。


「パパ」 「ああ」 「楽しかった。パパが日本にいなくて寂しかったけど……ここに来て分かったの。パパは今、すっごく輝いてるって」


 結衣は満面の笑みを浮かべた。


「だから、私も日本で頑張る。勉強も、ママのことも。……パパに負けないくらい、強くなるから」 「……ああ。パパも負けないさ。次に来る時は、もっと凄い『国』を作って待ってる」


 俺はスマホを取り出した。  日本から持ってきたポータブルプリンター『instax(チェキ)』付きのカメラだ。


「最後に、一枚撮ろう」


 全員が集まる。  俺、結衣、エリス、ヴォルグ、シャルロット、ルミナ、レオン、そして獣人たち。  背景には、俺たちが作り上げた『ゼロ・ベース』の工場と、青い空。


「はい、チーズ!」


 カシャッ。  吐き出されたフィルムには、種族を超えた最高の笑顔が焼き付けられていた。


「これ、お守りね」


 結衣は写真を大切に胸ポケットにしまい、ゲートの光の中へと歩き出した。  一度だけ振り返り、大きく手を振って。


「行ってきます!」 「行ってらっしゃい!」


 光が収束し、ゲートが閉じる。  倉庫の中には、静寂が戻った。


 俺はしばらく、結衣が消えた空間を見つめていた。  寂しさがないと言えば嘘になる。  だが、それ以上に胸に満ちていたのは「やる気」だった。


 あの子が誇れる父親であり続けるために。  あの子がいつか、この世界で暮らしたいと言った時、最高の環境で迎え入れられるように。


「……さて、仕事に戻るか」


 俺は振り返った。  エリスたちが、頼もしげな目で俺を見ている。


「エリス、ヴォルグ。休憩は終わりだ。……次は『経済』を動かすぞ」 「ええ、社長!」 「おうよ!」


 夏は終わった。  だが、ローゼンバーグ商会の快進撃は、ここからが本番だ。  目指すは、この異世界の通貨システムを掌握し、誰にも揺るがせない「経済圏」を確立すること。

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