第20話 野獣の身だしなみと、黒服部隊の誕生
翌朝。 ローゼンバーグ商会の裏庭に、二十名近い獣人たちが整列していた。 ヴォルグを筆頭に、彼らの表情は硬い。そして何より、スラム特有の異臭――泥と獣の臭いが充満していた。
「……臭うな」
俺が率直に言うと、獣人たちがバツが悪そうに耳を伏せた。 エリスも鼻をつまんで距離を取っている。これでは「美」を売る店に立たせるわけにはいかない。
「まずは『洗浄(クリーニング)』だ。全員、服を脱げ!」 「な、なにっ!?」
俺が指示すると、庭に設置した簡易シャワー(ドラム缶に水を溜め、電動ポンプで汲み上げる即席のもの)から、温水が勢いよく噴き出した。 さらに、俺が用意したのは業務用サイズの『ボディソープ(フローラルの香り)』と『シャンプー』だ。
「いいか、客商売の基本は清潔感だ! その体毛の一本一本まで磨き上げろ!」
俺も袖をまくり、デッキブラシ片手に彼らを洗い流した。 最初は泡立つ洗剤に驚き、悲鳴を上げていた彼らだが、次第にその心地よさに気づき始めたようだ。
「すげえ……泥が溶けていくぞ」 「この泡、いい匂いがする。花の香りか?」
一時間後。 そこには、見違えるようにフワフワの毛並みになった獣人たちがいた。 ヴォルグの銀色の毛並みなど、太陽光を反射して輝いている。
「悪くない気分だ……」
ヴォルグが自分の腕の匂いを嗅いで、まんざらでもなさそうに呟く。 だが、本番はここからだ。
「次はこれに着替えろ」
俺が支給したのは、日本で大量購入しておいた『リクルートスーツ(黒)』と『白シャツ』、そして『サングラス』だ。 彼らの屈強な肉体に合うよう、大きいサイズ(3L〜5L)を揃えてある。
慣れない手つきでネクタイを締め、ジャケットに腕を通す獣人たち。 全員が着替え終わった瞬間、その場の空気が一変した。
黒一色の集団。 盛り上がる筋肉。サングラス越しの鋭い眼光。 それはもはや商会の従業員ではない。どう見ても「その筋の人たち」か、あるいは要人警護のSP(シークレット・サービス)だ。
「……怖い。凄く、怖いわケンイチ」
エリスが震え上がった。 確かに、一般人が見たら悲鳴を上げて逃げ出すレベルの威圧感だ。 だが、この「強面(こわもて)」こそが、最高のセキュリティになる。
「よし、形は整った。次は『接客用語』の訓練だ。俺に続け」
俺は姿勢を正し、四十五度の角度でお辞儀をした。
「『いらっしゃいませ』!」 「「「うがァッ!!」」」 「違う! 威嚇するな! 歓迎しろ!」
「『ありがとうございました』!」 「「「ぐるるるッ……」」」 「唸るな! 感謝を込めろ! あと歯を剥き出しにするな、笑顔だ!」
地獄の研修が始まった。 ヴォルグは特に苦戦していた。彼が精一杯の「笑顔」を作ろうとすると、どう見ても「獲物を前に舌なめずりする狼」にしかならないのだ。
「……無理だ、スドウ。俺たちが笑うと、客が失禁する」 「……分かった。お前たちは笑わなくていい。その代わり、背筋を伸ばし、無言で、恭しくドアを開けろ。寡黙な騎士(ナイト)を演じるんだ」
***
そして迎えた、営業再開の日。 ローゼンバーグ商会の前には、いつものように貴族たちの行列ができていた。
「どうなってるの? もう一週間も待たされているのよ!」 「早く店を開けなさいよ!」
苛立つ客たち。 その時、重厚な扉が音もなく開かれた。
現れたのは、黒いスーツにサングラス、そしてインカム(実はただの飾りだが)を装着した、巨漢の獣人たちだった。
「ひっ……!?」
最前列の婦人が息を呑む。 ヴォルグが進み出た。彼は無表情のまま、サングラスをクイクイと直し、深く一礼した。
「……いらっしゃいませ。ローゼンバーグ商会へようこそ」
低く、渋いバリトンボイス。 そして洗練された所作。 野蛮なはずの獣人が、人間以上に礼儀正しく振る舞うその「ギャップ」に、貴族たちは雷に打たれたように硬直した。
「ご案内いたします、お嬢様」
ヴォルグが白い手袋をした手で、婦人をエスコートする。 その瞬間、婦人の頬が朱に染まった。
「あ、あら……素敵……」 「野獣のようなのに、紳士だわ……」
作戦成功だ。 貴族たちは、自分たちが「特別な警護」を受けているという優越感と、強面の男にかしずかれる背徳感(?)に酔いしれた。
店内では、エリスを中心に、女性の獣人スタッフ(彼女たちはメイド服だ)が、新商品の『美肌水(ハトムギ化粧水)』と『雪のクリーム(ニベア)』を実演販売していた。
「見てください、この潤い!」 「まあ! 乾いた肌が生き返るようだわ!」
商品は飛ぶように売れた。 そして、万引きを企むような不届き者や、因縁をつけようとする商売敵の手先は、店内に配置された黒服部隊(ヴォルグたち)の眼光に射すくめられ、何もできずに退散していった。
夕方。 閉店後の店内は、かつてない額の売上金で溢れていた。
「……凄い。過去最高益よ」
エリスが呆然と呟く。 そして、初日の仕事を終えた獣人たちも、心地よい疲労感に包まれていた。
「おい、ヴォルグ。これを受け取れ」
俺はヴォルグに、約束の報酬――即席麺のケースと、彼らのための給金(銀貨)を渡した。 ヴォルグは銀貨を見て、目を見開いた。
「……こんなに、いいのか? ただ突っ立って、ドアを開けていただけだぞ」 「立派な仕事だ。お前たちがいたから、エリスたちは安心して商売ができた」
ヴォルグは震える手で銀貨を握りしめ、そして仲間たちに向かって吠えた。
「野郎ども! 今日は宴だ! ……スドウ社長に感謝しな!」 「「「うおおおおおッ!!」」」
スラムの野良犬たちが、誇り高き「企業戦士」へと変わった瞬間だった。
こうしてローゼンバーグ商会は、盤石な組織を手に入れた。 だが、組織が大きくなれば、次は「土地」が足りなくなる。 この小さな店舗兼住宅では、もう在庫も従業員も収まりきらない。
「……エリス。そろそろ、次のステップだ」 「え?」 「この国に、俺たちの『領地』を作ろう。誰にも文句を言わせない、経済特区をな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます