第18話 美肌の錬金術と、枯渇する労働力

日本での黒川討伐から数日後。  俺は再び、異世界アークレイアの土を踏んだ。


 今回の荷物はいつにも増して大量だ。  バックパックだけでは足りず、ホームセンターで購入した『台車(折りたたみ式キャリーカート)』二台に、満載のダンボールを積んでいる。  中身は、新会社『境界貿易』の名義で、日本のドラッグストア問屋から正規ルートで仕入れた「美の弾薬」たちだ。


「……それにしても、凄い熱気だな」


 ローゼンバーグ商会の前に到着して、俺は絶句した。  まだ開店前だというのに、店の前には長蛇の列ができている。  着飾った貴族の召使いや、裕福な商人の妻たち。  皆、殺気立った目でドアが開くのを待っていた。


「おい、いつ開くんだ!」 「『星の絹』の新作は入っているのか!?」


 これは、ただの繁盛店ではない。パニック寸前だ。  俺は裏口からこっそりと店内に入った。


「お、おはよう……ケンイチ……」


 カウンターの奥で、エリスが突っ伏していた。  目の下には濃いクマ。髪はボサボサ。かつての薄幸の美少女が、今はデスマーチ中のシステムエンジニアのような形相になっている。


「エリス、大丈夫か? やつれたな」 「大丈夫……じゃないわよ。寝る暇もないの。注文の処理、売上の計算、ドーガン親方への資材搬入……。私一人じゃ、もう限界……」


 彼女は幽鬼のような声で訴えた。  無理もない。急激な事業拡大(スケールアップ)に、組織(リソース)が追いついていない。  典型的な成長痛だ。


「すまなかった。俺が日本でゴタゴタしている間に、負担をかけたな」 「ううん……あなたが無事ならいいの。……で、その山のような荷物は?」


 エリスが台車の上のダンボールに視線を向けた。  俺はニヤリと笑い、箱の一つを開封した。


「エリス、鏡を持ってこい。お前を『絶世の美女』に戻す魔法の薬だ」


 俺が取り出したのは、プラスチックボトルに入った透明な液体と、白いクリームの瓶。  日本で最もポピュラーな『ハトムギ化粧水』と、『ニベアクリーム(青缶)』だ。  高級ブランド品ではない。だが、この世界においては、これこそが最強のソリューションになる。


「……水? と、油?」 「顔を洗ってから、これをたっぷりと肌に染み込ませてみろ」


 エリスは半信半疑で、化粧水をコットン(これも新商品だ)に取り、パッティングした。  ひんやりとした感触。そして、乾いた肌が水を飲むように潤っていく感覚。  続いて、クリームで蓋をする。


「――――あ」


 数分後。鏡を見たエリスが声を上げた。  カサカサだった頬に、瑞々しいツヤが戻っている。触れれば吸い付くような弾力。


「凄い……! ポーションを塗ったみたい! 肌が、ぷるぷるしてる!」 「この世界の美容法は、油(オリーブオイルや獣脂)を塗るだけだろう? だが、肌に必要なのは『水分』とその『保持(保湿)』だ。この化粧水は肌の奥まで水分を届け、クリームが蒸発を防ぐ」


 科学的スキンケア。  乾燥した気候のアークレイアにおいて、これは女性たちの救世主となるだろう。  原価は数百円だが、効果は金貨数枚分の美容魔術に匹敵する。


「売れるわ……! これ、『星の絹』以上に爆発的に売れるわよ!」 「ああ。だが、問題はそこだ」


 俺は腕組みをして、真剣な表情になった。


「商品があっても、売る人間がいない。お前はもう限界だ。……従業員を雇おう」 「だめよ」


 エリスが即座に否定した。


「普通の人間を雇えば、すぐにベルンハルトや他の商会のスパイが入るわ。商品の入手ルート、在庫の隠し場所、売上の管理……秘密が多すぎるもの」


 その通りだ。  この街のギルドの影響下にある人間は信用できない。かといって、俺一人でレジ打ちをするわけにもいかない。  必要なのは、この街のしがらみがなく、口が堅く、そして俺たちに絶対の忠誠を誓う人材。


 そんな都合のいい存在がいるか?


「……エリス。この国で『仕事にあぶれている』、あるいは『社会から爪弾きにされている』連中はいないか?」 「えっ?」 「俺が欲しいのは、能力はあるのに正当に評価されていない連中だ。俺たちと同じようにな」


 エリスは少し考え込み、やがて気まずそうに口を開いた。


「……いるわ。街の外れ、スラム街の奥に。『亜人(デミ・ヒューマン)』たちの集落が」 「亜人?」 「獣人族や、森を追われたエルフたちよ。人間より腕力も器用さもあるけれど、教会の教えで『穢れた種族』として差別されているの。ギルドも彼らを雇うことを禁止しているわ」


 ビンゴだ。  高い身体能力を持ちながら、社会システムから排除されている層。  彼らに「職」と「尊厳」を与えれば、その忠誠心は計り知れない。  ギルドのルール? 王室御用達の俺たちが、新しいルールを作ればいい。


「よし。人材発掘(ヘッドハンティング)に行くぞ」 「ええ!? 本気なの!? あそこは治安が悪くて、衛兵すら近づかないのよ!」 「好都合だ。誰も見向きもしない場所にこそ、ダイヤモンドの原石は転がっている」


 俺は化粧水とクリームのサンプルを袋に詰めた。  金貨だけでは心は買えない。彼らが必要としているのは、もっと根源的な「生活の向上」だ。


「店は一時休業だ。……行くぞ、エリス。ローゼンバーグ商会、初の人事採用面接だ」


 俺たちは店の看板を『準備中(CLOSE)』にひっくり返し、裏路地のさらに奥、都市の闇が吹き溜まるスラムへと足を踏み出した。  そこで待っていたのは、薄汚れた路地に座り込む、鋭い犬歯と獣の耳を持つ少女たちだった。

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