第17話 摩天楼の復讐者と、破滅のプレゼンテーション

東京、大手町。  日本経済の中枢にそびえ立つ、東都商事本社ビル。  そのガラス張りの摩天楼を見上げ、俺はネクタイの結び目を直した。


「……悪くない着心地だ」


 身に纏っているのは、紗彩が懇意にしている銀座の老舗テーラーで仕立てた、一着五十万円のオーダースーツだ。  生地は深みのあるミッドナイトブルー。腕にはアークレイア王家から下賜された宝石を加工したカフスボタンが輝く。  今の俺は、薄汚れた無職の中年ではない。新進気鋭の貿易会社『株式会社・境界貿易(ボーダー・トレード)』の役員だ。


「行くわよ、須藤さん。……いいえ、専務」


 隣に立つ紗彩もまた、隙のないパンツスーツ姿で、敏腕秘書のように(あるいは女豹のように)微笑んでいる。  そして後ろには、都内屈指の法律事務所から雇った顧問弁護士と、調査会社のスタッフが控えていた。


「ああ。……不燃ごみ(黒川)の回収日だ」


 俺たちは正面玄関を堂々と通り抜け、エレベーターホールへと向かった。


 ***


 その頃、二十五階の大会議室では、資源開発部の定例役員会議が行われていた。  上座には担当常務。そしてプロジェクターの前には、得意げな顔をした黒川剛が立っていた。


「――以上の通り、今期のレアメタル調達コストは大幅に削減可能です。これも、前任者(須藤)の放漫な管理体制を一掃した成果であり……」


 黒川は流暢に嘘を並べ立てていた。  俺が築いたコネクションを自分の手柄にし、俺のミスをでっち上げて数字を操作する。  役員たちが満足げに頷くのを見て、黒川は笑みを深めた。  これで次の昇進は確実だ、と確信した瞬間――。


 バンッ!


 会議室の重厚な扉が、ノックもなく押し開かれた。


「な、なんだ君たちは! 会議中だぞ!」


 総務の社員が叫ぶが、俺たちはそれを無視して部屋の中央へと進み出た。  黒川が驚愕に目を見開く。


「す、須藤……!? 貴様、どうやって入った!?」 「久しぶりだな、黒川。相変わらず、人のふんどしで相撲を取るのが上手い」


 俺は静かに、しかしよく通る声で言った。  会議室がざわめく。  「あれは懲戒解雇された須藤か?」「随分と雰囲気が違うぞ」「あの高いスーツはどうした」


「警備員を呼べ! 不法侵入だ!」


 黒川が裏返った声で叫ぶ。  だが、俺の隣にいた弁護士が、一枚の書類を常務に提示した。


「失礼。我々は株式会社・境界貿易の代理人として参りました。御社の株主として、また『不正会計に関する内部告発者』として、緊急動議を提案します」 「な、なに……?」


 常務が眉をひそめ、書類を受け取る。  俺はすかさず、黒川が使っていたPCの接続ケーブルを抜き、持参した自分のタブレットを繋いだ。


「黒川課長。あなたのプレゼンの続きを、私が代行しましょう」 「や、やめろ!」


 黒川が止めようとするが、調査スタッフの屈強な男たちに阻まれる。  スクリーンに映し出されたのは、無機質な数字の羅列――裏帳簿のデータだった。


「これは興信所と公認会計士が作成した、過去三年分の資源開発部の資金フローです。黒川課長、あなたが架空の取引先を使ってプールしていた『裏金』、総額一億五千万円。……随分と貯め込みましたね」


 会場が凍りついた。  黒川の顔から、急速に血の気が引いていく。


「で、デタラメだ! それは須藤がやったことだ! 俺はそれを正そうとして……」 「そう言うと思いましたよ」


 俺はスライドを切り替えた。  次に映ったのは、つい先日、俺の実家の蔵で撮影されたナイトビジョン映像だ。  赤と黒の明滅の中、のたうち回る男たち。  そして響き渡る叫び声。


『――黒川さん、話が違うぞ!』


 クリアな音声が、会議室に反響する。


「これは私の自宅への不法侵入犯の映像です。彼らは警察の取り調べに対し、『黒川剛の依頼で、須藤が隠し持っている証拠データを盗みに入った』と自供しています」


 俺は黒川を指差した。


「あなたは怖かったんでしょう? 私が横領の真実を知っていることを。だから私を解雇に追い込み、それでも飽き足らず、泥棒まで雇って口封じをしようとした」


 俺は一歩、また一歩と黒川に近づいた。  黒川は後ずさり、ホワイトボードに背中をぶつけた。


「そ、そんな……嘘だ……俺は……」 「さらに、あなたは私の娘が通う小学校にまで手を回し、虚偽のビラを撒いて精神的に追い詰めようとした。……それが、一企業の管理職がやることかッ!」


 最後の一喝。  それは会社員としての告発ではない。一人の父親としての、魂の叫びだった。


 黒川はその場に崩れ落ちた。  役員たちの冷ややかな視線が、彼に突き刺さる。常務が静かに立ち上がり、携帯電話を取り出した。


「……警察だ。横領と、住居侵入教唆の容疑者がここにいる」


 ***


 数十分後。  警察車両に乗せられていく黒川の姿を、俺たちはロビーから見送っていた。  彼は最後まで「俺じゃない、罠だ」と喚いていたが、手錠の冷たさが現実を教えてくれるだろう。  東都商事も、監督責任を問われる大スキャンダルになる。株価は下がるだろうが、膿を出したと思えば安いものだ。


「……終わったな」


 俺は大きく息を吐き出した。  肩の荷が下りた気がした。  これで、結衣への嫌がらせも止まる。俺への疑いも晴れ、堂々と街を歩ける。


「お見事でした、専務」


 紗彩がハンカチを差し出してくれた。


「最高のプレゼンだったわ。これであなたの過去(汚名)は清算された。……さあ、これからは未来の話をしましょう」 「ああ。そうだな」


 俺はスマホを取り出し、結衣に短いメッセージを送った。 『終わったよ。もう誰もパパたちのことを悪く言わない』


 すぐに既読がつき、泣き顔のスタンプが送られてきた。  今度会うときは、胸を張って抱きしめてやれる。


 俺はビルの外へ出た。  秋の空が高く、澄み渡っている。  日本での憂いは消えた。  だが、俺の物語はここで終わりではない。むしろ、ここからが本当のスタートだ。


 株式会社・境界貿易。  日本と異世界を股にかける、前代未聞の商社。  アークレイアでは王女殿下が、そして偏屈なドワーフたちが、俺の帰りを待っている。


「帰ろうか、紗彩さん。……いや、社長」 「ええ。次の商材は何にする? 王都で化粧品が売れそうって話だったけど」 「それなら、ドラッグストアを買い占めていくか」


 俺たちは談笑しながら、雑踏の中へと歩き出した。  二つの世界を行き来する「境界の行商人」。  その伝説は、まだ始まったばかりだ。

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