第16話 成金の苦悩と、黒い噂の包囲網

王都から帰還したローゼンバーグ商会は、戦場のような忙しさに包まれていた。


「ケンイチ! 『星の絹』の在庫がもうないわ! 追加発注よ!」 「ドーガン親方から連絡だ、『ファスナーの金具が足りねえ、あの精密な粒を持ってこい!』って怒鳴ってるぞ!」 「王女殿下のご友人である侯爵夫人から、お茶会への招待状が……どう断ればいいの!?」


 エリスが悲鳴を上げながら、羊皮紙の山と格闘している。  嬉しい悲鳴だ。王女殿下が舞踏会で披露したドレスは、一夜にして社交界の伝説となった。  今やローゼンバーグ商会の前には、商品を求める貴族の馬車が列をなしている。


「……完全にキャパシティオーバーだな」


 俺は嬉しい誤算に頭を抱えた。  俺一人がバックパックで運べる量には限界がある。  それに、これだけ商売が大きくなれば、動く金の額も桁違いになる。


 今回の王都遠征での売上と、王女からの報奨金。  手元にある金貨は百枚を超え、宝石や貴金属の装飾品も山ほどある。  日本円換算で、軽く一億円は超えるだろう。


「エリス、俺は一度『仕入れ』に戻る。それと……この商会の体制を立て直すための準備もしてくる」 「お願い! あなただけが頼りなの!」


 俺はエリスに店を任せ、逃げるようにゲートへ飛び込んだ。


 ***


 日本。実家の土蔵。  俺は持ち帰った重たいリュックを畳の上に降ろした。  中には、ずっしりと重い金貨の袋。


 だが、ここで深刻な問題に直面する。  「一億円の金塊を持った無職の男」。  今の俺は、社会的に見れば完全に「ブラック」な存在だ。  これを不用意に銀行に入金すれば、銀行は金融庁に疑わしい取引として報告する義務がある。そうなれば税務署が動き、警察が動く。


「……洗浄(ロンダリング)が必要だ」


 もちろん、違法なマネーロンダリングをするつもりはない。  必要なのは「正当な商取引」としての体裁だ。


 俺はスーツに着替え、いつものように『アンティーク・タチバナ』の暖簾をくぐった。


「……あら。随分と顔つきが変わったわね、須藤さん」


 紗彩は珈琲を淹れながら、俺を迎えた。


「何か良いことでもあった?」 「ああ。少しばかり『山』が当たってね。……相談がある」


 俺はリュックから、アークレイア王家から下賜された『宝剣の柄(つか)』を取り出した。  金と宝石で装飾された、美術品クラスの代物だ。


「これを買い取ってほしい。それと……俺と『会社』を作ってくれないか」 「会社?」 「ああ。俺は今、個人事業主ですらない。このままじゃ、稼いだ金を堂々と使えないし、娘に誇れる父親にもなれない」


 紗彩は柄をルーペで検分しながら、口元を緩めた。


「いいわね。古物商の免許を持つ私が『輸入元』になり、あなたが『現地バイヤー』として商品を卸す。あるいは、二人で貿易会社を設立する。……税金対策もしっかりやらないと、国税局はハイエナより怖いわよ」


 彼女は手際よく電卓を叩く。


「この宝剣の柄だけで、査定額は八百万。……金貨も含めれば、資本金としては十分すぎるわ。設立手続きは私の顧問弁護士に任せて」 「助かる。社長はあんたでいい。俺はあくまで『仕入れ担当』の役員で」


 これで「社会的地位」という鎧が手に入る。  株式会社『境界貿易(仮)』の役員。  無職のプータローよりは、幾分マシな肩書きだ。


 だが、安堵したのも束の間だった。  俺のスマホが震えた。  娘の結衣からだ。


『パパ、ごめん。学校でちょっとトラブルになった』


 俺の心臓が早鐘を打つ。  すぐに電話をかけた。


「結衣!? 怪我はないか!?」 『うん、怪我はないけど……。先生に呼び出されたの』


 結衣の声は沈んでいたが、気丈に振る舞おうとしていた。


『学校の掲示板に、変なビラが貼られたの。「5年2組の須藤結衣の父親は、犯罪収益で豪遊している詐欺師だ」って』 「……なんだと?」 『それだけじゃない。ママのところにも、匿名の手紙がいっぱい来てる。「犯罪者の娘を育てるな」とか……』


 俺の血管の中で、血液が沸騰する音が聞こえた。  黒川だ。  実家への侵入に失敗した奴は、今度はもっと卑劣な手段に出た。  俺個人への攻撃ではなく、俺の大切な「家族」の居場所を奪う、社会的抹殺(ソーシャル・リンチ)。  証拠がなくても、噂だけで人は傷つく。特に、学校という狭い社会では致命的だ。


「……結衣。パパが今すぐ行く」 『来ちゃダメ! パパが来たら、もっと騒ぎになる!』


 結衣が叫んだ。


『私は平気。友達も「そんなの嘘だ」って言ってくれてる。……でも、パパ。これ以上黙ってやられているのは嫌だよ』


 その言葉に、俺は冷静さを取り戻した。  そうだ。感情に任せて学校に乗り込めば、それこそ「粗暴な父親」として黒川の思う壺だ。


 俺は電話越しに、低く、静かに告げた。


「分かった。学校には行かない。……その代わり、黒川の会社に行く」 『え?』 「噂を消すには、噂の出所を断つしかない。……戦争だ、結衣。パパは大人のやり方で、あいつを完膚なきまでに叩き潰す」


 電話を切った俺は、紗彩に向き直った。


「紗彩さん。会社設立の手続き、特急で頼めるか? 金ならいくら積んでもいい」 「……随分と殺気立ってるわね。目的は?」 「『社会的信用』という武器を持って、古巣(東都商事)に殴り込みをかける」


 俺は懐から、あの夜の「蔵の侵入動画」が入ったUSBメモリを取り出した。  そして、黒川の不正の証拠――奴が俺に罪をなすりつけるために改ざんした帳簿のデータ(これを入手するために探偵を雇うつもりだ)をセットにする。


 金はある。  今なら、日本屈指の興信所を使って、黒川の身辺を丸裸にできる。  奴が会社の金を横領し、女(恐らく元妻以外の愛人)に貢いでいる証拠。  そして、俺への違法なハラスメントの証拠。


 これらを手に、俺はかつて自分が勤めていた大手商社の「コンプライアンス委員会」と「株主総会」に爆弾を投下する。


「……面白いわ」


 紗彩が妖しく微笑んだ。


「その復讐劇、私も一口乗らせて。最高のスーツを用意しましょう。ナメられないための、戦闘服をね」


 アークレイアでは王女のドレスを作った。  日本では、俺自身が「一流の経営者」という衣装を纏う番だ。


 黒川よ。  お前がコソコソとビラを貼っている間に、俺は正面玄関からお前の首を取りに行く。

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