第15話 異端の嫌疑と、美の絶対王政
王城での舞踏会当日。 ローゼンバーグ商会の一室は、かつてない緊張と達成感に包まれていた。
トルソー(マネキン)に着せられた、一着のドレス。 『星の絹』のロイヤルブルーが、窓から差し込む陽光を吸い込み、内側から発光するように輝いている。 そして、その背中には――黄金のラインが走っていた。
「……完璧だ」
ドーガンが太い指で、涙を拭った。 YKKのファスナーは、彼の神業によって生まれ変わっていた。 務歯(ムシ)のひとつひとつが微細な彫金で装飾され、引き手(プルタブ)には王家の紋章である「剣を持つ獅子」が透かし彫りされている。 それはもはや工業製品ではない。芸術品(アート)としての留め具だ。
「これなら、王女様も満足されるはずよ。ケンイチ、急ぎましょう! お着替えの時間までギリギリだわ」
エリスがドレスを丁寧にガーメントケース(特注の革袋)に収める。 俺たちはドーガンも連れ、チャーターした馬車に乗り込んだ。 目指すは王城の控え室。
だが、その道中で「それ」は起きた。
「止まれ! 神聖なる教会の名において、馬車を改める!」
王城の正門前。 行く手を阻んだのは、黒い法衣に身を包み、赤い十字の紋章を下げた集団だった。 異端審問官。 この国において、王権とは独立した宗教的権限を持つ、法の番人にして処刑人たちだ。
「な、何ですか!? 私たちは王女殿下の招待で……」 「黙れ、汚らわしい商売女め」
御者台から叫ぶエリスを遮り、一人の痩せこけた男が進み出た。 窪んだ眼窩(がんか)から、異常な光を放つ瞳。 その背後には、ニヤニヤと笑いを堪えるベルンハルトの姿があった。
「タレコミがあったのだよ。ローゼンバーグ商会が、『悪魔の技術』を使って禁忌の道具を作っている、とな」
ベルンハルトが勝ち誇ったように言った。 やはりか。技術で勝てないと悟り、宗教という「思考停止の暴力」に訴えたか。
「そこの袋を開けろ!」
審問官がエリスからガーメントケースを奪い取り、乱暴に開けた。 陽光の下、鮮烈な青のドレスが露わになる。 周囲の野次馬たちが「おお……」と感嘆の声を漏らすが、審問官は顔をしかめた。
「見ろ、この不自然な色艶! 天然の草木染めで、これほど毒々しい色がでるはずがない。これは魔女の血で染めたものだ!」
さらに彼は、背中のファスナーを指差した。
「そしてこれだ! 魔力も込められていないのに、噛み合い、離れる金属の牙! これは『食人(カニバリズム)』を模した悪魔の口だ! このような不浄なものを、あろうことか王女殿下の御身に着せようとするとは!」
無茶苦茶な論理だ。だが、中世的価値観では「理解できないもの」=「悪魔」という図式が成立してしまう。 野次馬たちの目が、畏怖の色に変わっていく。
「燃やせ! この場で浄化の炎にくべろ!」
審問官が叫び、部下たちが松明(たいまつ)を掲げて迫る。 エリスがドレスを庇ってうずくまる。ドーガンが金槌を構えるが、手を出せば即座に死刑だ。 ベルンハルトが高笑いする。
「残念だったな、須藤。科学だか何だか知らんが、この国では神が絶対なのだよ」
絶体絶命。 だが、俺は冷静だった。 むしろ、この衆人環視の状況こそが、最大の「ステージ」になる。
「……神が絶対、ですか。それは奇遇ですね」
俺は一歩前に出た。 慌てる様子もなく、スーツの襟を正し、審問官をまっすぐに見据える。
「審問官殿。あなたは教典を正しく理解していないようだ」 「なに? 貴様、異端の分際で私に説教をする気か?」 「教典にはこうあるはずだ。『神の作りしものは純粋(ピュア)であり、地上の穢れ(けがれ)を含まない』と」
アークレイアの宗教観。 第一話の段階で調査済みだ。この世界では「不純物のないもの(高純度なもの)」ほど神聖視される。
俺はドレスの裾を指先でつまみ上げた。
「よくご覧なさい。この布に、織りムラがありますか? シミが一つでもありますか? このファスナーの金具に、歪みが一つでもありますか?」
審問官は言葉に詰まった。 ない。あるはずがない。工場で品質管理された工業製品だ。
「天然の素材には、必ず不純物が混じる。虫食いがあり、色ムラがあり、やがて腐る。……それこそが『地上の穢れ』ではありませんか?」
俺は声を張り上げた。
「対して、この『星の絹』は腐らない。色褪せない。そしてこの『黄金の鍵』は、数千回動かしても寸分違わず噛み合う。……これを『奇跡』と呼ばずして、何と呼ぶのです?」
「ぐ、ぬ……詭弁だ! 人の手で完璧なものが作れるはずがない!」
「人の手ではありません。これは『叡智』です。神が、王女殿下のために与えたもうた、至高の技術です」
周囲の空気が変わった。 野次馬たちが、ドレスを「悪魔の道具」ではなく「神聖な遺物」を見る目で見始めた。
「ええい、問答無用! 燃やせば分かる! 悪魔の品なら黒い煙を上げるはずだ!」
審問官が松明をドレスに突きつけようとした、その時。
「――控えなさい」
凛とした声が、喧噪を切り裂いた。 正門の向こうから、近衛兵を従えたシャルロット王女が現れたのだ。
「で、殿下!?」 「騒がしいと思えば……。私のドレスを、どうするつもり?」
王女は氷の微笑を浮かべ、審問官を見下ろした。
「い、いえ! これは異端の……」 「黙りなさい。美醜の判断もつかぬ者に、神の意図が読めるとは思えないわ」
王女は俺たちの前に立ち、ドレスに手を触れた。
「私はこの布を見て、美しいと思った。この精巧な金具を見て、職人の魂を感じた。……もしこれが悪魔だと言うなら、それを選んだ私もまた、魔女として裁くおつもり?」
「そ、そのような……滅相もございません!」
審問官が地面に額を擦り付けた。 教会の権威といえど、王族、それも次期女王と目されるシャルロットを敵に回すことはできない。
「ローゼンバーグ商会、入りなさい。……私の着替えを手伝って」 「は、はいっ!」
エリスが涙目で返事をする。 俺たちは審問官と、顔面蒼白になったベルンハルトの横を通り過ぎ、王城へと足を踏み入れた。
すれ違いざま、俺はベルンハルトに小声で囁いた。
「……お前の神様も、どうやら『美しいもの』がお好きだったようだな」
***
数時間後。舞踏会場。 大扉が開かれ、シャルロット王女が入場した瞬間、会場中の時が止まった。
身体のラインを完璧に際立たせる、マーメイドラインのドレス。 背中で輝く黄金のファスナーが、脊髄のようにしなやかに動き、彼女の動きに合わせて光を放つ。 それは、既存のコルセットドレスのような窮屈さがなく、まるで皮膚の一部のように自由で、かつ高貴だった。
圧倒的な美。 それは、あらゆる批判を封殺する「絶対王政」の力を持っていた。
「……勝った」
会場の隅で、俺はシャンパングラスを傾けた。 隣のエリスは、感極まって泣きじゃくっている。ドーガンは「へっ、俺の金具が一番目立ってら」と鼻をこすっている。
ベルンハルトの姿はもう、会場のどこにもなかった。 教会の審問官を動かして失敗した責任は重い。彼の商会は、明日から厳しい立場に追いやられるだろう。
だが。 俺は知っていた。 宗教という虎の尾を踏んだことの代償は、これで終わりではないことを。 そして日本側でも、黒川がついに「実力行使」に出るための準備を整えつつあることを。
二つの世界での綱渡り。 そのロープは、どんどん細く、高くなっていく。 だが、今の俺には最高のパートナーたちがいる。
俺はエリスの肩を抱き、新たな戦いへの覚悟を決めた。
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