第10話 王都のランウェイ、あるいは化学繊維の革命

王都『グラン・アークレイア』。  城塞都市とは比較にならない規模の巨塔がそびえ立ち、石畳は白く磨き抜かれている。  その中心にある王立博覧会場は、国中の富と権力が集結する場所だった。


 巨大なドーム状の会場には、シャンデリアの光が降り注ぎ、着飾った貴族たちが談笑している。  だが、俺たちに向けられる視線は、氷のように冷たかった。


「見ろ、あれが噂のローゼンバーグ商会だ」 「落ちぶれ貴族の娘が、妙な男と組んで商売ごっこをしているらしいな」 「塩と胡椒で小銭を稼いだそうだが、ここは『宝物』を競う場所だぞ。場違いも甚だしい」


 囁き声が波のように広がる。  あからさまな嘲笑。その中心には、ワイングラスを片手にしたベルンハルトがいた。


「やあ、エリス嬢。よく逃げずに来たものだ」


 ベルンハルトが、取り巻きの商人たちを引き連れて近づいてくる。


「今日の審査員は、財務大臣と……なんと王女殿下もいらっしゃるそうだ。まさか、その薄汚れた木箱に入った調味料を見せるつもりではあるまいな?」


 彼が指差した先には、他の商会が展示している絢爛豪華な出品物が並んでいた。  東方の絹織物、巨大な魔石の原石、銀細工の食器。  どれもが職人の魂がこもった一級品だ。


 エリスが唇を噛み締め、俯く。彼女の手は微かに震えていた。  だが、俺は彼女の背中に手を置き、耳元で囁いた。


「顔を上げろ、エリス。俺たちの商品は、こんな『天然モノ』とは次元が違う」 「……うん。信じてる」


 エリスが顔を上げる。その瞳に力が戻った。


 ファンファーレが鳴り響き、審査の開始が告げられた。  次々と各商会のプレゼンテーションが行われていく。  そして、ついにベルンハルトの番が来た。彼が出したのは、黄金の刺繍が施された絹のタペストリーだった。


「素晴らしい! この光沢、この手触り。まさに国宝級だ!」


 審査員たちが絶賛し、会場が拍手に包まれる。  ベルンハルトは勝ち誇った顔で俺たちを見下ろした。


「さて、次はローゼンバーグ商会か。……何も出すものがなければ、この場でライセンス剥奪だが?」


 会場中の視線が突き刺さる。  俺は一歩前に出ると、恭しく一礼した。


「我々が用意したのは、アークレイアの未来を照らす『新素材』です。言葉で説明するよりも、見ていただいた方が早いでしょう」


 俺は指をパチンと鳴らした。  それを合図に、会場の照明がわずかに落とされる――わけではないが、俺が用意した演出(スポットライト)のスイッチが入る。


「ご覧ください。これが、東方の最果てより持ち込みし、天女の羽衣――『星の絹(スター・シルク)』です!」


 会場の奥、控室のカーテンが開かれた。  そこから現れたエリスの姿に、数千人の観衆が息を呑み、会場が静寂に包まれた。


 彼女が纏っていたのは、シンプルなカクテルドレスだった。  だが、その「素材」が異常だった。


 鮮烈な、目が焼けるようなロイヤルブルー。  天然染料の藍染めでは絶対に出せない、化学染料特有の突き抜けるような青。  そして、シャンデリアの光を照り返す、濡れたような光沢。


 ポリエステル・サテン。  日本の手芸屋で、メートル五百円で売られていた布だ。  だが、この世界において、それは「液体の宝石」を身に纏っているようにしか見えない。


「な……なんだ、あれは……?」 「光っている……? いや、布そのものが発光しているのか?」 「あんな鮮やかな青、見たことがない! ミスリルを糸にして織ったとでも言うのか!?」


 ざわめきが悲鳴に近い歓声へと変わる。  エリスが歩くたびに、サテン生地がサラサラと流れるような音を立て、ドレープが光の波紋を描く。  虫食いの跡も、織りムラも、色落ちも一切ない。  工業製品ゆえの「完璧な均一性」が、ここでは神の奇跡として映る。


 エリスは緊張しながらも、堂々とランウェイ(審査員席への道)を歩いた。  その姿は、かつて没落した商家の娘ではない。一国の王女よりも高貴な輝きを放っていた。


「ま、待て! あんなもの、まやかしだ!」


 ベルンハルトが叫んだ。


「ただ色を塗っただけの紙だろう! 近くで見れば粗悪品に決まって……」


 彼が手を伸ばそうとした時、審査員席から一人の女性が立ち上がった。  アークレイア第一王女、シャルロット殿下だ。


「下がりなさい」


 凛とした声一発で、ベルンハルトが凍りつく。  王女は壇上を降り、エリスの目の前まで歩み寄った。  そして、震える手でサテンのドレスに触れた。


「……信じられない。水のように滑らかで、氷のように冷たく、そして宝石のように輝いている……」


 ツルツルとしたサテンの手触り。  摩擦係数が極端に低いその感触は、羊毛や麻、あるいは手織りの絹しか知らない人々にとって、未知の体験だ。


「そなた、これを何と呼んだ?」 「『星の絹(スター・シルク)』でございます、殿下」


 俺が代わりに答えた。  王女は恍惚とした表情で、エリス――というより、そのドレスを見つめた。


「欲しい。……今度の舞踏会で、私がこれを着たい」 「殿下!?」


 側近たちが慌てるが、王女は聞く耳を持たない。


「この青だけではないのでしょう? 紅(あか)は? 翠(みどり)は?」 「はい。真紅の『ローズ・レッド』、深緑の『フォレスト・グリーン』、そして黄金の『シャンパン・ゴールド』……あらゆる色がご用意できます」


 俺がカラーサンプル(見本帳)を取り出すと、王女だけでなく、周囲の貴族夫人たちが目の色を変えて殺到した。


「私にも見せて!」 「私が先よ! いくらなら売ってくれるの!?」 「ベルンハルトの古臭いタペストリーなんてどうでもいい! あの布をよこせ!」


 会場はパニックになった。  ベルンハルトは、人波に揉まれ、自慢のタペストリーを踏みつけられながら、呆然と立ち尽くしていた。


「ば、馬鹿な……。たかが布だぞ……。俺の築き上げた利権が、あんな薄っぺらい布一枚に……」


 勝負ありだ。  メートル五百円の布が、国宝級のタペストリーを駆逐した瞬間だった。


 騒ぎの中、エリスが俺の方を振り向いた。  スポットライトとフラッシュ(魔法による記録の光)を浴びながら、彼女は最高に美しい笑顔で、俺にVサインを送ってきた。


(やったな、パートナー)


 俺も小さく親指を立てて応えた。  これでローゼンバーグ商会の名は、王家公認のブランドとして不動のものとなった。  ベルンハルトの妨害工作も、王女のお墨付きがある以上、手出しはできないだろう。


 だが、俺はこの熱狂の中で、ふと感じていた。  あまりにも目立ちすぎた。  「星の絹」というオーバーテクノロジーは、商売敵だけでなく、もっと厄介な存在――国家の闇や、教会の異端審問官あたりを引き寄せるかもしれない。


 そして日本側でも。  黒川の捜査の手が、確実に俺の喉元へと迫りつつあった。


 光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。  俺たちの綱渡りの行商(ビジネス)は、ここからが本当の正念場だ。

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