境界の行商人 ~リストラされた42歳元商社マン、実家の蔵から異世界と日本を往復貿易。100均グッズを売って金貨を稼ぎ、奪われた愛娘と人生を取り戻す~
第10話 王都のランウェイ、あるいは化学繊維の革命
第10話 王都のランウェイ、あるいは化学繊維の革命
王都『グラン・アークレイア』。 城塞都市とは比較にならない規模の巨塔がそびえ立ち、石畳は白く磨き抜かれている。 その中心にある王立博覧会場は、国中の富と権力が集結する場所だった。
巨大なドーム状の会場には、シャンデリアの光が降り注ぎ、着飾った貴族たちが談笑している。 だが、俺たちに向けられる視線は、氷のように冷たかった。
「見ろ、あれが噂のローゼンバーグ商会だ」 「落ちぶれ貴族の娘が、妙な男と組んで商売ごっこをしているらしいな」 「塩と胡椒で小銭を稼いだそうだが、ここは『宝物』を競う場所だぞ。場違いも甚だしい」
囁き声が波のように広がる。 あからさまな嘲笑。その中心には、ワイングラスを片手にしたベルンハルトがいた。
「やあ、エリス嬢。よく逃げずに来たものだ」
ベルンハルトが、取り巻きの商人たちを引き連れて近づいてくる。
「今日の審査員は、財務大臣と……なんと王女殿下もいらっしゃるそうだ。まさか、その薄汚れた木箱に入った調味料を見せるつもりではあるまいな?」
彼が指差した先には、他の商会が展示している絢爛豪華な出品物が並んでいた。 東方の絹織物、巨大な魔石の原石、銀細工の食器。 どれもが職人の魂がこもった一級品だ。
エリスが唇を噛み締め、俯く。彼女の手は微かに震えていた。 だが、俺は彼女の背中に手を置き、耳元で囁いた。
「顔を上げろ、エリス。俺たちの商品は、こんな『天然モノ』とは次元が違う」 「……うん。信じてる」
エリスが顔を上げる。その瞳に力が戻った。
ファンファーレが鳴り響き、審査の開始が告げられた。 次々と各商会のプレゼンテーションが行われていく。 そして、ついにベルンハルトの番が来た。彼が出したのは、黄金の刺繍が施された絹のタペストリーだった。
「素晴らしい! この光沢、この手触り。まさに国宝級だ!」
審査員たちが絶賛し、会場が拍手に包まれる。 ベルンハルトは勝ち誇った顔で俺たちを見下ろした。
「さて、次はローゼンバーグ商会か。……何も出すものがなければ、この場でライセンス剥奪だが?」
会場中の視線が突き刺さる。 俺は一歩前に出ると、恭しく一礼した。
「我々が用意したのは、アークレイアの未来を照らす『新素材』です。言葉で説明するよりも、見ていただいた方が早いでしょう」
俺は指をパチンと鳴らした。 それを合図に、会場の照明がわずかに落とされる――わけではないが、俺が用意した演出(スポットライト)のスイッチが入る。
「ご覧ください。これが、東方の最果てより持ち込みし、天女の羽衣――『星の絹(スター・シルク)』です!」
会場の奥、控室のカーテンが開かれた。 そこから現れたエリスの姿に、数千人の観衆が息を呑み、会場が静寂に包まれた。
彼女が纏っていたのは、シンプルなカクテルドレスだった。 だが、その「素材」が異常だった。
鮮烈な、目が焼けるようなロイヤルブルー。 天然染料の藍染めでは絶対に出せない、化学染料特有の突き抜けるような青。 そして、シャンデリアの光を照り返す、濡れたような光沢。
ポリエステル・サテン。 日本の手芸屋で、メートル五百円で売られていた布だ。 だが、この世界において、それは「液体の宝石」を身に纏っているようにしか見えない。
「な……なんだ、あれは……?」 「光っている……? いや、布そのものが発光しているのか?」 「あんな鮮やかな青、見たことがない! ミスリルを糸にして織ったとでも言うのか!?」
ざわめきが悲鳴に近い歓声へと変わる。 エリスが歩くたびに、サテン生地がサラサラと流れるような音を立て、ドレープが光の波紋を描く。 虫食いの跡も、織りムラも、色落ちも一切ない。 工業製品ゆえの「完璧な均一性」が、ここでは神の奇跡として映る。
エリスは緊張しながらも、堂々とランウェイ(審査員席への道)を歩いた。 その姿は、かつて没落した商家の娘ではない。一国の王女よりも高貴な輝きを放っていた。
「ま、待て! あんなもの、まやかしだ!」
ベルンハルトが叫んだ。
「ただ色を塗っただけの紙だろう! 近くで見れば粗悪品に決まって……」
彼が手を伸ばそうとした時、審査員席から一人の女性が立ち上がった。 アークレイア第一王女、シャルロット殿下だ。
「下がりなさい」
凛とした声一発で、ベルンハルトが凍りつく。 王女は壇上を降り、エリスの目の前まで歩み寄った。 そして、震える手でサテンのドレスに触れた。
「……信じられない。水のように滑らかで、氷のように冷たく、そして宝石のように輝いている……」
ツルツルとしたサテンの手触り。 摩擦係数が極端に低いその感触は、羊毛や麻、あるいは手織りの絹しか知らない人々にとって、未知の体験だ。
「そなた、これを何と呼んだ?」 「『星の絹(スター・シルク)』でございます、殿下」
俺が代わりに答えた。 王女は恍惚とした表情で、エリス――というより、そのドレスを見つめた。
「欲しい。……今度の舞踏会で、私がこれを着たい」 「殿下!?」
側近たちが慌てるが、王女は聞く耳を持たない。
「この青だけではないのでしょう? 紅(あか)は? 翠(みどり)は?」 「はい。真紅の『ローズ・レッド』、深緑の『フォレスト・グリーン』、そして黄金の『シャンパン・ゴールド』……あらゆる色がご用意できます」
俺がカラーサンプル(見本帳)を取り出すと、王女だけでなく、周囲の貴族夫人たちが目の色を変えて殺到した。
「私にも見せて!」 「私が先よ! いくらなら売ってくれるの!?」 「ベルンハルトの古臭いタペストリーなんてどうでもいい! あの布をよこせ!」
会場はパニックになった。 ベルンハルトは、人波に揉まれ、自慢のタペストリーを踏みつけられながら、呆然と立ち尽くしていた。
「ば、馬鹿な……。たかが布だぞ……。俺の築き上げた利権が、あんな薄っぺらい布一枚に……」
勝負ありだ。 メートル五百円の布が、国宝級のタペストリーを駆逐した瞬間だった。
騒ぎの中、エリスが俺の方を振り向いた。 スポットライトとフラッシュ(魔法による記録の光)を浴びながら、彼女は最高に美しい笑顔で、俺にVサインを送ってきた。
(やったな、パートナー)
俺も小さく親指を立てて応えた。 これでローゼンバーグ商会の名は、王家公認のブランドとして不動のものとなった。 ベルンハルトの妨害工作も、王女のお墨付きがある以上、手出しはできないだろう。
だが、俺はこの熱狂の中で、ふと感じていた。 あまりにも目立ちすぎた。 「星の絹」というオーバーテクノロジーは、商売敵だけでなく、もっと厄介な存在――国家の闇や、教会の異端審問官あたりを引き寄せるかもしれない。
そして日本側でも。 黒川の捜査の手が、確実に俺の喉元へと迫りつつあった。
光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。 俺たちの綱渡りの行商(ビジネス)は、ここからが本当の正念場だ。
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