第11話 東京の黒い渦、そして娘の諜報網

ゲートをくぐり、日本の土蔵へと戻った瞬間、俺は重力が増したような錯覚を覚えた。


 アークレイアでの熱狂的な喝采(スタンディング・オベーション)は、もう遠い夢のようだ。  ここにあるのは、カビ臭い空気と、湿った畳の感触だけ。  だが、俺のバックパックには、王女殿下や貴族たちから預かった「手付金」が唸っている。


 金貨五十枚、および宝石数点。  日本円にして数千万円規模の資産だ。  これで当面の仕入れ資金は腐るほどできた。工場の在庫を買い占めることだってできる。


「……浮かれてる場合じゃないな」


 俺は冷たい井戸水で顔を洗い、商社マン時代の冷徹な思考を取り戻した。  急激な金の動きは、必ず不審がられる。  特に、俺のような「解雇された無職」が派手に動けば、税務署以前に、俺を監視している「奴ら」が黙っていない。


 スマホを確認する。  着信履歴はない。だが、メッセージアプリに結衣からの通知が一件。  開いた瞬間、俺の背筋が凍りついた。


『黒川のおじさんが家に来てる。ママと話ししてる。今、録音中』


 送信時刻は十分前。  俺は即座に『無理するな、部屋に鍵をかけて隠れてろ』と返信しようとした。  だが、その直後に音声ファイルが送られてきた。


 俺はイヤホンを耳にねじ込み、再生ボタンを押した。


 ***


『――で、どうなんだ真理子。あいつの羽振りは』


 ノイズ混じりの音声。だが、間違いなく黒川の声だ。  場所は元妻・真理子のマンションのリビングだろう。食器がカチャカチャと鳴る音がする。


『知らないわよ。でも、養育費はきっちり振り込まれてたわ。それに、結衣が変なこと言ってたの。「パパは魔法使いになった」とか』 『魔法使いだァ? ハッ、頭がおかしくなったか、あるいは……』


 黒川の嘲笑う声。続いて、ライターでタバコに火をつける音がした。


『いいか、真理子。俺の調べじゃ、須藤の口座に毎月、出所不明の金が入ってる。それも半端な額じゃない。質屋や貴金属店を経由している形跡がある』 『えっ? まさか、あいつ……泥棒でもやってるの?』 『もっとヤバイかもしれん。密輸(スマグリング)か、あるいは反社との関わりか……。とにかく、あいつは「汚い金」を持ってる。それを暴けば、あいつを豚箱にぶち込める』


 ゴクリ、と真理子が何かを飲む音がした。


『……豚箱に行ったら、養育費はどうなるの?』 『馬鹿だな。犯罪収益なら、被害者への賠償や、お前への慰謝料として差し押さえられる。あいつが隠し持ってる数千万、いや億の金が、正当にお前のものになるんだよ』 『……! 剛さん、あなたって本当に頼りになるわ』


 男女の生々しい、欲望に塗れた会話。  吐き気がした。  こいつらは、俺を陥れただけじゃ飽き足らず、俺が必死に稼いだ金すらも、骨の髄までしゃぶり尽くそうとしているのか。


『手始めに、あいつの実家――あのボロ屋を洗う。あそこに何か隠してるはずだ』 『警察に通報する?』 『いや、警察は証拠がないと動かん。まずは俺の知り合いの「専門業者」に下見をさせる。……鍵が開いてりゃ、ラッキーだしな』


 そこで音声は途切れていた。


 ***


「……上等だ、黒川」


 俺はスマホを握りしめ、ギリリと歯を食いしばった。  実家への不法侵入(ブレイク・イン)を示唆している。  「専門業者」というのは、ピッキング犯か、あるいは窃盗団の類だろう。


 俺はすぐに結衣へメッセージを送った。 『よくやった、結衣。凄い情報だ。でも、もう二度とあいつの前に顔を出すな。部屋から出るんじゃないぞ』


 数秒後、既読がつく。 『平気だよ。黒川のおじさん、パパの悪口ばっかりでつまんない。……パパ、負けないでね』


 娘の健気さに、怒りで煮えくり返った腸(はらわた)が、急速に冷えていくのを感じた。  そうだ。怒りに任せて動けば、黒川の思う壺だ。  奴は俺がボロを出すのを待っている。なら、逆にその「罠」を利用してやる。


 俺はスーツに着替えると、ある場所へ向かった。  『アンティーク・タチバナ』。  質屋の女主人・紗彩に会うためだ。


 ***


「……なるほど。きな臭いことになってきたわね」


 店内のカウンターで、紗彩は俺が持ち込んだ「王都の宝石」を鑑定しながら、淡々と言った。


「このルビー、加熱処理の跡がないわね。これほどの大きさの『非加熱(ノーヒート)』、オークションに出せば数百万は下らない。……で、これを現金化して、防犯対策に使いたいと?」 「ああ。実家が狙われている。金目のものがあると思われているらしい」


 俺は黒川の件を、ぼかして伝えた。  紗彩はルーペを置き、俺の目をじっと見た。


「須藤さん。忠告しておくと、今のあなたは目立ちすぎているわ。短期間で高額商品を換金しすぎ。税務署もそうだけど、裏社会の連中も鼻が利くのよ」 「分かっている。だから、あんたを頼った」 「……買い被らないで。私はただの古物商よ」


 彼女はそう言いながらも、カウンターの下から一枚の名刺を取り出した。


『総合警備保障 S・シールド』


「私の店のセキュリティを担当している会社よ。元警察キャリアがやってる。口は堅いし、仕事は早い。……『タチバナの紹介』と言えば、明日にでも最新の防犯システムを入れてくれるわ」 「……恩に着る」 「いいえ。これはビジネスよ。あなたが捕まったら、私も面白い仕入れルートを失うもの」


 彼女は妖艶に微笑み、ルビーの代金としての小切手を切った。


「それと、須藤さん。一つ提案があるのだけど」 「なんだ?」 「その『実家』、いっそ空っぽにしておいたら? 大事なものは、全部『向こう』に持っていけばいいじゃない」


 ハッとした。  そうだ。俺には最強の金庫があるじゃないか。  【次元倉庫(アイテムボックス)】。  そして、異世界の拠点。  こちらに現金を置いておくから狙われるのだ。資産をすべて「商品」に変えて異世界へ送り、日本には空っぽの金庫と、監視カメラだけを残す。


 そして、侵入してきた黒川の「手先」を映像に収めれば――それは奴を社会的に抹殺する、決定的なカードになる。


「……紗彩さん。あんた、悪女だな」 「最高の褒め言葉ね」


 店を出た俺は、すぐに名刺の番号へ電話をかけた。  迎撃準備だ。  黒川よ。お前が俺の城(ボロ家)に踏み込んだ時が、お前の終わりの始まりだ。


 だがその前に、俺にはもう一つ、やらなければならないことがあった。  結衣だ。  あんな危険な真似をさせた娘に、きちんと報いなければならない。  そして、彼女を守るための「護身具」も、アップデートする必要があるだろう。


 俺はホームセンターではなく、秋葉原の電気街へと足を向けた。  狙うは、子供でも扱えるGPSトラッカーと、防犯ブザー。  いや、異世界の素材と組み合わせれば、もっと強力なお守りが作れるかもしれない。


 二つの世界の技術を融合(ハイブリッド)させ、俺は大切なものを守り抜く。

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