第6話 頑固料理長と、黒い宝石
城塞都市アークレイアの中心街、貴族や富裕層の屋敷が立ち並ぶ一等地。 そのメインストリートに、重厚なオーク材の扉を構えるレストラン『銀の匙亭』はあった。
創業五十年。国王陛下も御忍びで訪れたことがあるという名店だ。 だが、その裏口――厨房への搬入口の前で、俺とエリスは門前払いを食らっていた。
「帰んな! うちは決まった問屋からしか仕入れねえんだ!」
勝手口を守る巨漢の男が、俺たちを睨みつけていた。 エリスが身を縮こまらせながら、それでも必死に声を上げる。
「お、お願いします! サンプルだけでも見てください! ローゼンバーグ商会が自信を持って……」 「ローゼンバーグ? ああ、あの落ちぶれたトコか。なおさらお断りだ。親父さん(料理長)は今、来週の晩餐会のメニュー決めでピリピリしてんだよ」
男はシッシッ、と手を振って扉を閉めようとする。 エリスが悔しそうに唇を噛んだ。 だが、想定内だ。 飛び込み営業(コールドコール)で、すんなり通してもらえるほど甘くはない。 ここからは、商社マンの出番だ。
「……ピリピリしている、か。それは好都合だ」
俺は閉まりかけた扉の隙間に、革靴のつま先をねじ込んだ。 痛いが、表情には出さない。
「痛っ……何しやがる!」 「晩餐会のメニューにお悩みなら、解決策を持ってきたと言っているんです」
俺は男を無視して、扉の奥――厨房に向かって声を張り上げた。
「肉料理の臭み消しに、香草(ハーブ)を大量に使って誤魔化していませんか!? あるいは、希少な『東方の木の実』を惜しげもなく使っても、まだ香りが足りないと嘆いているんじゃないですか!?」
厨房の奥で、ガチャリと鍋を置く音がした。 一瞬の静寂。 やがて、ドス、ドス、と地響きのような足音が近づいてくる。
現れたのは、熊のような大男だった。 真っ白なコックコートに、油とソースの染み。腕には無数の火傷の痕。 鋭い眼光が、俺を射抜く。 『銀の匙亭』料理長、ガントだ。
「……小僧。今、ウチの料理が『臭い』と言ったか?」
低い、地を這うような声。 殺気にも似た圧力(プレッシャー)に、エリスが「ひっ」と俺の背後に隠れる。 だが、俺は怯まなかった。職人の怒りは、こだわりへの裏返しだ。
「臭いとは言っていません。ただ、もっと『洗練』できると言ったんです」 「……口の減らない行商人だ。だが、俺の調理の邪魔をした罪は重いぞ。納得できるもんを出さなきゃ、その足をへし折って衛兵に突き出す」
ガントは包丁をまな板に突き刺した。 交渉権(アポイントメント)は取れた。強引だが。
「エリス、あれを」 「は、はいっ」
俺の合図で、エリスが震える手で『あらびきコショウ』の缶を取り出した。 日本のスーパーで買った、一般的な四百グラム入りの缶だ。 ラベルは剥がしてある。銀色の無骨な缶を見て、ガントが眉をひそめた。
「なんだそれは。鉄の筒か?」 「開けますよ。香りが逃げるので、鼻を近づけて」
俺はプルトップに指をかけ、一気に引き開けた。
――パシュッ。
密封されていた空気が解放される音。 その直後、厨房という空間が一変した。
鮮烈にして、強烈。 鼻腔を突き抜け、脳髄を痺れさせるような、スパイシーな刺激臭。 挽きたてのブラックペッパーだけが持つ、野生と気品が同居した「黒い宝石」の香りだ。
「なっ……!?」
ガントが目を見開き、思わず後ずさった。 周囲の料理人たちも、手を止めて鼻をひくつかせている。
「な、なんだこの香りは!? 『黒胡椒(ペッパー)』か? だが、こんな……まるで目の前で実を挽いたような……いや、それ以上に濃い!」 「最高品質の黒胡椒を、独自の技術で乾燥・粉砕し、香りを『封印』したものです」
俺はスプーン一杯分のコショウを、近くにあった皿に出した。 均一な粒の大きさ。湿気を含まないパラパラとした質感。
「舐めてみてください。ただし、ほんの少しだけ」
ガントは太い指先を湿らせ、黒い粉をつけた。 そして、恐る恐る口に含む。
数秒後。 熊のような巨体が震えた。
「――ぐ、おおおおっ!!」
ガントは顔を真っ赤にして、テーブルを叩いた。
「辛い! 熱い! だが……美味いッ!! なんだこの抜けの良さは! 雑味がねえ! カビ臭さも土臭さも一切ねえ! 純粋な『辛味』と『香り』の塊だ!」
彼は興奮のあまり、俺の肩をガシッと掴んだ。
「お前、これだ! これがあれば、脂の乗ったオーク肉のステーキも、泥臭い川魚のムニエルも、一級品に化ける! ソースがいらねえ、塩とこれだけで完成しちまう!」
「その塩も、いいものがありますよ」
俺は畳み掛けるように、ジップロックに入れた『精製塩』を取り出した。 ガントがその「雪のような白さ」を見た瞬間、言葉を失ったのは言うまでもない。
***
三十分後。 俺たちは『銀の匙亭』の応接室で、ガント料理長と向かい合っていた。 テーブルの上には、空になったコショウ缶と、半分ほど減った塩の袋。 そして、革袋に入った金貨の山。
「……金貨二十枚。これが今回の仕入れ分だ」
ガントは、まだ興奮が冷めやらぬ様子で言った。 塩とコショウ、合わせて仕入れ値数千円の商品が、二百万円になった瞬間だ。
「これでも安いくらいだ。特にこの『白塩』……王家御用達の岩塩より純度が高い。これを使えば、スープの味が劇的に澄む」 「毎度あり。……で、本題はここからです」
俺は金貨を受け取らず、エリスの方へ押しやった。 エリスが「ひゃっ」と声を上げる。
「ガントさん。この商品は、今後も安定供給できます。ただし、条件がある」 「なんだ? 独占契約か?」 「いいえ。『ローゼンバーグ商会』の名前を、料理のメニューや宣伝に載せてほしいんです。『当店はローゼンバーグ商会の上質なスパイスを使用しています』と」
そう、ブランディングだ。 ただ物を売るだけでは、ただの便利屋で終わる。 「ローゼンバーグ商会=最高品質」というブランドイメージを、この街一番の店を使って確立する。
ガントはニヤリと笑った。
「面白い。味に自信がなきゃ言えないセリフだが……この品質なら文句はねえ。いいだろう、俺が保証してやる」
商談成立(ディール)。 俺とガントは、男同士の力強い握手を交わした。
店を出た帰り道。 エリスは重たい金貨の袋を胸に抱きながら、夢心地で空を見上げていた。
「……信じられない。あの『銀の匙亭』のガントさんと契約を結ぶなんて……。お父様が生きていた頃だって、こんなこと……」 「始まりだよ、エリス」
俺は彼女の隣を歩きながら言った。
「次は、この資金で店を改装しよう。日本の……いや、俺の故郷のやり方で、『誰も見たことがない店』を作る」
俺の脳内には、すでに次の青写真(ブループリント)が出来上がっていた。 薄利多売の量販店ではない。 異世界の人々が、まだ見ぬ「高品質」に触れ、驚き、金を払いたくなるような場所。
だが、その前に――。 俺はスマホを取り出した。 娘の結衣から、新しいメッセージが届いていた。
『パパ、気をつけて。黒川のおじさんが、パパの実家のこと調べてるみたい』
画面を見る俺の目が、スッと冷めた。 黒川。俺を陥れた元凶。 嗅ぎ回っているのか。俺がどん底で野垂れ死んでいないことが、気に入らないらしい。
(……上等だ)
異世界での成功と、日本での不穏な動き。 二つの車輪が、同時に回り始めていた。
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