第5話 スーパーマーケットの錬金術
懐に現金がある。 それだけで、世界の見え方は百八十度変わるものだ。
俺が向かったのは、郊外にある会員制の巨大倉庫型スーパーだった。 天井高く積み上げられた商品の山。業務用サイズの洗剤、キロ単位の肉塊、ダース売りの菓子。 かつては家族連れで賑わう休日のレジャーとして来ていた場所だが、今の俺にとっては「宝の山」であり「兵器庫」だ。
俺は巨大なカートを押し、食品売り場の通路(アイル)に立った。
「さて……まずは『基本』を押さえるか」
異世界アークレイアの文明レベルは中世後期〜近世初期。 衛生観念は低く、精製技術も未熟。 ならば、最も確実に、最も高く、そして継続的に売れるものは「消耗品」だ。
俺が手に取ったのは、一キログラム入りの『上白糖』と『精製塩』。 一袋二百円もしない。だが、アークレイアで見た塩は、岩塩を砕いた灰色のもので、苦味が混じっていた。砂糖に至っては、黒ずんだ蜜のようなものしか見ていない。 この雪のように白く、不純物がゼロに近い結晶は、向こうでは「白い金」になるはずだ。
「塩と砂糖を各十キロ。……次はこれだ」
スパイスコーナーへ移動する。 俺は迷わず、業務用サイズの『あらびきコショウ(ブラックペッパー)』の缶をカートに放り込んだ。 かつて大航海時代、コショウは金と同等の価値を持った。冷蔵技術のない世界で、肉の臭みを消し、保存性を高める香辛料は、王侯貴族が血眼になって求める必需品だ。 四百グラム入りの缶が千円弱。これが向こうで幾らに化けるか、想像するだけで笑いがこみ上げる。
さらに俺は、日用品コーナーへ足を向けた。 商品の「中身」だけではない。「容器」もまた、重要な商材だ。
「……これだな」
選んだのは、スクリューキャップ式の透明なプラスチックボトルと、食品保存用のジップロック袋。 軽くて、割れなくて、透明で、密閉できる。 ガラスが貴重な世界で、この「石油化学の結晶」は、魔法の容器(マジック・アイテム)として機能するだろう。
カートが山盛りになった頃、会計を済ませた。総額五万円弱。 安い投資だ。
***
実家の蔵に戻り、再びゲートをくぐったのは、日本時間で夕方、向こうの時間では翌日の朝だった。
ローゼンバーグ商会へ戻ると、エリスは店の入り口を行ったり来たりしていた。 目の下にうっすらとクマがある。俺が持ち逃げしていないか、不安で眠れなかったのだろう。
「ケンイチ!」
俺の姿を見るなり、エリスが駆け寄ってきた。 その顔が、安堵でくしゃりと歪む。
「よかった……本当に、戻ってきてくれたのね」 「約束しましたからね。それに、最高の『商品』を仕入れてきましたよ」
俺は店のテーブルに、バックパックの中身を広げた。 一キロ入りの塩と砂糖の袋。そしてコショウの缶。 エリスは袋のパッケージ(鮮やかな印刷がされたビニール)を見て、おっかなびっくり指先で触れた。
「こ、これは……何? 紙じゃないわ。ツルツルしていて、凄く丈夫……」 「それは『プラスチック』という素材です。まあ、容器の話は後回しにしましょう。中身を見てください」
俺はジップロックに取り分けた上白糖を開封し、エリスの前に差し出した。 朝の光を受けて、純白の結晶がキラキラと輝く。
「……砂? いいえ、宝石の粉末?」 「舐めてみて」 「えっ?」 「毒じゃありません。ほら」
俺は小指ですくって舐めてみせた。 エリスはおずおずと指先を袋に入れ、白い粉を口に運んだ。
その瞬間、彼女の背筋がピンと伸びた。
「――――っ!?」
言葉にならない声。 彼女は目を見開き、自分の舌を確認するように何度も口を動かした。
「あ、甘い……! え、嘘、なにこれ!? 蜂蜜より純粋で、果物よりも強烈な……雑味が、ひとつもない!」 「『上白糖』です。最高純度に精製された砂糖ですよ」 「これが砂糖!? 私の知っている砂糖は、もっと茶色くて、ジャリジャリしていて……こんな、雪みたいな……」
彼女は震える手で袋を抱きしめた。
「こ、これ、グラムいくらするの? 金貨? 王族のお茶会でしか出せないわよ、こんなの!」 「こっちも試してください」
次に俺は、コショウの缶を開けた。 スパイシーで刺激的な香りが、一気に室内に広がる。エリスが「くしゅん!」と可愛らしいくしゃみをした。
「……香辛料? 東方諸国から来る『黒い実』に似ているけれど、香りの強さが段違いだわ」 「挽きたての風味を密封してありますからね。この缶一つで、牛一頭分の肉を極上の料理に変えられる」
エリスは呆然とテーブルの上の品々を見つめた。 塩、砂糖、コショウ。 たった三種類。だが、そのすべてがアークレイアの常識を覆す「オーパーツ(規格外品)」だった。
「ケンイチ……あなた、どこの国の王族なの? こんな品質のもの、どこで……」 「遥か東の島国の商材ですよ」
俺はニヤリと笑った。
「さて、エリス社長。これらをどう売るか、作戦会議といきましょう」 「う、売るの? もったいなくて使えないわよ!」 「売りますよ。それも、ただ並べて売るんじゃない」
俺は商社マン時代のプレゼンモードに切り替えた。 いい商品は、見せ方でさらに価値が跳ね上がる。
「エリスさん、この街で一番流行っている、あるいは『格式高い』料理店を知りませんか? まずはそこを陥落させましょう」 「料理店? ええ、あるわ。『銀の匙亭』という、貴族御用達のレストランが。でも、あそこの料理長は頑固で有名よ。飛び込みの商材なんて見てくれないわ」
「頑固? 結構」
俺はコショウの缶を手に取り、軽く振ってみせた。 中から、シャカシャカと誘うような音が鳴る。
「一流の料理人なら、この香りを嗅いで無視できるはずがない。俺たちの最初のターゲットは、その『銀の匙亭』だ」
日本のスーパーで買った総額数千円の調味料が、異世界の一流レストランを屈服させる。 その光景を思い浮かべ、俺は武者震いにも似た高揚感を覚えた。
さあ、食文化へのテロ攻撃(プロモーション)の開始だ。
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