第4話 質屋の女主人と、名もなき金貨

ゲートをくぐり抜けた瞬間、全身にまとわりつく湿気とカビの匂いが、俺を現実に引き戻した。


 実家の土蔵。  腕時計を見る。針はまだ、俺が異世界へ踏み出した時間から一時間ほどしか進んでいなかった。向こうでの濃密な数時間が、ここではわずかな午後のひとときに過ぎない。  だが、ジャージのポケットにねじ込んだ「重み」だけは、夢ではなかった。


「……帰ってきた、のか」


 俺は蔵を出て、母屋の居間へと戻った。  郵便受けには、赤い封筒が刺さっていた。督促状だ。  スマホを見れば、元妻からの事務的なメッセージ。 『今月の養育費、まだ振り込まれてないわよ。結衣に会いたくないの?』


 胃の腑がキリキリと痛む。  さっきまで「商会のパートナー」として頼りにされていた男が、ここでは養育費も払えない「社会のゴミ」だ。  だが、今の俺には切り札がある。


 俺はテーブルの上に、持ち帰った金貨五枚を並べた。  アークレイア王国の獅子の紋章が刻まれた、重厚な黄金。  問題は、これをどうやって現金化するかだ。  大手貴金属店に持ち込めば、「刻印の出所」や「入手ルート」を聞かれるだろう。盗品疑いで警察を呼ばれれば、全てが終わる。


「……あそこなら、あるいは」


 記憶の片隅にある店を思い出した。  学生時代、亡くなった祖父がひいきにしていた、古道具と質草を扱う店。  目利きは確かだが、客の詮索はしないと評判だった場所。


 俺は着古したスーツに着替えると、金貨をハンカチに包み、家を出た。


 ***


 都心から少し離れた下町の一角。  蔦(つた)が絡まるレンガ造りの雑居ビルの一階に、その店『アンティーク・タチバナ』はあった。  カランコロン、と古風なドアベルが鳴る。


「いらっしゃい」


 店内に漂うのは、古書と香を焚き染めたような落ち着いた匂い。  カウンターの奥から、一人の女性が顔を上げた。


 年は二十代後半だろうか。  黒髪を無造作に後ろで束ね、細い銀縁眼鏡をかけている。  服装はモノトーンのシンプルなシャツに、黒のエプロン。  派手さはないが、静謐(せいひつ)な美しさを湛えた女性だった。祖父が通っていた頃の店主は老人だったはずだが、孫だろうか。


「……買い取りをお願いしたいんですが」 「モノによるわ。うちはガラクタは扱わない」


 彼女――橘紗彩(たちばな・さや)は、手元の文庫本から視線を外し、俺を値踏みするように見上げた。  くたびれたスーツ、疲れた顔。典型的な「金に困った中年」に見えているはずだ。  俺は無言で、ハンカチの包みをカウンターに置いた。


 紗彩が包みを開く。  黄金の輝きが、薄暗い店内に差した。


「……ほう」


 彼女の目が、スッと細められた。  白い手袋をはめ、ルーペを取り出す。その手つきは、エリスのような必死さとは違う、外科医のような冷静さがあった。


「比重と質感……間違いなく金ね。それも、かなりの純度。二十二金(K22)相当かしら。でも……」


 彼女はルーペ越しに俺を見た。


「どこの国のコイン? メイプルリーフでもクルーガーランドでもない。この獅子の紋章、西洋アンティークの図鑑でも見たことがないわ」 「……祖父の遺品整理で出てきましてね。出所は分からないんです」


 俺は用意していた嘘を吐いた。  紗彩はふん、と鼻を鳴らす。


「嘘ね。おじい様の遺品なら、こんなに『新しい傷』がついているはずがない。これは最近鋳造されたものか、あるいは極めて保存状態が良かったか」


 心臓が跳ねる。  この女、できる。


「まあいいわ。詮索はしない主義だから」


 彼女はあっさりと追及を止めた。


「地金(じがね)としての価値だけでいい? それとも『古美術品』としての査定を望む? 後者なら数日預かることになるけれど」 「今日、現金が必要です」 「りょうかい。じゃあ、本日の金相場に基づいて、重量で買い取るわ」


 彼女は電子天秤に金貨を乗せ、電卓を叩いた。


「一枚あたり約三十グラム。五枚で百五十グラム。本日の二十二金買取相場と手数料を引いて……百二十万円。これでどう?」


 百二十万。  俺の借金返済と養育費、そして当面の活動資金には十分すぎる額だ。  エリスの手持ち金貨の価値は、俺の予想よりも低かったかもしれないが、それでも「百均コップの原価」を考えれば一万倍の利益だ。


「成立だ。お願いします」 「話が早くて助かるわ」


 紗彩は店の奥から現金の束を持ってくると、カウンターに置いた。  その時、彼女は不意に俺の目を見て言った。


「あなた、名前は?」 「……須藤です」 「須藤さん。もしまた、こういう『面白いもの』が入ったら、一番にうちに持ってきて。特に、このコインの精巧さは……現代の贋作にしては手が込みすぎている。興味があるの」


 彼女は嫣然(えんぜん)と微笑んだ。  それは客に向ける営業スマイルではなく、未知の謎を楽しむ研究者のような笑みだった。


「……ええ、機会があれば」


 俺は札束を懐にしまい、店を出た。  外の空気は相変わらず排気ガス臭かったが、今の俺にはどんな高原の風よりも清々しく感じられた。


 すぐさまATMへ向かい、元妻の口座へ養育費を振り込む。  さらにカードローンの返済を済ませる。  残った手元の現金は五十万円ほど。


「よし……」


 これで首の皮一枚繋がった。  だが、これは始まりに過ぎない。  次は「仕入れ」だ。  アークレイアで売れるもの。エリスとの約束を果たすための商材。


 俺はスマホを取り出し、娘・結衣への返信を打った。 『パパは元気だ。心配するな。今度会う時は、びっくりするような話を聞かせてやるからな』


 送信ボタンを押し、俺はホームセンターの方角へと歩き出した。  俺の「反撃」の準備は整った。  次に狙うのは――アークレイアの食卓だ。

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