一人旅
知らない道を歩いていた。行く宛はない。計画もない。したいこともない。強いて言えば、自分を見失いたかった。または、自分を見つけたかった。靴が規則的にアスファルトを叩く。蝉の鳴き声がイヤホンから流れる音楽の質を下げる。額を滑る汗がまるで涙の跡のような道を作る。そして、喉が渇く。
道はまだ、まっすぐ伸びている。
公園によった。歩き続けられない。それほどまでに、喉の渇きは深刻だった。自動販売機があればと思ったが、生憎この公園は平和と空虚で構成されている、何もない公園だった。水飲み場にたちよって、蛇口をひねる。加減を間違えて、水流が顔を襲った。ポジティブに考えよう。俺は今、汗でべとべとな顔を洗ったんだ。ハンカチで濡れた顔を拭いていたら、ふとサッカーボールが転がってくる。軌跡を追うと、少年たちがとってくれと元気に手を振っていた。俺にもこういう時期があっただろうか。いや、あったはずか。俺は足元のボールを少年たちの方に向かって蹴る。つもりが、ボールはそれて、明後日の方へ転がっていく。事後報告で申し訳ないが、運動は苦手だ。俺は申し訳なさを覚えたが、少年たちは気にしていないようで、俺の蹴り返すという努力に対してありがとうございますと感謝をしてくれた。純粋さで輝いていた彼らは、ボールを蹴ってどこかへ去っていた。俺にもこういう時期が、あっただろうか。
ベンチに腰を掛ける。少し休憩をする。スマホをいじっていたらいつのまにか足元に猫がすり寄ってきて、俺はぎょっとする。こんなに警戒心がなくて猫をやっていけるのだろうか。手を出したら首をのせにきて、あまりの人懐っこさにこの子は地域猫か、放し飼いされている飼い猫なのだろうと予想する。それとも、俺からはまたたびの匂いでもするというのだろうか。そんなはずはない。あまりに気持ちよさそうに喉を鳴らし始めるから、しばらくそのまま撫でてやる。俺は辞め時を見失ったが、猫はそうでもないらしく、自由に生きる猫は急に振り返り、そのままその場を離れて茂みに消えていった。俺も前世は、猫だったりするだろうか。
再び立ち上がる。また歩き出す。靴が規則的にアスファルトを叩く。蝉の鳴き声がイヤホンから流れる音楽の質を下げる。そして、額を滑る汗がまるで涙の跡のような道を作る。
道が、小さい町にたどり着く。
水車が回っている。駄菓子屋で子供がはしゃいでいる。コンビニがあって、飲み物を買おうと思った。俺はリーチインからミネラルウォーターを一つ見繕う。水だけを買うつもりだったが、男女の高校生二人が入り口で美味しそうにアイスを頬張ってるのをみて、ついつい俺も買ってしまった。コンビニの入り口付近でアイスの袋を空け、ずさんに口に突っ込む。想像以上に冷たい。高校生たちはまだそこで駄弁っている。趣味が悪いと思わなくもなかったが、告白をするという話が聞こえてきて気にならないはずもなく、俺は聞き耳を立てることにした。男の方が、次の花火大会でクラスの子に告白をするらしい。彼は照れくさそうに顔を赤らめて、隣の女の子に相談する。彼は気づかない。彼がクラスの女の子の話をするたびに、彼女の顔がひっそりと歪むことを。溶ける前に無事にアイスを食べ終わって、俺はここに居座る大義名分を失った。彼女は彼に成功を応援してると言う。彼らの行く先はわからない。俺の行く先もわからない。ゴミを捨てて、また日の下を進み始める。俺もいつか、恋に焼かれたりするのだろうか。
青のにおいが立ち込める。生い茂った植物を踏みながら、道なき道を行く。何かに呼ばれている気がした。呼ばれること自体、久々だった。俺は誰かに求めてもらえるような奴じゃないから。背の高い草をかき分けるときに、指を切った。それが気にならないくらい、俺ははしゃいでいた。草を踏んで、どかして、踏んで、ようやく俺は開けた場所に出た。川に水がゆるりと流れ、小鳥が水浴びをしている。そうか、俺を呼んでくれたのはお前だったのか。近づくと小鳥は瞬く間に高く羽ばたいて、その場に羽のない俺だけが取り残された。俺を呼んでくれいた気がした。その場には俺と、寂しさが取り残されている。俺も羽があれば、飛べたりするだろうか。
草に切られながら来た道を引き返す。靴が規則的に岩肌を叩く。そして、蝉の鳴き声がイヤホンから流れる音楽の質を下げる。
結局、同じ景色にたどり着く。
お腹が空いた。少し疲れたのかもしれない。一人旅のいいところは、誰にも邪魔されずに、気の向くまま行動できることだ。ふらりと公園に立ち寄っても、知らないコンビニでアイスを食べたくなっても、林に入って川を眺めても、偽善者になりたくなっても、誰にも文句を言われない。昼に急に焼き肉を食べることにしても、誰にも邪魔をされない。予算オーバーだったが、俺はどうしてもホルモンが食べたくなった。少し寄り道をしてから、俺は焼き肉屋を探し始めた。訪れた焼き肉屋は少しこじゃれた内装をしていた。お昼の焼き肉屋はさすがに空いていて、静かな店内で、心いくまでうまい肉を食べることができた。たまには贅沢も悪くないなと思った。食べ終わって、一息ついてから俺は立ち上がる。お会計で思ったより高い値段を言われて、これなら贅沢はやっぱりできないなと思った。財布の代わりにさっき買った包丁をバックから取り出す。一人旅はいい。急に焼き肉を食べたくなっても誰にも文句を言われない。急に強盗をすることになっても、誰にも止められない。俺はせめて、謝罪だけした。それから、店を出た。俺は店員さんのおびえた顔を思い出す。少しばかりの罪悪感と後悔が、なくもない。俺は何者にもなれない。
一人の男が、ハンカチを落とした。男は気づかない。仕方なく、拾ってやることにした。ハンカチを拾って男を探す。男は小さい花屋の店内に入った。百合の匂いに溶けた男を追って、俺も花屋に入った。話しかけるのにイヤホンは失礼だと思って、イヤホンをポケットにつっこむ。今まで蝉の煩わしさにしか気づけなかったけど、風鈴の音が心地いいと知った。同じくらいの年齢の、小綺麗なスーツを着た顔立ちの整った男だった。男は俺に感謝してくれた。気まずくて、俺は適当に話しかける。何用の花を買うのか聞くと、男は妻の一周忌なんだと教えてくれた。花屋で花を買うのだからそういう可能性があることは想像できたはずなのに、失敗したと思った。俺はとりあえず社交辞令的慰めを口にする。気まずさが加速する。でも、男はそうでもないようで、もう昔のことですから。と微笑んだ。それから少し妻の自慢話をしてくれた。俺はこういうときどういう表情をすればいいのかわからない。曖昧に笑った。男は白い百合の他に、ピンクの百合も買った。それからこちらに向き直ってそのピンクの百合を差し出す。俺が首をかしげると、ハンカチを拾ってくれたお礼と、惚気たお詫びだとはにかむ。こういうとき、どういう表情をすればいいのかわからない。そんな顔をしないでくださいよ、なんて言われたが、一体俺はどんな顔をしていたのだろうか。男は縁があったらまた、と言った。俺に縁があれば、また逢えるのだろうか。俺もこんな善人に、なれるのだろうか。
もうどこを歩いたのかわからない。新しい道を探したくても、結局は知った景色にたどり着く。世界が、思ったより小さいことに気づく。それがどこか悔しくて、さらに道を進む。新しい道を探す。靴が規則的にアスファルトを叩く。
探して、探して、ようやくまた、知らない道に出れた。
知らない道。知らない道路。知らない匂い。今頃警察が俺を探してるのだろう。捕まるまで、一人旅は続けようと思った。相変わらず喉は渇くし、汗は頬を伝う。蝉は煩わしい。でも、俺の靴はめげずに規則的にアスファルトを叩く。知らない道路に出て、俺は道路脇の歩道を歩く。のどかだなと思った。俺の知っている道路は車が常に行き来してるし、何より信号がそこらじゅうにある。それに比べて、車の通らないこの道路は平和なんだと思った。だからだと思う。ふと、反対側の歩道に小さい子供をみとめた。ほんとに、ふと。子供は、そのまま道路の横断を試みた。不運なことに、そういう時に限って車というのはやってくるものだ。しかも、トラック。かわいそうにと思った。他人事だった。知らない子供。知らない車。他人事なはずだった。でも、俺の中の、知らない俺。一人旅のいいところは、誰にも邪魔されずに、気の向くまま行動できることだ。ふらりと公園に立ち寄っても、知らないコンビニでアイスを食べたくなっても、林に入って川を眺めても、昼に焼き肉を食べても、強盗をしても、誰にも邪魔をされない。偽善者になりたくても、誰にも邪魔されない。体が勝手に走りだすという感覚を、初めて理解した。俺が子供を突き飛ばしたはずなのに、まるで突き飛ばされたような痛みを感じる。夏だから、身体が熱い。陽炎で、視界がぼやける。俺も来世は、来世こそは、善人になれるだろうか。無理だろうか。
道はまだ、まっすぐ伸びている。でも、俺の靴はもうアスファルトを叩かない。
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